寝たきり老人ってなんだったでしょうか?
今改めて考えてみると、寝たきり老人ってなんだったんでしょうね?
もう40年以上昔に、社会問題になった「寝たきり老人」。事態を重く見た当時の厚生省(現:厚生労働省)が、1989年「寝たきり老人ゼロ作戦」という施策を出しました。
参照元:wipedelia
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常時ベッドから起き上がることが出来ない人から、「介護があれば日常生活支障なし」の状態をも含む曖昧な概念
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で、国は高齢者の日常生活動作能力(ADL)に重点を置いてきました。
そしてのちに発足される介護保険も、日常生活自立度を重視するようになるわけなんですが、あれから40年、寝たきり老人はゼロになったんでしょうか?
良く言えば、介護保険のおかげで「寝かせきり老人」はいなくなったでしょうが、ベッドで一日のほとんどを過ごす高齢者が、ゼロになったとは言えないですよね?
医療制度の構造欠陥よる延命治療により、名ばかりの長寿大国となり、高齢者が「生きる」とは?「介護」とは?「制度」とは?など、さまざまな疑問符を投げかけるきっかけにもなりました。
日本という国は、寝たきり老人という言葉により、人が豊かに生きることを模索した40年だったと言っていいと思うんです。
AIに怯えすぎな国
今度は未来に目を向けてみます。やはりこれからはAIの時代でしょうね。これまでこんな記事を書いてきました。
いつも私は、AIが介護問題を解決するとは思っていないことを書いてきました。
一番の問題点としてあげられるのは、日本という国の柔軟性の無さなんです。
政府がとか地方自治体がとかそういうレベルの問題ではなく、日本人という国民性の問題だと思っています。その一番いい例は、ケアプランのAI化が進まないことです。
AIの技術は便利ですよね。特にソースコード系はかなり洗練されたものが作れ、職場でも、PowerShellによるローカルネットワークの調査レポートなど自動で出すようにしたり、マクロ・スクリプト系のコードもおおよそのところまで作ってくれるので大助かりです。そんなレベルまできたAIなのに、なぜケアプランは作らせないのでしょう?難解なソースコードよりも人のケアプランを立てるという重責は担えないと?ケアプランの決定権は利用者側にあるんですよ?利用者側がいいというものを作るだけのことに、なにをそんなに怯えることがあるのでしょうか?ケアマネジャーたちは立案よりもモニタリングに重視し、改良・改善するためのポイントを絞ればいいだけのことです。利用者本人の希望や意向に沿うためのサービス担当者会議や実施経過記録をまとめることはまだAIにはできません。業務軽減のためにケアマネジャーたちには積極的に使えるように促すべきものを、格式やら伝統を重んじてばかりの国の検討会そのものが、国の足を引っ張っているとすら思っています。人手不足のケアマネジャー問題に真に取り組んでいるとは思えません。

AIは怖くない
AIの話をもう少しすると、AIはあくまで効率化するものです。
「最近はAIが恋愛相談なども本人の意向をくみ取り、かつ肯定的に相談に乗ってくれるので、AIへの相談により決定する人もでてきた」
ということをよく耳にします。だからAIは人にとって代わるのでしょうか?人は仕事を奪われるのでしょうか?
恋愛相談の話もAIは如何に、人が相談しやすくなる応答について効率化をされただけのことです。
人の世界には効率化できないことがあります。
それは介護の世界です。
老化する体と、日々変調する状態に効率化はできるでしょうか?
整理整頓、最適化、理路整然ではどうにもならない世界です。
わかっているけどそうできない状態ということが人にはあるんです。
出来ない状態なんだけど、それでも人に手伝ってはもらいたくない人もいるんです。
効率化は事態の+(プラス)を目指すものであり、-(マイナス)に向かわないようにばかり話を進めてしまいます。
でもその-部分を理解し、受容することこそがケアや制度の本質ではないでしょうか?学習とは意味合いが違うんです。
「寝たきり老人」という前代未聞の問題も、過ぎてみれば私たち日本人の「人が年を取るということ」の理解の未熟さが問題でした。
今度のAIも同じように感じています。AIを怖がっている人もいるようですが、AIそのものが怖いのではなく、人やケア・制度の理解力が乏しいからAIが怖く感じているんです。
人が豊かに生きるためにAIはできたと思っています。