先日こんな判決が出ました
昼寝した6か月男児を20分放置し窒息死、認可外保育の元施設長に有罪判決…東京地裁
昼寝した6か月男児を20分放置し窒息死、認可外保育の元施設長に有罪判決…東京地裁 : 読売新聞
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預かった生後6か月の男児を放置して死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた元施設長の女(77)に対し、東京地裁は11日、禁錮1年、執行猶予3年(求刑・禁錮1年)の判決を言い渡した。
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特にご家族の
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「判決が保育現場の改善や保育関係者の意識向上につながるきっかけとなり、息子の死が無駄にならないことを心から願います」
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という言葉は同業者として重く受け止めています。
ただ、裁判長がこんな判決を述べています。
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「尊い生命が奪われた結果は誠に重大だ」
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ごもっともなことをおっしゃっているんですが、これが高齢者福祉側から見たときに、高齢者施設で利用者が亡くなった判決に「尊い生命」という言葉を見たことがない気がするんです。
揚げ足取りな言い分で申し訳ないんですが。
乳幼児の死は、その子の無限大に広がる可能性と将来を奪い、かわいいわが子を亡くした親御さんの心情を考えれば、確かに「尊い命」であり、「守られた命」であるべきだと思うんです。
でも、これが高齢者となった時に、同じような表現をみたことがありません。同じ命なのに、高齢者の未来を慮(おもんぱか)るような表現をしません。幼子から見れば短い未来だからなんでしょうかね。小さな幼子と照らし合わせられる高齢者側のことを考えてもいたたまれませんが、それでもどうも私にはしっくりこないのです。
人間という生き物の生き方が、この数十年で大きく変わりました。特に先進国諸国の生活層は100年前から比べれば2倍の寿命を手に入れました。これまでは子供をたくさん産んで、人口を維持してきたのに、寿命が延びたことで、より個々の命が重視されるようになりました。そのため、子どもの出生率が落ちてきたというのが、現代の社会構造です。
誰かがそうしようと言ったわけでもないこの社会構造により、人間たちの考え方も逆になってきました。昔は長く生きられる人々を尊く考えており、「ご長寿」と呼び、年長者を尊ぶよう教育を受けてきました。実はまだ後進国ではこの考え方の地域が多いんですね。それが先進国では出生率が落ちているので、どの国も子どもへの福祉に重きを置くようになっています。
そして、経済力を裏付けとしていた福祉構成である以上、経済が低迷すれば福祉の量も減る現象が起きています。社会全体への福祉だったのが、限られた福祉を効果的に使うため、社会的弱者でも種類を分けて、福祉の当て方の量も変えているわけです。そして、これからも手厚く福祉を受けられるのは、乳幼児だろうなと思ってしまうのです。
・・・などと、今回の「尊い生命」という言葉の表現だけで、私の思考は止まらなくなります(笑)
福祉といものが、社会を良くするものというより、ライフラインやインフラの一種と化してきていると感じています。そして私の考える行き先は、刑務所の問題にたどり着くんです。
一番合点がいかないのが、生活が立ち行かなくなった人が、刑務所に入るため犯罪までする社会構造というのが、納得できません。

こんな記事も書いてるので併せて読んでいただければ
フルスペックの人権を放棄してでも、刑務所のほうが福祉を受けられると考える高齢者が、徐々に大きな問題になってきています。福祉が受けられない高齢者が刑務所に入ろうとし、まだ幼く犯罪すら犯せない乳幼児は福祉が手厚いという、福祉の取り合いの様にすら感じてしまうんです。
私は、自殺や安楽死の反対者です。だから人はどんなことをしても生きていていいと思うんです。逃げたって怠惰だって。生きている意味なんて知りませんが、とりあえず楽に死ぬために生きてるくらいで、人はいいと思っています。そんな私の考え方すらゆがむんですよ、刑務所のほうが福祉を受けられるでは。生き方は自由でも、人に迷惑をかけてもいいとは思っていません。
私が人生でこだわってきた「福祉」がどうもまた様変わりして、生きるための必須アイテム化しているとすれば、犯罪者は刑務所ではなく、福祉のはく奪をしたらどうなのかと思うんです。
特に高齢者になれば、懲役刑の代わりに、その懲役刑分、福祉の利用ができない刑罰にするんです。老人ホームには入れない、もちろん介護保険が使えなくなるので、訪問介護やデイサービスなども利用ができない、生活保護も受けられないという罰です。その代わり犯罪者の就労支援を手厚くしなくてはならなくなるでしょうね。
それでも自分で考えてみて、刑務所より重い罰だろうなと思います。これで人権は守られるんだろうかと。ほぼ極刑に近い刑ですね。