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ラーメン二郎なるものについての個人的な思いを記録しておく

昨日のエントリの後では完全に蛇足なんだけど、急に盛り上がったこのムーブメント逃してなるものか。僕の鬱屈した二郎に対する思いをぶちまけてやろうじゃないか、という主旨のエントリです。喰い物の文化に関しては全員の意見が一致することはありえないし、僕だって所詮「30年来のファン」くらいでしかなく、もっと色んな思いを持っている人もいるのはわかっているんだけど、逆に言うと喰い物に対する思いって一種の個人史なわけじゃないですか。だから、記録として残しておきつつ、何が他人と意見の合わない部分なのかについてはクリアにしておきたい。これはなんの提言でもないですが、事実誤認とか、そんなの個人の勝手だよね、という部分、あるいは、その考え方はこっちの気持ちに傷を残すよね、みたいなところについては触れるつもりだし、だからといってそんな意見を受け入れてくれ、というわけでもないです。遺跡になるかも知れないものを建立しているということで。ほぼポエム的ななにかです。

まず、直近増田のエントリーについて触れておくところから

ラーメン二郎って、本当に旨いのか問題について思うこと
この「二郎を食べずに二郎を語る」エントリには批判の声もそれなりに上がっていますが、これが世の中の「二郎に行かない人」の印象のスタンダードだと思うとそんなに批判するものでもないよね。とはいえ、これが二郎の感想です、と言われるとおかしいというのもその通りで。
ただ、ここで重要なのは「そもそも「旨いラーメン」なのか?」という疑問そのものです。まあ二郎信者と言っていいくらい、二郎の味そのものを愛している人にとっては愚問なのかもしれないけど、しばしば言われる「二郎はラーメンではなく二郎という食べ物」という観点から言うと、まあそもそもラーメンじゃねーしなーと思ってしまったりもする疑問ではあります。
そして、更に重要なのはそもそも「旨い」のか、という点。すごく当たり前のことをいいますが、結局のところ好みに合うかどうかでしかありませんよね。ここに絶対値を持ち込むからケンカになるんですよ。逆に言うと、旨いと思ってる人にあえて不味いとケンカを吹っ掛ける必要はないし、もしケンカを売りたいなら価値観バトルになることは覚悟しておいてほしいですね。その上で更にいいますけど、僕自身、二郎が絶対的に旨いとは全く思っていない。特にどこそこの二郎や二郎インスパイヤは美味い不味いって言うくらいは二郎が好きとしても好みがある。個別具体的な話は定期的に上げてるラーメン喰った記録のエントリを見てくださいって感じだけど。
なので、個人の感覚として「あれは美味いこれは不味い」を言うのは全然いいと思うんだよ。でも、一つだけ言っておきたいのは二郎はチェーン店ではないのでどこが美味いとかどこが不味いとかはいいけどどこかだけを食べて全否定するのは止めたほうがいいよねってこと。まあビジュアルが全体的にヤベえwwwとかそういうのは食べなくてもわかるし、いいんじゃないかな。あと信者キモいみたいなのもいいと思うよ。その程度ではおそらくケンカにもならんしね。

もう一つ。
二郎はね、ラーメンじゃないの、ジャンクフードなんですよ。
これを書いた人はそれなりの二郎好きな人だと思うんだけど、ちょっとベースラインが僕と合わない感じがするので少し語っておくと

だから、ちゃんと書いておくんだけど、二郎や二郎系ラーメンと言うのは、ラーメンじゃないです。別のフード、別の業態なんです。
ラーメンって括りで、話題になってるのに食べずに批判は良くないとか食いに行くのは止めた方が良いです。

ってところはさ、そりゃ二郎好きな人はネタでラーメンではなく二郎という食べ物って言うけどさ、一般論で言うと看板がラーメン二郎なんだからラーメンなわけで、ラーメン括りで批評するのは正当だと思うんだよね。そんなファンの間での認識を一般人に言ってもしょうがないと言うか。別のフードという話にしてしまうとラーメンの大半は種類によって評価軸違うんだからラーメンというカテゴリー自体が成立しなくなっちゃうしね。でも二郎とラーメンとうどんの違いを説明するのはたまーに難しいと思う感想になる店があったりはするよ。

でもね、その本質は、お手頃価格でとにかく腹いっぱいガッツリ食わせてくれるジャンクフードなんですよ。

ここはその通り、でもそれをもってラーメンじゃないという必要はないよね。本当に二郎をラーメン扱いしたくなければラーメンという名前を看板から外すべきなんだけど、おそらく三田の親父はそんなことしない。二郎はラーメンじゃないってのは客が勝手に行っていることだし、ラーメンの一種だと思って喰いに来る客を追い払ったりはしない。

他にもこのエントリに言いたいことはあるけど、このあと述べることと重複するだろうから一旦終わり。

二郎とはなにか

二郎本店の話は今更細かいことはいいよね。どこかのタイミングで三田に移転してきて、そこから慶応の学生を中心に愛され続けている、「安くて腹いっぱい」になるお店。独特の中毒性を生む、とされているけど、一方で「適当」さ加減もすごい店であり(少なくとも昔はね)、それもあって不味いという評価をする人も多い。実際のところ、安くて腹いっぱいという要素を取っ払ってしまったら上等な食べ物ではないよね。でも、「アレ?今日は美味いぞ」とか意外と難しいあの麺の茹で加減の絶妙さとか、そういうところで病みつきになることはあるのよ。おそらくだけど、本店に足繁く通った人ほど「今日は美味いな」つまり「今日はあんまり美味くないな」をたくさん体験していると思う。そういう店なんだよね。自家製麺だって安い粉で安く提供するために作られたものだけど、奇跡的なマッチングでここまでやってきた。
だから、そんな店が美味いという評価軸でこれほどまでに広がっている2025年現在が若干信じられない。

1995年くらいには支店(暖簾分け)の店は3店舗くらいしかなかった。今残ってるのは目黒だけで、吉祥寺は閉店(別の二郎系ラーメン屋になった)、赤羽は富士丸(最初の頃はマルジかな)という看板で独立してる。だから、世の中で二郎のことを知っている人ってあんまりいなかったよね。なんだけど、このあと二郎という看板を許可された、フーズ系、NS系と言われるチェーンっぽい二郎が生まれて、その後にラーメン大の前身である堀切系が生まれ、ラーメン二郎が乱立するという事態になる。多分このときが一番カオスだったと思う。
その後、この二郎を名乗るラーメン屋が個別にフランチャイズ展開を試みようとして反対され、独立したり廃業したりする、という過程を経て、直系二郎は三田で修行(形だけでも)して暖簾分けというシステムが出来上がるので、現在二郎を名乗っている店は一応全て直系扱いではあるんだけどさ、結局三田の二郎を引き継ぐというシステムではないので、味を継承しているわけではないんだよね。まあいくつかの要素を守っていれば大丈夫的な。だから二郎はお店毎に違う味と言ってもいい。

ということはだよ、二郎とはなにか、ということについて二郎を普段食いに行っている人の中でも大きく見解が異なるってことだよね。だからどこの二郎が美味いとか言う話がすぐケンカの種になる。これは「二郎は不味い」という人が注意をしようがない分でもあるよね。お前は本当の二郎を知らないみたいなことを言われても、は?ってなるよね。

二郎だったけど二郎じゃなくなりました、の中で一番成功しているのはらーめん大だと思うんだけど、元々大の創業者の人は本店喰ったことないとか二郎自体に思い入れはそんなになくて儲かりそうだからやったって話をよく聞く(なんかのインタビューでそう言ってた)。それは別に構わないんだけど、「ニンニク入れますか?」の看板に殺意を覚えた本店ファンの人は多かろうという話。そういうのを抜きにして考えるとらーめん大自体は二郎っぽい何かとしてはよく出来ていると思うよ。ここも比較的品質は安定しているものの、ある程度店にまかせているところがあるらしく、店による旨さの差はあるらしい。

ともあれ、こうして二郎系と呼ばれるラーメン屋が生まれ、二郎の側も独立したいという人が増えてどんどん暖簾分けが進み、ついに東京外に進出する店まで出るに至ってここに二郎系というブランドが世に確立したと言ってもよいでしょう。

ところで、この状況に対してずっと二郎ファンだった僕がどう思っていたかと言うと「家の近所に出来た桜台二郎うめー」、でした。未だに最初に喰ったときの感動は覚えている。社会人になって三田の二郎なんてそんな行ってられない中、いくつか試してみた店は期待外れだった中で、本店のエッセンスを色濃く感じてしまったんだよね。今年急に閉店してしまったのが残念であります。

二郎の看板をつける店が増えていくことで、ネットの中でも二郎ファンがジロリアンと称して布教活動を行ったりとか、例の二郎コピペが生まれて間違ったイメージを世間に植え付けたりとか、呪文がわからないと注文できないというデマが真実のように流布されたりとか、それを真に受けた客が恥をかかされたりとか、およそまともなラーメン屋ではないようなムーブが発生したわけだけど、やっぱりその原因の一つが待ち時間が長いことと、食券制であっても食券で完結しないシステムにあったと思う。素人お断り効果はあるし、逆に長い間待たされたがゆえの不満足による揉め事も起きるわけだよね。そして、僕らのような二郎ファンの認識に反して、二郎ってやっぱりそこまでして喰いたいものではないわけ。普通の人だったら。でも、こんなに並んでるんだから美味いに違いない、という期待値があるわけよ。そりゃ色んな感想が出てきますわ。僕が二郎は量も味だって言っているのはそういう部分だし、そこを度外視して二郎を美味いから食べてると言われたら正気かって思うんだけど、でも、それは僕がそう思っているだけだし、最近ようやく富士丸系の苦手意識の正体を掴んだんだけど、人には旨さを感じられる適正な量がある。無理してたくさん食べる必要はない。でもたくさん食べなくていいなら同じ値段で二郎よりうまい食べ物たくさんあるよなあ…わざわざ食べるの?という思いも依然としてある。

二郎系なるもの

なんかさ、こう二郎を食うと「あ、二郎だ」って思うんですよ。僕は全店どころか数店しか行ったことがないので全てがそうかというとそうではないんだろうけど、少なくとも僕の行った二郎は「あ、二郎だ」って気分の持続時間が長かったかな。これは本当になんでかわからないんだけど、二郎系(インスパイヤ系)は「これは見た目以外は二郎ではないな」と思うことがあるのはわかるんだけど「二郎っぽいけどうーん」とか「一瞬二郎と思ったけど違った」とかそういう感想になってしまう。これ情報を喰ってるから?多分そうじゃないなんらかの要素はあると思っている。もちろん、二郎系が「二郎を再現」することを目指しているわけでは必ずしもないからそれが悪いことではないと思う。であるから、二郎系を喰って二郎を喰ったというのはまあちょっと違うんじゃないかな。ただし、ここ大事なんだけど、別に二郎系と直系二郎を味で比べたときに直系が優れている、というわけではないのよ。なんなら喰い物としての完成度は二郎系のほうが高いことが結構多いよ。だから単に二郎系を喰いたいのであれば気に入った二郎系のお店を見つけてそこに通ったほうがいい。「二郎」を食べたいのであれば、なんだかんだいってラーメン二郎の看板のお店に行くべきだと思う。別におすすめはしない。

二郎系ブームなるもの

意味がわからない。情報を食ってると言われるのも宜なるかな。僕みたいに安くて腹いっぱいになるから毎日喰ってたら中毒になった二郎患者以外があえてそこに乗り込む必要性があるのか?
でも、そういう食文化を共有したい、という人は歓迎せざるを得ない。ケンカはやめよう。お店には協力しよう。でも我慢なんねー扱いを受けたら怒ってもいいと思う。好奇心で参加するのは止めたほうがいいと思う。いや全然ダメじゃないんだけど、ルールにいちゃもんつけるくらいなら行かないほうがいいと思う。好みに合わないことは表明してもいいと思う。ただ表現は抑えめにしとかないとその店のファンが傷つくかも知れない。まあそこもご自由にかな(揉め事は自分で対処する覚悟で)。
総じてこの手の信者みたいなファンが生まれる風潮は好きではない。信者みたいなムーブはあんまりインターネットでやらないほうがいいと思う。二郎仲間とオフラインでわちゃわちゃやってりゃいいのよ。好きな人はそういう話好きでしょ。誰かをディスるならオフラインで。オンラインでやるなら責任を自覚して。

二郎は美味しい食べ物です(多分)

色々複雑な思いはあるし、絶対万人受けしない食べ物だし、別に全員一回は食べてみろなんて思うものでもないし、量が多い喰い物という文化に馴染めない人は来なくていいと思うし、でも僕は(好きな店の)二郎は美味しいと思って食べているし、その思いは僕自身のモノなので誰が否定しようがなんかが変わるものではないです。二郎はファンだけのものでは当然ないんだけど、好きな人の気持ちを土足で蹴散らすみたいな人はちょっとやだなーって思います。でも好き嫌いの話だから僕も文句を言うことはあるしね。でもどうせケンカするならどうでもいいことじゃなくて真っ向から好きな食べ物の話としてケンカしたいな。今回みたいな変なルールの話で揉めるのが一番楽しくないです。




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