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公平感と平等について

牛角食べ放題レディース半額騒動についての個人的な見解は「一般的に男子より女子のほうが食べる量がだいぶ少ないんだからとやかくいうなよ」ではあるんだけど、半額が妥当なのかどうかは微妙な気がしている(食べ放題の料金のどの程度を食べ放題部分が占めているのか的な意味で)。

それはそれとして、この手の「食べる量から勘案した価格の妥当性」については一般的に「公平感」を打ち出したものだったり、そうでなかったりする。ここでは公平感を前提として価格の妥当性が議論になっている、と仮定する。少なくとも、僕の上記の見解は「公平感をベースとして考えると、元々が同一の金額だと明らかに利益を得ているだろう男性側の人が不公平だと声を上げるのはちょっと面の皮厚くね?」という考え方だ。

さて、本件こういう記事が出た。

agora-web.jp

記事の本旨は置いとくけど、記事中で引用されているアメリカでのレディースデイにまつわる1985年の判決の考え方をどう現代において捉えていくかが重要なのかなと思っている。

裁判所は性別による価格差は、有害な固定観念を強化するため、一般的には男性と女性の両方に悪影響を及ぼす可能性がある、と厳しい指摘を行った。被告が差別的な意図を持って割引を行ったかどうかは関係なく、性別による価格差が有害な固定観念を強化する性格を帯びている以上、許容されないとも釘をさしている。

これは公平感よりも平等で差別がないことが重要だ、ということになると思うんだけど、一方で性差による有利不利みたいなものは斟酌されるべきではない、というドライ感もかなり感じるよね。また、近年のアメリカで採用されがちな女性枠とかを考えるとこの判決の考え方は果たして一般的に適用されているのかどうか、という疑問はある。
競争社会であることを全面肯定している社会においては、競争の成果による差別(=カネを払えるか否か)は当たり前に行われているよな、と感じるんだけど、おそらくアメリカではそれは競争の結果であるということと結論付けられているし、少なくとも見た目上は「競争自体が公平である」ことを重要視している。でもその結果としての女性枠とか人種枠みたいなのがあるんだと思うんだけど、それが十分に公平性を担保している機能であるようには正直見えないよね。

もし、今回の話を差別として考えるのであれば、それを主張するのは男性の側ではなく、女性の側であるべきだと思うんだよな。少なくとも冒頭述べたように公平性の観点からすると男性側が言うべきことはなにもない(あるいは割引金額の妥当性くらいしかいうべきではない)。まあせいぜいこういう割引はすべきではない、であり、男性側が割引を受けられないのがおかしい、という主張は流石におかしいかな。
一方で、女性の側も公平性という観点で割引されるのが妥当と考えるのであれば、この「性別による価格差が有害な固定観念を強化する性格を帯びている」に伴う社会的なデメリットよりも、割引を受けられるという実利を優先するという判断になるのか、あるいは「性別による価格差が有害な固定観念を強化する性格を帯びている」なんてのは幻想だよ、という主張なのかのどちらかかなーとは思う。

理屈で考えると、差別が存在しない世界(そんなの成立しないとは思うけど)において公平性のために価格差がある、というのはそれほどおかしくないとは思うので、結局差別が発生する前提においてどこが我慢できるラインなのか、という話なんだけど、正直この程度の話であれば公平性を重要視することで差別を助長するとは思わない(これが差別のネタになるならこれがなくても差別は発生しているんだろう)と思うんだよな。とはいえ、こういうことに細かくツッコんでいくことで「良くないもの」の共有がされていくということ自体は重要かもしれない。




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