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ヤラセ運動の主張に価値があるか

anond.hatelabo.jp

この話は原理主義的に考え過ぎないほうがいいものだと思うんだよ。
運動におけるヤラセがダメな理由の最も大きなところは「主張の裏付けが実はなかった」ことに尽きる。で、「いやでも確かにこのたぐいの問題はあるんだよこの人はヤラセだったけれど」と言い訳したりするわけじゃん。

でもここで考えなければならないのは「じゃあなんでヤラセなんてしたのよ」ってところなんだよね。これは運動と切り離して考えちゃならないことで、つまり、その運動の真の目的は何で、主張していることの真実性はさておき、それをどう利用しようとしているかだよね。ヤラセがあった場合、実際の問題を解決したいのではなくて、実際に存在する問題を利用して別の問題を解決しようとしている可能性がある。だから、主張そのものの真実性に仮に価値があったとしても、少なくともその運動の目的については疑ってかかるべきだと思う。

となると、もうちょっと深く考えると、その主張は問題に対して本当に適切なことを主張しているのかも疑ってかかる必要がある。僕らが考えなければならず、解決しなければならないのはあくまで「問題」であって、主張というのがその問題に対する適切なソリューションであることは全然保証されていない。問題のアピールがヤラセであったら尚更。

少なくとも、ヤラセがあったら「(だから運動の中身も価値なし)という暴論」ではなくて「(だから運動の中身を再評価すべき)という正論」だと思うんだよな。




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