唐突な始まりで恐縮ですが、mosgreen(id:mosgreen3111)さんが、奈良に来た。
いや、正しくは、
「京都に来る用事ができたmosgreenさんが、『のんちさん、会えたらうれしいな』と声をかけてくれて、仕事の調整やら、ちょうど京都が祇園祭のクライマックスの日に重なることやら、いろいろあった末に、最初に思いついた『京都じゃなくて、奈良で会おう』という案に着地」して、「奈良で待ち合わせてご対面」した。
JR奈良駅の改札口から出てきたmosgreenさんは、わたしの想像のなかの彼女そのもので、ちょっと感激のあまり泣きそうになった。涙腺から涙が溢れる寸前でセーフ。彼女も同じことを言っていたので、どちらかが溢れていたら、ふたり揃って、になるところだった。
なぜ彼女が京都に来ることになったのかは、彼女のブログをぜひぜひお読みください。わたしは贅沢にも彼女から直接、「京都に来た意味」を聴かせてもらって、もう、心底「納得」した。あぁ、いまだから、来ることになったのだな。これはもう、人生のなかでそんなに何回もない、「全部の『機』が一気に熟すとき」で、「全部が整った瞬間」だったんだろうなぁと思った。
そして、そういう彼女と、初めてゆっくり話す場所に、志賀直哉旧居を選んだことに、10日あまり経ったいま、自分に「good job!!」と言いたい気分。
今までにも何度か書いたけど、わたしは志賀直哉の作品を読んだことがない。本棚には諦めきれず、性懲りもなく、こっそり、ひっそり、「志賀直哉本」が置かれているのだけれど、きっと、これからも読まない、読めないんだろうなぁ・・・と思っている。そのくせ、なぜだか、志賀直哉旧居にだけは幾度も訪れている。邪道なわたしでごめんなさい。でも、その邪道には、それはそれで、理由がある。それもまた、「志賀直哉の世界」なのではなかろうか、と都合のいい解釈をしている。
なんて言えばいいのか。しっくりくる言葉が浮かばないのだけど、「語らう」ことに素直に向き合わせてくれるというのかな。語らう相手は、時に自分だったり、時に友だちだったりするんだな、ということが、このたびのmosgreenさんとのひとときでさらに実感できた。
旧居の2階の和室から若草山を眺めながら、庭の池の蓮の花を眺めながら、しとしとと降る雨の音やら湿気を感じながら、本当に、初めて会ったと思えない、ディープで長々とした話をした。お茶室では、mosgreenさんから「茶道」の話をいっぱい聴かせてもらった。自分から遠い遠いところにあった「お茶の世界」にぐいぐいと惹き込まれるひととき。そのままずっと聴いていたかった。台所も、お風呂場も、食堂も、中庭も、子ども部屋も、寝室も、その場所ごとに話が尽きなかった。
大層に飛躍してしまうのだけど、志賀直哉邸を訪れた人たちは、みんな、こんなふうに「いつまでも話していたい」と思ったんじゃなかろうか、と想像する。さらに飛躍しすぎて、想像が過ぎるのだけど、小林多喜二が一度だけ、この志賀直哉邸を訪れたことがあるというのを、初めて知ったときにはすごく違和感があった。「プロレタリア文学」の代表選手みたいな彼と、「文学史の試験頻出問題」に登場する志賀直哉は、私のなかでは全然つながらなかった。でも、きっと、その一度だけの訪問は、おふたりにとって、その後もずっと「記憶に残るひととき」だったんじゃないかな、と。なんだか、なんでも話したくなる、話を聴いていたくなる、そういう魅力、それが志賀直哉というひとの魅力なのかを語るだけのものを私は到底持たないのだけれども、それでも時空を超えて、わたしなんぞにも何かが伝わってくる気がする、そんなmosgreenさんとの出会いの場に、志賀直哉邸は、なった。
そのあと、おいしいランチを挟んで、奈良が本店の雑貨屋さんで、翌日からの「京都に来たメインの理由」に挑むべく、mosgreenさんが素敵なバッグを買ったのだけど、そのときのことを、私の目線から少し書いて残したい。
mosgreenさんとわたし、同じお店のなかで別行動をして、それぞれ見たいものを見て、mosgreenさんがおみやげらしき物たちを購入したあと、「自分の物は買わへんの?」と尋ねてみた。それには前段の一幕があった。
広い敷地のお店は「麻素材の服飾のスペース」と「雑貨全般のスペース」に大きく分かれていて、最初に「服飾のスペース」に入ったときに、「これ、mosgreenさんが好きそうやな」と思うバッグがあった。(ちなみにわたしも大好きなテイストだった)mosgreenさんも丁寧に眺めていた。ちょうどそのあたりで店員さんが私に、「あちらのスペースには雑貨がいろいろあります。ぜひご覧になってください」と声をかけてくれた。私はmosgreenさんに「mosgreenさん、あっちも行ってみよ」と声をかけて、ふたりでそちらへ移動した。その時、ほんのちょっとだけmosgreenさんが「ものと向き合って吟味している大事な時間」に自分が割り込んだ気がしたのだけど、そのまま雑貨スペースへ移動した、という一幕が、私の中にはあった。
その「割り込んだ気がした」のも含めて、「自分のものは買わへんの?」と尋ねた私に、mosgreenさんは、「実はちょっとイイなと思ってるものがある」と言ってくれた。そのひと言があって、もう一度、服飾コーナーに戻って、その素敵なバッグを手に取って、そのバッグが翌日からのmosgreenさんの「御守り」みたいになったと、私は思っている。私が声をかけなくても、mosgreenさんは結果、そのバッグを買いに服飾コーナーに戻っただろうなと思うんだけど、でも、私は、「割り込んだ」気がした自分と、それを含めてmosgreenさんに声をかけた自分と、遠慮とか変な気遣いとかをせずに「気になってるものがあるから戻りたい」と爽やかに返答してくれたmosgreenさんの、そのやりとりに、「友だちやなぁ」という思いを強くした。それがどうした、って思われるかもしれないのだけど、その一瞬のこころのやりとりみたいなものが、きっとこれからの私たちにとっての想い出になると、私は思ったのだった。
そうそう、写真を一緒に撮ろうというのが気恥ずかしくて言えなかったのも、mosgreenさんとおんなじだった。
でも、また会えるしね。その時に残しとこかな、と思ったのも、きっとおんなじだと思う。
50代のスタートをご一緒できて本当にうれしかった。
これからも、つながっていこうね。

(写真がピントの合ってないあんみつしかないの、向こうにいるのがmorgenさん。)