1. 昔から何かに対する感想を言うのが苦手で、小レポートや感想文には四苦八苦してきました。感情が動いていないということはないのですが、それを人に伝達可能な形で出力するというのが、どんな形であれ不得意でした。文章でなく口頭でも同じことです。
興味のないものに対して感想を言えないというのはまあ良い。とにかく何か書けば空白は埋まるので、適当に感想とも呼べないような文字稼ぎをして済ませるだけです。しかし自分が面白いと思ったものに対しても、上手く感想を述べることができないというのは残念に思います。
たとえば人に薦められた作品が本当に良いと思ったときとか、もしくは一人でも、とにかく感激したことをどこかへ吐き出さなければ済まないようなときとか、いつももっと上手にやれたのではないかと思ってしまいます。
私に言えるのはせいぜい、「ここが良かった」という程度の観察結果でしかありません。本当に言いたいのはそういうことではない。私はできることなら、自分がどれほど感銘を受けたかというのを正確に伝達したいのですが、実際に出力されるのは、感情の振幅も分量も十分の一くらいになった平板な言葉です。
つまり私は対面でも書面でも、熱量のある表現というものがあまり出来ない人のようです。いつになっても私の感想そのものは、小学生のころ書いていた定型文みたいなものと変わりがない。そこから多少、本質的でない周辺情報を付け加えるのが上達しただけです。まあそれで十分なのかもしれないし、別に私もそんな深刻に悩んでいるわけじゃないのですが……
しかし情緒的でない普通の情報伝達に関しては、そこまで苦手ではないはずです。会話でも文章でも明確な不自由を感じたことはありません。あくまで問題は感想を言う際に生じるのです。感想というか感情を伝えること全般が苦手なんですね。後ろ向きなことならともかく、プラスの感情ならもっと押し出していった方が良いと思うのですが、できない。
すごい熱量で何かを語っている人の言葉に触れると、憧れると同時に、本当は私も同じくらい感動しているんだけどな……みたいなことを考えてしまいます。これは技術の差なのか。本当にそうならいずれ克服されうるでしょうが、あまりそんな気はしない。では何が妨げになっているのか。
2. 鍋キューブはなぜ奇数個で売っているのか?
3. 病気が治ったので散歩ができる、酒が飲める。酔っぱらって、ウイスキーを鍋の出汁で割ってみたのですが、味以前に違和感がすごくて受け入れることができなかった。日本酒の出汁割りとか好きなんですけど。いや、前提としてはっきりした敗因があることはわかっていて、割る比率を明らかに誤っていたこと、冷たい酒に熱い出汁を入れたこと、これら二点です。これらを修正して今度もう一回やる。
でも私は温かいウイスキーというものをそもそも飲んだことがないから、どうやって温めればよいのかよく分かりません。湯せんでもすれば良いのかな?
電気ケトルと電子レンジに甘やかされてきた人間にとって、湯せんというのは結構面倒な処理に思えます。レトルト食品が湯せんを要求してくると、詐欺にあったような気分になる。私はパッケージに書いてある「〇分」という表記を超えて下準備を要求してくる食品を断固として認めません。
4. 各人の被る苦痛が可能な限り分散されるようにするというルールの方が、単に幸福の総量を基準とするより幾分ましではないか、みたいなことを昔考えていたのですが、調べたらカール・ポパーという人が出てきました。科学の反証可能性について述べた人でもあるようです。
適当にやるとただの大規模な連帯責任になってしまう気もしますが。