1. 先日、これまで椅子が合わなくていろいろ試してきたという内容を書きました。木製のフットレスト(高さ調整可)を使ってみたり、椅子をいくつも買ってみたり、ランバーサポートやクッションを手あたり次第に取り換えてみたり、そういうことです。しかし、もしかすると、原因が他のところにあるのではないかと思った方もおられるかもしれない。
なぜなら椅子とは、普通に使う場合、単品で成立するものではないからです。上質な紙があっても筆記具がなければどうしようもない。いくら椅子の方で工夫しようと、一向に変わらないものがあるではないか、と。
ごもっともです。そして私は当然、机の方でも思いつく限りのことをやってきました。その上で言っているのです。
そんなことがとりわけ目立ったのは、自分の使っている机の高さが、どうしても気に入らない時の騒ぎでした。ニッパーズは私から見ると、きわめて機械いじりの才能に富んでいる方だったと思うのですが、それでも机を自分にぴったり合うようにはできなかったのです。
(中略)
……背中が痛くなると文句を言ってききません。つまり、この問題の本質は、ニッパーズが、自分が一体何をしたいのかサッパリわかっていないということだったのです。あるいは、もし彼がほんとに何かをしたいと思っていたとしたら、それこそ書記の机なんぞきっぱりと放りだしてしまうことだったんでしょう。
そして私は、ついに地べたに座り込んで、椅子の座面を机とすることに決めました。この記事はそういう体勢で書かれています。たぶん私には自宅で椅子に座ったり机を使ったりすると背中が痛くなる呪いがかかっているので、椅子の上にパソコンを置くことでそれを回避することができるのだと思います。わたくしは、そのように不自然な格好はしない方がよいと思うのですが。
2. しばらく休日が続いているんですけど、今のところは先週の宣言通りアルコールを摂取していないので、私はとても大丈夫です。パーフェクト・コンディション。
思い返せば私はやることがないとき、とりあえず酒を飲むことが多い。別に特段飲みたいわけでもないのに。こういう習慣が積み重なって深刻な依存症につながるのは私だって承知しているので、これからも月に一週間くらいは禁酒期間を作ってもよいかもしれません。定期的にリズムを崩すことで、悪しき習慣が完全に定着するのを避けようという目論見です。
だいたい世間でもフィクションでも、飲酒がそこまで否定的に見られていないというのが、私にとっては良くないんですよね……酒を飲んでいる自分に酔いやすい環境が整ってしまっている。愉快さや特別さを演出するという方面でも、反対に自棄や退廃という方面でもいけてしまうので。惨めなことです。そういう時の自分自身ほど、後から正視するに堪えないものはありません。
でも私の人生において、たとえば退屈しているとき、完全にアルコールなしで済ますということはできそうにありません。なぜなら……我々は自分自身の心のうつろさを見つめることに耐えられないから!!(気に入ってしまったので当分は同じこと言ってると思います、パスカルには悪いが)
まあ気ばらしが酒しかないというのは普通に不健全なので、できる限り色々なものを見つけようと頑張ってはいます。最近の私はいつになく活動的だ。そして活動するということは、自ら進んで新種の苦痛を味わいに行くのと同義です。だったら私はずっと寝ていたい。眠れないならせめて酩酊していたい。ダメだって。
私には、何も考えていたくないという自然な欲求に逆行するように、物事をまともに考えなくなったら終わりだという変な意地があり、それが酔っぱらいつつも何かを書くという矛盾した行動に向かわせている気がする。
良いことなのは分かりません。馬鹿の考え休むに似たりという言葉もあります。せいぜい不満足な豚でしかないのなら、幸福な豚のほうがまだマシじゃないか? いや、それこそパスカルの一番有名な言葉を思い出した方が良い。いわゆる名言には、必ずその正反対の意味の名言が存在するという法則があります。
今日は素面のくせに、いつもより酔っぱらったような文章を書いている気がしてきた。枝葉をカットせずに思い付いたこと全部書き殴ってるからでしょうね。整理されない思考というのは、思考停止と同じくらいに楽です。それ故にこのブログは存続しています。考えたことを書くという行為が、それ以上考えることを阻害している節があるのは面白い。
ここまで書いて、椅子を机とするのはそれはそれで体に負担がかかることが分かったので、もう……横になります。