1. 私は今まで、自分は幅広の靴しか履くことができないと信じておりました。靴が古くなるたび、いちいち遠出をしては、やや特殊かつ高価な靴を買ってきました。それしか選択肢がないと思っていたからです。
私の足は恐らく変な形をしており、他のほとんどの人とは全然違うので、同じものを選ぶことはできないと思い込んでいたのです。
しかし最近、試しに2000円くらいの普通の靴を買ったら余裕で履けた。
これまでの私の人生は一体……
いや別に、何かのメタファーとかいうわけではなくて文字通りの話です。理由はわからないのですが、私はなぜか普通の靴が履けないと信じ込んでいた。足の形、というのをもっと精神的なものに置き換えて、ついでに他と違うことに対して歪んだ劣等感と優越感を付け足せば……とか考えるのはやめてください! 私だって自覚はしているんですからね!
しかしこれ以降、普通の人向けに作られた靴をいくらでも履けるというのは妙な感じがします。出費が減るし買い替えが楽になるので、嬉しいと言えば嬉しいのですが。みにくいアヒルの子みたいな気分です(大げさ)。
そういえば物心ついたばかりの私は割とアンデルセンの童話が好きで、特にみにくいアヒルの子には無闇に感激し、主人公へ向けて書けない手紙を書こうとしていました。文字が書けなかった時期はかなり短いはずなので、本当に、何とか意識がはっきりし始めたくらいの年ということになります。実際、現実とフィクションの区別がついていないわけですし。
よくわからん所でナイーヴなのは三つ子の魂百までって感じです。物語の登場人物へ直に干渉しようという当時の無敵さはさすがに無くなりましたが。でも悪役を演じた俳優がなぜかバッシングされたり、明らかなフィクションが現実と混同されたり(最近"The Lottery"への抗議の手紙の話で見た)、結構みんなその辺あいまいなのかもしれませんね。
そういえば(2回目)アンデルセンつながりで、今の私にとって人魚姫というとKrik/Krakの「人魚姫の憂鬱」なんですけど、ヴェニスには元首が指輪を沖へと投じ、海との結婚を宣言する儀式があるらしいですね。
Desponsamus te, mare, in signum veri perpetuique domini.
(海よ、我は汝と結婚せり。永遠に汝が我がものであるように。)
お洒落すぎる。私も指輪買って海に投げ捨てようかな。東京湾じゃ汚いか。
2. ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を読んでいて、読む前には勝手に晦渋な本だと思っていたんですが、だいぶエンタメ寄りで読みやすいです。雑な喩え方をすると修道院版の鉄鼠の檻みたいな感じです(絶対誰かが同じこと言ってると思う)。
まだ全然途中なので印象が覆る可能性はありますけどね。今のところ、炙り出しとか黄道十二宮を使った暗号とか、王道すぎてすごく良いです。
あと師匠の使ってるレンズ(普通の老眼鏡なんですけど、当時からしたらごく珍しい)の描写が、うまく言えないんですが好きです。なんか幼いころ読んだファンタジーに出てくる、便利な魔法のアイテムみたいなワクワク感があります。ただの老眼鏡なのに。
これもまだ途中だし、最近読みたい本とかプレイしたいゲームが渋滞しています。現実のことなんてやってられるか! でも具材を買ってしまったので冷やし中華を作ります。錦糸卵から作らなきゃいけないって本気ですか? 卵焼いた時点で満足してしまいそうです……