「勘弁してくれ、俺は酔っぱらってるときには
「あれって?」
「決まってるだろ、決定 だよ」
(特に引用というわけではない会話文)
私は自分の臆病さを、「この世界に対して俺が言うことなど何も無い」という傲慢で冷笑的な言明にすり替えることで沈黙の正当化を図っていたのですが、こうしてブログが続いていることを考えると、結構言いたいことはあったようですね。
相変わらず世間様に対して目を閉じ、耳を塞いでいるというのに、口だけはペラペラと動かしているわけで、これが進歩か退歩かと問われれば微妙なところではあります。空虚な自己正当化とはいえ、かつての方が潔かったんじゃないの。でも沈黙のうちに煩悶して去る、みたいな典型をなぞるには、私は無駄に長く生き過ぎた気がしています。要するに脆くなったのです。とほほ……
世間的に見ればまだ若いとか言い訳できるのもいつまでの話でしょうね。私の感覚としては、もうあとは老いて死ぬだけです。20を超えて以来ずっとこんなことばかり言っています。それは多分、老いへの恐怖や焦燥に対する予防線みたいなものです。私は失望を避けようとするあまり、目の前にあるものや先に待ち受けているもののことを過剰に低く見積もろうとする傾向があります。たとえば次のように。
1. 現実に起こるのはつねに起こりうることの中で最悪の可能性である。
2. もしも喜ばしいことがあったとしたら、直後にそれを奪い去ることによって私を効果的に絶望させるためである。
3. つまり人生は悪質な冗談であって、真面目にとりあうのは正気の沙汰ではない。
(特に引用というわけではない三法則)
こいつどこまで本気で言ってるんだ?
私は経験則と称してこれらをいつも念頭に置きながら生きてきたので、自分でもよく分からなくなっています。果たして私はこう信じているのか、信じているふりをすることによって苦しみを軽減しようとしているのか……いやこんな話を書いていたのではなくて、ブログが三か月も続いたよということを言っていたのでした。やっぱり酔っている時はブログなんか書かないほうが良いのではないかな。でも書きたくなるのは酔ってるときなんですよね。
話を戻しますと、みっともないようではありますが、考えていることを定期的に吐き出すのは、どちらかといえば精神面で良い影響を及ぼしているような気がします。私のような異様に飽きっぽい人間が三か月も書き続けているというのは、それ自体が自分にとって面白い作業だということのあらわれでしょう。
実を言うと私は、ここで日記を書く上でのポリシーみたいなものを設定しています。ちゃんとポリシーとか呼べるほど大袈裟なものではないです。この先も守り続けられるかと言ったら無理でしょうし。とにかくこれまでの記事では、一応それを意識しながら書いてきて、ここまで続いたのはそのお陰でもあるんじゃないかと思っている。
そのポリシー擬きとは、あまりネガティブなことを書かないということです。過剰に自分自身を罵倒しまくったり、世界に呪詛を吐き続けたりし過ぎないっていう努力目標ですね。もし私が三か月間で書いた、日記と称するほかの記事を読まれた方がいたら、「これで……?」と思われるかもしれませんが、これでもかなり自己検閲が挟まっているんです。必要以上に沈鬱であるよりは、むしろ軽佻浮薄であった方がましだというのが基本方針です。これで……?
この方針は倫理的配慮もしくは信念に基づく何がしかというより、どちらかといえば、自分がすぐ飽きないように定めたものに過ぎません。以前の失敗を回避しようという考えです。私は前に二回くらいブログを書いた(そして削除した)ことがあるという話を何度かしているんですけど、それらはひたすら世界を呪っているだけで、特に他の内容を含んでいない日記でした。
別に私はそれが悪いとは思ってないのですが、この世が地獄だなんてことは自明な事実でしかないので、そればっかり言っているのは芸がないですよね。「2かける2は4だ!」と延々叫び続けているようなものです。読む方はもちろん、書いている方もそれではすぐ飽きが来るので、過去のブログは二週間と続きませんでした。
あれも二年以上は前の話か。当時に比べれば私も多少落ち着いた気がします。別に根本的な考え方は変わっていませんし、気分次第でかつてのブログみたいな内容に回帰することは全然あり得るとは思うのですが、まああれです、頑張りたいですね。
いちいち肉体の健康にも、精神の健康にも配慮しなくてはならないのだから、人間というのは難儀だなあ。とりあえず、最近散歩していなかったせいで頭の具合が怪しくなってきたので、夜の散策に行ってこようと思います。お元気で……