人間の生のほとんどは何かを待つことに費やされる、みたいなことを書いてたのは多分ブコウスキーだったと思うんですけど、今日は本当に待ってばかりいた一日でした。そのうちの一か所はあまりにも混みすぎていて、待合室に置いてある本をまるまる一冊読み終えてしまったくらいです。読むのがそこまで早くない私ですら三百ページ読めるくらいだから相当なものだと思う。
でも、最近は一冊の本を読み通す集中力すら衰えてきているので、強制的に待つしかない環境はむしろ有益であったかもしれません。家にいるとすぐ手軽な娯楽に注意が逸れてしまいますし。その点、外だとスマホをほとんど弄らないからいいですね(自意識過剰ゆえ、常に画面を見られているのではないかという不安に駆られるため)。私が一気に読みたい本を抱えているときには、たいてい公園とかショッピングモールとかで読みます。
で、その本というのが「ソラリスの陽のもとに」なので感想というか、考えたことを書こうと思います。こんな有名な本に今更ネタバレも何も、という感じですが、一応ネットに公開しているものなので、念のため空白を設けておきます。私自身、名作古典文学の裏表紙にあるあらすじ欄で予期せぬ決定的ネタバレを食らったことが何度かあるので……
では感想です。
私はそもそもSFを大して読んだことがないので、どうせ初っ端から難解なワードを連発してこちらを混乱させようとしてくるのだろう、などと勝手な偏見を持って臨んだのですが、予想に反して割と読みやすかったです。情景描写とか学問っぽい記述もそこそこあるものの、そこまで目が滑る感じではない。面白かったので、順番待ちに気を取られながら読んでしまったのが多少悔やまれます。
あとがきによると筆者は、地球外の知的生命体に出会った場合にあり得る可能性が「協力」「敵対のすえ勝利」「敵対のすえ敗北」の三つだけではないということを提示する意図でこの話を書いたらしく、映像化に際してハリーとの関係がフォーカスされたことには不満があったらしいです(ウィキペディアに書いてあった)。
映画版は見たことないですが、特にハリーが自分の正体に気付いて以降の描写はなかなか胸に迫るものがあったので、その辺に注目したくなる気持ちは割と分かる気も。でも恋愛ものとして扱うには最後の数章はあまりドラマチックじゃないですよね。映画だとラストシーンとかどうしたんでしょう。
とにかく作者としては、先の三つの以外の可能性──つまり外宇宙に存在する生命が、いわゆる「宇宙人」のイメージからかけ離れていたケースを描きたかったようです。ソラリスの海は、主人公たち三人の過去の傷を掘り起こすかのように、それぞれの記憶にある人物を復元してくるわけですが、それが善意なのか嘲笑なのかは分からない。地球人に対して好奇心のようなものを抱いているらしい、ということだけは分かりますけど、それすら所詮は勝手な擬人化による推察でしかないんですよね。
海は意思疎通のできるような存在ではなくて、主人公はその実験なのか試練なのかもよく分からない試みの中で戸惑い、弄ばれ、大いに心乱されるわけです。神のように沈黙し、訴えかけに応えるでもなく、不条理に苦しむ人間をただ見ているだけの存在。実際、最後の方でソラリスの海は神の赤ん坊のようなものだと評されます。もしかするとその行為には人の考えるような意図すらなく、ただそのようにあるというだけなのかもしれない。
この盲目的な「海」のように、世界はそもそも無意味に存在しているものであって、そこに理由やら意図を見出すのはいつも人間の方です。例えば物理学は、物体が地面に落ちる仕組みはある程度解説できても、そこから遡って最小作用の原理がなぜ成り立つのかとか、どうしてこの世が一般相対論と標準模型でよく説明できるのかとか、そういう問いには基本的に答えられない。
答えられたとしても、それはもっと根本的らしく見える理論に「なぜ?」を押し付けるだけで、問題の先延ばしみたいなものです。世界はなぜこのようであり、我々はなぜ存在するのかという切実な問いに対し、客観的な学問は回答を与えない。それを与えるのは宗教か哲学でしょう。
ここから少し話が変わります。
この本の作者の立場は「地球外生命体が必ずしも人間に理解可能なものであるとは限らない」というものですが、同じ話は他のものについても成り立つような気がしています。仮にこの世の動作を完全に説明する究極の法則なるものが存在したとして、それが人に理解できる形式をしている保証は全くない。理論がシンプルだとか、美しいとか感じるのも所詮は人間の感性に過ぎないし、真実に近いかどうかとは別個の話です。
まあ我々は人間の枠組みの中で考えることしかできないので、どうしても無意識的にバイアスがかかってしまいますけど、そもそも私たちの直感だって日常的なスケールでしか成り立たない、非常に頼りないものですからね。
普通に考えて、この広大極まりない宇宙に存在する、特別でも何でもない惑星の上にへばりついている種族人間にとって、世界が都合よくできている必然性なんて皆無です。でも私たち人間は、何かにつけて自分たちを特別視して、万物に対しその尺度を適用してしまいがちです。
その辺の、一神教的世界観に基づく無邪気な人間中心主義は、私が西洋思想(という括りはあまりに雑ですが)にそこまで共感を覚えられない要因の一つであって、この本の作者も似たような不満を持っていたのかなと一方的なシンパシーを感じてしまいます。
なんか調子に乗ってあまり関係ないことをだらだら書いてしまいましたが、本自体は面白かったのでお勧めです。私が今更勧めるまでもないか。