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翻訳者のすごさ(失楽園とか)

たまの気まぐれで英語圏の詩や小説の一部に(よく分からないなりに)目を通していると、私はきっと、英語を母語とする者の一割もリズムや語感の素晴らしさを受け取れていないのだなあと思って残念な気持ちになります。

 

私がふだん作品を読む際の印象は、かなり文体や言葉選びに依存している部分があるので尚更です。言い回しだけでなくて、語順や句点の位置、一つの漢字をとじるかひらくかという些細な点でさえ、全体の雰囲気を大きく左右している気がします。

 

願わくば私もそんな風に緻密な文章を書いてみたいものですが、実際書くとなるとその辺は適当です。そもそも自分なりの文体なんてものを確立する段階にも達していないですからね。

 

なので、私自身のことは一旦棚に上げて話を続けましょう。

読む側としては、内容が意味不明でも文体が好きなら好印象になってしまう──というのはさすがに極論で、文体が好みだったら内容も好みというのが大体のケースなんですが、それくらい私は作者の文体というものを無意識に重視しているようです。

 

その辺が、日本語でないというそれだけの理由で削ぎ落とされてしまうのは非常に惜しい。たとえ私が努力を積み重ね、ネイティブレベルで当たり前のように他国語を使えるようになったとしても、その細かなニュアンスまでは決して十分に理解できまいという確信があります。

 

大体、生まれた時から当該言語に浸かり切って育った者にすら、はっきりと言語化することのできないような微妙な差なのです。付け焼き刃の勉強で分かるはずがありません。それこそ、その国の文化的背景や、日常会話における些細な使い分けなど、全てを学び尽くす覚悟でなければできない芸当だろうと思います。

 

凡人にはそんなの、生涯かけたって精々一、二言語が限界であり、このもどかしさを解消してくれるのが翻訳者という職業です。今回の話は翻訳者すごいという感想以外のものではありませんのでご了承ください。

 

いや、本当にすごいんですよね。

テクニカルな話は全然分からないので、単純に好きなものを挙げていくのみになるのですが、すぐ思い浮かぶところだと、「失楽園」の平井正穂とか、「地獄の季節」の小林秀雄とか、オースターやブコウスキー作品の柴田元幸とか……

 

原文のニュアンスを全部汲み取れない状態でこんなことを言うのは不当でしょうが、前の二つについては、ひょっとしたら英語圏、フランス語圏に生まれてこれらの作品を読んだifの私は、ここまで作品を好きにならなかったかもしれないと思ってしまいます。最後のものに至っては、もはや原作者のファンなのか、訳者の文体が好きなのか区別がつかないレベルです。

 

小学生の時の私はファンタジー大好き少年でして、とあるドイツの作家の書いた歴史ファンタジーにとてもハマっていたのですが、そのエピグラフとして失楽園が引用されていた記憶があります。若き主人公の愛読書だったというのもあって、私も背伸びして読んでみたのですが、それはもう衝撃的でした。

 

一部だけを切り抜いても十分な迫力が伝わらないことを承知で、岩波文庫からいくつか抜き書きさせてもらいますが、たとえば

 

「……忽ち眼前に浮かび上がるのは、荒涼として身の毛もよだつ光景、戦慄すべき一大牢獄、四方八方焔に包まれた巨大な焦熱の鉱炉。だがその焔は光を放ってはいない。ただ眼に見える暗黒があるのみなのだ。そして、その暗黒に照らし出されて、悲痛な光景が、悲しみの世界が、鬼哭啾々たる影の世界が、展開している……」(第一巻)

 

「……他の者は──そうだ、幾百万という、武装を整えて天に向かって攻めのぼる合図を、今か今かと待ちあぐねている軍勢は、天からの逃亡者然としてここでぼんやりと時を過していろ、というのであるか? この暗澹として嫌悪すべき恥辱の窖を、──われわれの狐疑逡巡をいいことにして我が者顔に君臨しているあの圧政者の儲けたこの牢獄を、己の住処として、甘受しろというのであるか? 否、断じて否!……」(第二巻、モーロックのセリフ)

 

「……さらば、希望よ! 希望とともに恐怖よ、さらばだ! さらば、悔恨よ! すべての善はわたしには失われてしまった。 悪よ、お前がわたしの善となるのだ!……」(第四巻、サタンの独白)

 

キリがないしどうせ以降の記事でも触れると思うのでこの辺にしときますけど、こんなに高尚さと格好良さと読みやすさの共存する叙事詩訳が他にあるでしょうか? こんなものを多感な時期の男が読んだらどんな影響を受けるかは想像に難くないと思います。

 

本来英語の古典なんてとても小学生に読めるものではないはずなのに、それをこんなにも素晴らしい形で手が届くようにしてくれる翻訳者という存在には、尊敬の念を抱くしかありません。

 

これで原文を見ると少し味気なく感じてしまうのは、もちろん私の知識の不足が原因だとは思いますが、翻訳が素晴らしすぎるというのも一つの要素ではないかと勝手に思っています。

 

失楽園」は、同時期に読んだ「カラマーゾフの兄弟」と並んで私の嗜好を決定づけていると言っても過言ではないんですけど、そういえばドストエフスキーは悪文の代表格としてよく挙げられますよね。

 

個人的には、ドストエフスキーに関してはそこまで翻訳での差を感じたことがありません。原文の饒舌さの主張が強すぎるせいかもしれない。悪文とは言われますが、あまり読みにくいと思ったことはなくて、むしろ文体としては好きな方です。これも、もし私がロシア語圏に生まれ育っていたら、違った感想を抱いたのでしょうか?




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