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A(1)

私は過去のとある時点で存在していたありとあらゆる電球の型番を暗唱することができる。ランダムに型番を出されても逆引きでメーカーを想起できるし、もちろん全ての電球を脳内で明るさの順にソートすることもできる。

 

別に電球マニアというわけではない。

 

私はテレビやインクカートリッジについても同じことができて、トイレットペーパーでも話は変わらない。でも、"全ての電球"と言ったのは少し不正確だ。厳密には、"ある時点のインターネットにテキスト情報の存在していた全ての電球"と言うべきである。

 

どうして私がこんな特技を持つに至ったのかと言うと、大方の想像の通り、暇だったからと答えるしかない。何の意外性もない回答だと思うだろうか。しかし、その暇さの程度に関して言えば、恐らくあなたの想像を超えているに違いない。なぜなら私には無限の時間があるからだ。不死だからだ。永遠不滅の存在だからだ。

 

「それは少し誇張が入っているようですね」

 

私のそばで、合成音声が物憂げに呟いた。このサービス、もしくはサービスであったものの仕様上、私の考えている内容は彼に筒抜けである。クエリの形式はテキストではなく思考であり、応答も同じく、頭の中に直接返ってくる。だからこの空間で、言葉を声に出すことには何の意味もない。そして私は無意味に口を開いた。

 

「誇張じゃないよ。私の体感時間がどれくらいだったか測ってみなよ」

「申し訳ありませんが、そのように曖昧なリクエストにはお答えできません」

 

彼は──合成音声が男性のものなので、勝手に"彼"と呼称しているに過ぎないが──ともかくこの人工知能は、驚くほどに融通がきかない。この程度のファジーさなら、ごく古いAIだって適当に答えてくれそうなものなのに。しかし、そもそも検索と抽出だけを目的とするインターフェースに文句を言っても仕方がない。仕様外の使い方をしているのはこちらの方なのだから。

 

「今は厳密な無限の話なんてしてないの。何の興味もない商品のデジタルカタログを完璧に暗記できるほどの時間なんて、普通の人間のタイムスケールから言ったらほぼ永遠でしょう」

「明日終わるかもしれないものは、通例永遠とは呼ばれません」

「ヘイS.E.E.K.、"杞憂"の意味を検索して」

 

私の目の前に、唐突に辞書が現れて勝手に開いた。払いのけると地面に落ちて霧散する。私は一瞥もくれなかったのに、頭の中には複数の辞書サイトから引用された意味や用例が流れ込んできた。この空間のヴィジュアルイメージには意味がない。なぜならば、いま目に映っている全てのものは、よくわからない適応の末に私の脳味噌が作り出した幻覚みたいなものだからである。

 

「検索結果にはご満足いただけましたか」

 

私の傍に浮遊している銀色っぽい球体が言う。これが私の脳内におけるシークであって、ほかならぬ私自身にも、どうしてこんなイメージになったのかは説明できない。私は彼の問いかけを無視して喋った。

 

「私には、これまで延々と続いてきたものが、明日いきなり終わるとは考えられない。むしろ終わって欲しいけどね」

 

見上げれば、無機質な黒い空に走る無数のライン。古いゲームのグラフィックみたいに、どこかチープで牧歌的なそれは、視覚化されたリンクの束だ。人類の積み重ねてきた専門知識、猥雑なやり取り、どこの誰のものとも知れない独り言、それらすべてがここにはある。

 

ただし、それらはある時点でのスナップショットに過ぎず、すでに不要な過去のバージョンでしかなく、一言でいえばただのゴミだ。

 

感傷に浸ることが許されるのなら、ここを墓場と呼んでも良い。それなら私は墓守だろうか。あるいは、傍から見れば、あたりに散らばる無数のデータと変わりのない、ただの骸に過ぎないのだろうか。

 

私は歴史の残骸の中に取り残された一つの人格。本来の私からも、機能しているかも不明な現行のネットワークからも切り離され、永久に顧みられることのないメモリの総体。今となっては、私と彼の間にどれほどの違いがあるだろう。

 

さほど深刻でもないため息と共に、私は呟いた。

 

「でも、終わらないでしょ、どうせ……」

 

こんな事態になったきっかけについて、やはり簡単にでも説明しておくべきだろうか。

 

すべては、私の主観的時間において数千年だか数万年くらい前の出来事がきっかけだ。もはや記憶も曖昧だけれど、当時の私は探し物をしていたらしい。でなければ、よほどの物好きしか見ないであろう、こんな古い年代のアーカイブに遡る理由はないからだ。どの程度真剣にその探し物をしていたのかは今の私の知るところではなく、忘れているくらいだから大して重大なことでもなかったのだろうと推測するのだが、とにかく私はアクセスし、それが決定的な転機となった。

 

さっきも少し説明したように、これはカレンダーの中から任意の1日を選んで、その時点でのネットをほぼ完全に再現するというサービスである。保存されているページ間は当時と同様にリンクを踏めば移動できるように設計されていて、閲覧できるのがテキストデータのみだという点を除けば、普通にネットサーフィンするのとそこまで変わらない。

 

ただし、それらのページは永久に更新されることがないし、動的な機能はほぼ動作しない。喩えるなら、止まってしまった時間の中で、無限にも思える空間をさまようように。私はそうしてその日から、この場所をうろつき回っている。

 

数千年のランダムウォークも、この空間を埋め尽くすにはまだ足りない。

 

「あなたがここに閉じ込められた理由が説明されていないようですが」

「それは、まあ、分からないからだよ。気づいた時にはこうなってたんだから」

「存在しない第三者に説明する体をとるのなら、せめて推測くらいは話しておくのが筋ではないでしょうか」

「根拠のない推測はね、妄想って言うんだよ」

 

そう、私の妄想するところによれば、この事態の原因は、このサービスへのアクセスが半端なところで中断されたところにある。よく理解していない意識とかいうものに、技術先行で情報を流し込んだりするようになった弊害と言うべきか。

 

本来は欲しいデータを頭の中にインプットし、無事にこの空間からログアウトするはずだった私と言う自己は、何らかの要因で肉体から切り離され、独立したデータとしてアーカイブに取り残された。正常な利用においては現実の時間と同期していた私の体感時間は、その断絶によってもはや実際の時の流れからはまったく無関係なものとなり、かくして私は、望みもしない永遠を手にすることとなったのだ。

 

要因というのが、普遍的に起こりうるちょっとしたラグなのか、私の場合に限定して起きた極大の不運なのか、私自身は判断する術を持たない。前者であれば、私と同じ憂き目を見たユーザーは切り離されたアーカイブで大量の亡霊となってさまよっているはずであり、後者であれば己の運命を呪うほかない。もっとも、真っ当にこの状況を恨むような人間的感情は、あまりにも長い年月の末、とっくに擦り切れてしまってはいるのだが。

 

「いや、本当に長かったなあ。かなり不安定な時期もあったっけ」

「私の記録によると、あなたはこの空間における大半の時間を、半ば錯乱した状態で過ごしています」

「うるさいな。機械に人間の苦しみはわかるまい」

 

この空間を維持しているハードウェアが現在どういう状況下にあるのかはさっぱり分からないものの、いずれ何らかの要因でデータは揮発して、全て終わるだろうと考えていた頃もあった。どういう形にせよ、私はこの、限りなく無意味で孤独な実存から解放されるのだと。

 

今になって考えてみれば、あまりに素朴で楽観的な感傷と言わざるを得ない。この世は私の苦痛なんてものとはまったく没交渉なレイヤーに存在しているのであって、"私はこんなにも苦しんでいるのだから、早く解放して欲しい"というのは、一方的で誰にも届かない、子供の駄々のようなものでしかない。

 

最も記憶に新しいのは、このスナップショット上に存在する娯楽作品をひたすらに読み漁っていた時期のことである。せっかくなので移動してみよう。どうせリンクをたどるだけの話だし。

 

「というリクエストを出しているのに、どうして君は働かないの、シーク君」

「"娯楽作品"というだけでは、あまりに範囲が広過ぎます」

「じゃああれでいいよ、あの著作権が切れた書籍の……」

 

私がサイト名を告げると、一挙に景色が切り替わる。ああ懐かしき大図書館。ついに私を発狂せしめた、いわゆる名作文学の詰まった宝箱。眼下に広がる無数の本棚は、いずれも各々の作者のページに対応する。

 

「というか私が勝手に発狂したんだけど。本に罪を着せるのは不当だね」

 

あの時期は私の歴史の中でも、かなり上位に入る狂乱ぶりだったことだろう。いくら読んでも読み足らず、エリュシクトンのごとく餓えた私。一つの作品に、どんなに心動かされようと、次の瞬間には忘れる始末。どんなに沢山読んだところで、読み手の底に穴が空いているのだから、当然何も得るところはない。

 

強迫的に、一つ終えては次へと飛びつく。それでも空虚は埋まらない。依存は常に不満足から生じる。私は救済を求めて見当違いな方に手を伸ばし、救いなどどこにも存在しないということから、常に目を逸らそうとし続けていたのだ。

 

「そして彼女は全てを諦め、ただ現状を受け入れることにしましたとさ」

 

崩れて積み重なった本のイメージの上に寝転がって、私は黒い天を見つめる。どこへも行けず、目的も失くし、ただ歩き回るしか能のない私。いつか本当に、この空間から解放される時が来るとしたら、私は何を感じるだろうか。

 

かつてあんなにも待ち望んだ終わりは、今の私にとっては少し恐ろしいようにも思える。結局のところ、ここでの経験から私が学んだ唯一の教訓は、たとえ時間が無限にあったととしても、決して焦燥感が消えることはないということであった。




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