以下の内容はhttps://nolonger.hatenablog.com/より取得しました。


檻の中の彼らのために(一)

1. 俺の手元には一本の、受理されなかった学位論文がある。俺が書いたものではない。全然違う。まったくデタラメ放題、悪い冗談としか思えない代物だ。まず言っていることが一切わからない。序章だけで腹一杯になるほどの、専門用語と特殊記法の数々。どんなに調べても解説は見当たらないが、それも当然のことで、用語は造語だし、引用文献はすべて偽物だ。式展開は意味不明であり、グラフらしき図に至っては、座標の読み方すら想像できない。

 

しかし、具体的な内容を全部捨て去り、構造だけに注目するなら、それは丁寧に構成された論文なのである。章立てやパラグラフは整然とした論理構成に則っていて、体裁も緻密とさえ言える。それでいて、その語る内容は理解不能なたわ言なのだ。

 

こんなものを書こうと思うのは、よっぽど暇な奴だけだ、と読み手は思うかもしれない。つまり、どこぞの捻くれた学生が、ソーカル事件にでも触発された挙句、形式は整っているが全く無意味な論文を書き上げて、読者を馬鹿にしようとしているのだと。

 

だが俺は、これが真剣に書かれたものだということを知っている。今となっては俺だけが知っているのだ。初めてこれを読んだとき、どれほどぞっとしたか、正確に言い表すのはほとんど不可能だと思う。それは俺にとって致命的な打撃だった。これまでの歳月が一瞬のうちに違う意味を持ち始め、自分がどれだけ何も見ようとしていなかったかを思い知らされた。いかに多くの場面で俺たちが見当はずれな行動を選び、互いにすれ違ってきたか、俺は遅まきながらようやく悟った。

 

何も責任を自分だけに帰すつもりはない。それは単なる傲慢だ。俺たちはみんな間違い続けてきたし、これからも間違い続けるに違いない。何かを正しく理解することなんて、所詮は不可能事なのだろう。俺が今やっているのも、無意味な、それどころか有害な行為でさえあるのかもしれない。しかし、とにかくやってみなければならない。この論文の持つ意味を伝えることが、どんなに困難だとしても、俺は試してみる必要がある。

 

区切りをつけようとか、過ちを清算しようとか、そんなつもりで書くのではない。むしろ俺は、俺たち自身の失敗と、いなくなってしまった人々のことを、どこかに残しておくために書きたいと思う。そうすべきだと俺は感じる。一種の衝動だ。説明のつくものではない。だからこそ、なおさら俺にとっては不可欠なことだと思う。たとえ、それが何の意味もない試みだとしても。多分、これは俺の義務なのだ。

 

2. その論文を書いた男はラダーと呼ばれていた。由来は些末で下らないものだ。俺がB4だった頃の、研究室の名簿を見てみよう。同学年は新島ニイジマ高野タカノ髙野タカノの三人。新島が俺であり、高野は院へ進学せず就職した学生で、残った髙野がラダーである。厄介なことに、同じ部屋に二人のタカノがいたのだ。 

 

当初の彼はフルネームで呼ばれたり、『はしご』の方のタカノなんて呼ばれたりしていたが、ある時教授が、はしごだったらラダー君だな、などと言い出し、それがそのまま定着した格好になる。はしごじゃないほうの高野は普通にタカノと呼ばれていたのだから理不尽な話だ。高野が去り、区別の必要がなくなった後も、髙野はラダーと呼ばれ続けた。それで、研究室には新島とラダーが残ったのだ。俺と、元の名前をなくしたままの彼が。

 

俺がラダーの存在を明確に意識したのは、授業中ではなく、所属していたサークルでのことだった。当時は先輩を交えてちょっとした輪講をやろうという企画が持ち上がっており、その初回、見覚えのある男が隣に座ってきたのだ。よく見れば同期の学生だったが、向こうはこちらに気づいた素振りも見せない。

 

なんだか人を食ったような奴だと思った。一見した印象だと普通だが、その眼付きやちょっとした仕草には、どこか険のある部分があった。これは俺の事もわざと無視しているのかもしれないと思ったが、後から考えてみると、ただの被害妄想だったらしい。彼は特別な事情がない限り、人の顔を全然覚えようとしなかった。

 

とにかく、彼は姿勢良く席に座って、時折頷きながら、真面目に先輩の発表を聞いているようだった。感心なことだ。俺は睡魔に襲われつつも、彼が開きっぱなしにしている白紙のノートが、ずっと白紙のままでいるのをなんとなく眺めていた。初回が終わった後、ラダーは立ち上がって先輩のもとへ歩いていき、ごく丁寧な物腰で参考文献を尋ねた後、二度とサークルに顔を出すことはなかった。彼の、他者に対する接し方とはそういうものだった。思えば俺も例外ではなかったのだ。

 

3. この辺りで自分自身の話をしておこう。俺はラダーの共犯者だったし、何より最後の二週間、彼と最も頻繁に話していたのは、ほかならぬ俺だったからだ。そもそも俺さえいなければ、彼はあんなことにはならなかったかもしれない。これを書こうと決めた以上、自分の失敗や恥ずべき内面について語ることも、また避けられないのだろうと思う。

 

さて俺がラダーに初めて会った頃、あの頃はまだマシだった。俺は入学したてで、まだ適当な希望と楽天性を持っており、新しい環境に胸を躍らせてさえいた。俺が一人暮らしを始めたのは大学に入る直前のことだった。とにかく目の前には、無限の道の中から好きな物を選び取る自由が、ぽんと無造作に放り出されているように思えた。まあ、それも最初だけの話だ。

 

どこでボタンを掛け違ったのか、自分でもよくわからない。気づいた時には手遅れで、俺は坂道を転がり落ちていた。その後の大学での数年間は、俺を以前より無口で不機嫌な人間にした。元々そういう素質があったのは認めなければならない。俺はサークルを辞め、出来たばかりの恋人と別れ、学外での仕事中にも全然喋ろうとはしなかった。

 

どうせ会話は噛み合わない。何を言ったって亀裂を広げるだけだ。俺はいつでも同音異義語か何かを喋っていて、自分の言っていることは、一つも相手に正しく伝わっていないような感じがした。

 

他にやることもなかったので、俺は鬱々とした気分の中で勉学に励み、一番人気だった研究室にも入れる程度の成績を手に入れた。それからB3の冬、希望調査票を提出するとき、俺はその権利を放棄して、たいして学生の集まらない研究室を選んだ。それが俺の三年間だった。

 

4. では、ラダーの三年間はどうだったか。俺よりも多少非凡なものであったのは間違いない。控えめに言って、彼は優秀な学生だった。取り立てて熱心なようには見えなかったが、科目を問わず試験は満点に近かったし、自由度の高いレポートを課すと、大概ちょっと面白いアイデアを出してきた。俺たちがM1になった後、うちの教授から聞いた話だ。

 

特にレオロジーだか何だかの研究をしている物性の先生には気に入られていて、直接ラボに勧誘されたこともあったという。君は恐らくM1の段階で成果を出せるだろうから、その時にはコネのある研究所で、臨時のポストを用意しよう、なんて提案をされたらしい。そんな誘いを蹴ってまで、こっちの研究室に来た理由は本人のみぞ知る。卒業式が終わった後、彼は記念品と賞状、それから主席の称号を受け取っていた。

 

正直キツかったよ、と高野が漏らすのをその日に聞いた。ややこしいが、ラダーではなく、学部を出てそのまま就職したほうの高野である。

 

「みんな一瞬、あのタカノか、みたいな顔するんだ。発表とか、諮問のときとかさ。初対面の先生は、最初少しだけ俺に期待する。でもすぐに、そっちじゃない方のタカノだってわかる。仕方ないんだけど、そういうのって、ちょっと辛いよな」

 

こちらのタカノは器用で、人当たりの良い男だった。同じ研究室になってすぐ、俺やラダーともある程度仲良くなった。そのままスムーズに就職先を決め、苦もなく卒論を完成させていた印象があったので、そんなことを考えていたとは思いもしなかった。その後も研究室の飲み会で戻ってきた彼と二、三回会うことがあったが、その時にはもう、前に言ったことをおくびにも出さなかった。

 

ラダーは自分のことを語りたがらない人間だったから、彼について話すには、こうして周囲の言葉を集めなければならない。無論、この文章自体も、俺という他者の言葉であることには注意すべきだろう。俺がラダーに対し、多少の嫉妬と競争心を抱いていたのは間違いないし、それが幾分見方を歪めているかもしれない。だとしても、俺はできるだけ公平に書くつもりでいる。これを読む人に、どうにか出来事を伝える必要があり、少なくとも、そのように努力しなければならないから。

 

5. 多分、M1の八月の話から始めるのが一番良いだろう。俺たちは卒論を終え、無事にそのまま大学院へ進学し、修論までにはまだ一年半近くあった。中間発表に苦しむ周囲のB4、M2達を尻目に、俺たちは束の間の猶予期間を謳歌していた。

 

端的に言って暇だった。退屈だった。やるべきことは山ほどあったが、その最終期限はどれも遥か遠く先のように思えた。だから俺が、あんな罪のない暇潰しを思い付いたのも、さほど責められるべきことではなかったはずだ。少なくとも、この時点では。

 

最初のアイデアは、基本的な物理定数を変更して、何が起こるか様子を見ようというものだった。電子の質量とか、万有引力定数とか。それらが現実とちょっと違う値だったら、計算結果はどうなるだろう、と俺はその晩言ってみた。学生なら誰でも一度は思いつきそうな話題だ。ラダーが無反応のまま粛々とカップラーメンを啜っているので、俺は言い訳がましく付け加えた。

 

「そりゃあ、ある程度は節度を持って変更するよ。でもさ、自然なオーダーっていうのはあるにしても、ぴったりその値である必然性なんてないはずだろ。ちょっとくらいずらしてみても罰は当たらないんじゃないかな」

 

相手が尚も無言のままだったので、俺は焦って、別にそんなに厳密にやろうとしてる訳じゃないとか、ただの暇つぶしだ、とか、見苦しい言い訳をいくつか並べた。何だか自分が急にくだらないことを言ったように思えてきたのだ。ラダーの沈黙には、いつも相手を不安にさせるような何かがあった。

 

彼はこちらの言葉を聞き流しつつ、塩分のたっぷり含まれたスープを最後まで飲み干した。それから、机の上にスチロールの容器を静かに置くと、言った。

 

「実は、もう試したことがあるんだ」

 

なんだ、と思った。彼も、俺と同じ程度には暇人だったのだ。

 

「結果は?」

「自分で確かめたほうが面白いと思うよ」

「俺はネタバレを気にしないんだ」

「星や人間の存在が、結構危ういバランスの上に成り立っているのがわかった」

 

まあそうだろうな、というくらいの感想だった。既にどこかで聞いたこともある気がする。ただ、自分がやろうとしていたことを先に思い付かれたのは悔しかった。せめてもの抵抗として、俺はもっと突飛な提案をすることにした。

 

「だったら単に定数が違うんじゃなくて、物理法則自体が別物だった場合は?」

 

ラダーは俺の言葉に対し、表情も動かさず答えを返した。

 

「法則自体って? 電磁気学とか?」

「そう、重力でも、QCDでもいい」

「それって何でもありじゃないか」

「何でもありだよ。数式さえあれば計算はできるだろ。互いに矛盾しない法則のセットを一揃い用意して、その宇宙をシミュレートする」

「何の動機もなしに?」

「もちろん。俺たちの時間と計算能力を浪費するためだけにやるんだ」

 

徒労だ、と彼は呟いて、空になったラーメンのカップを屑籠へ放り投げた。カップは惜しいところで穴から外れ、床に転がる。ラダーはまっすぐその場へ歩いて行って、周りの床をウェットティッシュで軽く拭いた後、屑籠にゴミを突っ込んだ。それは完全に無駄な行為だった。彼は悠然と立ち上がり、こちらを振り向いて、言った。

 

「徒労という言葉は好きだ。やろう」

「え、やるのか」

「退屈なんだから、しょうがない」

 

しょうがないよ、と彼はもう一回言って、自席に戻ると、さっそく作業に取りかかった。どうも現実とは思えないやり取りだった。

 

当時はラダーが論文をジャーナルに投稿し終えた直後で余裕があったこと、俺が行き詰まっていて本題に身が入らなかったこと、中間発表から夏休み明けまでの間、研究室の行事が全然無かったこと。それらの要因が偶然重なったせいで、俺の提案は通過して、ラダーはそれに取り組み始めた。きっかけはそんな事情だった。大した意味もない遊びのはずだった。

 

とにかくラダーはそれを始めてしまったし、俺は最初に提案した責任を取って、自分でも何か考えてみることにしたのである。

キッチンが汚いやつは

1. 金を使うことに躊躇がなくなりつつあって、ACの新作プラモとブレイク詩集を即座に買ってしまいました。アマプラも入ったので昨日注文したプラモデルが今日届いた。早い。

 

今日はとりあえずロックスミスの上半身を組み立てました。ゲームしてるとき全然気づかなかったんですけど、頭と足はMELANDERなんですね。色や組み合わせが違うと印象もだいぶ変わります。VP-40Sはビジュアル的に一番気に入ってたコアパーツなので、手に入って嬉しいです。

 

ブレイクの詩集の方は対訳付きなんですけど、古めの英語って格好良くて好きです。ファンタジーっぽい荘厳さがある。私の印象はほとんどソウルシリーズに由来している気もするが……こういうのとか:

"Return from whence thou cam'st. For that is thy place of belonging."

(修道女フリーデに殺害されるたび聞かされるセリフ)

 

cam'stってなんだっけと思ったら、昔の英語には二人称単数形というものがあったらしく、動詞の最後に-stとか-estが付くようです。よく聞く"Thou art ……"のartも二人称単数のbe動詞らしいです。へ~

 

調べてみると、こういうのが古めかしくて荘厳な雰囲気を持つようになったのは、欽定訳聖書の影響が強いという話が出てきました。確かにthouって二人称の時点で聖書っぽい印象を受ける。

欽定訳といったらジェームズ1世の命令で作られた聖書ですが、この王様には前々から興味がありますね。悪名高いノース・ベリック魔女裁判の当事者であり、「悪魔学」というオカルト本の著者であり、火薬陰謀事件の標的であり、戯曲「マクベス」に影響を与え、って感じで、色々と美味しいネタが尽きない人です。あのバンクォーは彼の祖先にあたるらしいですよ。

 

2. ブレイクの詩で一番有名なのはたぶんThe Tygerだと思います(「虎よ、虎よ!」というSFもある)。テーマや虎の描写はリヴァイアサンに通ずるものがあるなあと思っていたのですが、注釈でも失楽園とともにヨブ記の話が持ち出されており、私だけの妄想ではなくて安心した。彼はヨブ記の挿絵も書いてます。多才だ。

 

この詩人には一方的な親近感を覚えているのですが、実は数年前まではロクに知りませんでした。デビルメイクライで何度も詩が引用されるので初めて読んだくらいです。なんか本を読むきっかけがゲームばかりだな。彼はそのものずばり「ミルトン」という詩も書いているので、そのうちちゃんと読みたいと思っています。

 

3. ここ一週間でブコウスキーの短編集を読んでいたのですが、本当に数ページで終わる掌編が多いため、逆に難易度が高いかもしれない。最初で理解が曖昧だったり何か勘違いしていたりすると、そのまま話が終わってしまうのです。

 

といっても、実質的に作者本人が主人公であるような話がかなり多いので、読んでるうちに何となく分かってくる所もあります。とりあえず読んだ中だと"A DOLLAR AND 20 CENTS"が好きですね。あと"TOO SENSITIVE"の最初。

 

"show me a man who lives alone and has a perpetually dirty kitchen, and 5 times out of 9 I'll show you an exceptional man."

Charles Bukowski, 6-27-67, over 19th bottle of beer.

 

別に私のキッチンが汚いから肩入れしているわけではない。多分。

 

文体としてはちょっとヘミングウェイを思い起こさせるような雰囲気があり、実際、短編集の中でもやたら彼への言及が多いです。皆ずっと酒飲んでるのも共通点か。six-packと言ったら腹筋ではなくビールの6本入り容器の話です。

まあ言葉の汚さは間違いなくこっちの方が上ですね。私は電車で本を読むことも多いのですが、本作は不穏当な言葉が多すぎるので公園で読みました。大差ないか……

思い出せない

1. あまりに何も考えず生きてるような気がするので、しばらく暗い部屋に座って反省していました。散歩するのも結構だが、黙って座っている時でないと考えられないような内容もある。

とりあえず、最近何があったっけ?とか思い返していたのですが、二週間以上前のことになると、驚くほど具体的なエピソードが出てこないのですよね。確かに私は活動量の少ない人間ではありますが、全然何もしてないってことはないはずだ。でも思い出せない。きっと私の走馬灯はスカスカに違いない。

 

昔から意識的に過去を思い出すのが苦手です。学生の時、自分史という名目でこれまでの人生について書かされたことがあるのですが、その時も全然ダメでした。書くことなんか何もねえよと思ってヤケクソな気持ちで内容をでっちあげました。そのエピソード自体が過去回想じゃないかって? 一理ありますが、こういう、覚えてる出来事の密度が著しく低い。

 

恒久的に覚えておこうと決意した内容でないと、細々した記憶がすぐ廃棄されてしまうような仕組みになっている気がします。ある期間に対するぼんやりとした印象みたいなものはあっても、具体的な内容までは思い出せない。一般に、過去というのはほとんど思い出さない方が良いことから構成されているものなので、特に問題はないんですけど。

たぶん私が、いま自力で思い出せる人生の出来事すべてを書き出す気になったとしても、その分量は、たった一年分の日記に遠く及ばないと思います。部分が全体より大きいという矛盾。いや矛盾ではない。質量欠損みたいなものです(?)

 

2. 浮世の画家という本を読み終わったので、今日は図書館に行きました。今さっきタイトルを調べて、floating world⇔浮世という訳であることにびっくりした。執拗にイシグロの本を読み続けているため、一種の過学習でこの人の本だけやたら早く読めるようになっているし、図書館に置いてある長編が枯渇しつつある。でも私たちには、他館からの取り寄せというすばらしい手段が用意されています。おお公共施設!

 

今のところ読んだ全著作に共通しているのが回想の多さですね。しかも大体、「これが正確な会話だったかはわからない」「今語ろうとしている内容からは脱線しすぎたかもしれない」みたいな表現を伴っている。何が実際に起こったことなのか曖昧で、たとえば今回の主人公は、自分の後ろめたさから、やや被害妄想的な状態に陥っている気がします。基本的に語り手のことが信用できない。そういうのが好きです。

 

あと今日借りたのは相変わらず現代の本ばかりなんですが、ちょっとは古い文にも慣れたいので、ポーの短編と詩集も借りた。古いといっても19世紀だし、たぶん何とかなるでしょう。17世紀はやっぱ遠いな……

 

3. 初めてゲームのイベントに行きました。プレイするんじゃなくて展示品とか置いてあるタイプのやつです。行くの怖すぎてすごい冷や汗かいてましたが……

以前だったら絶対こういうの参加しなかったんですけど、気の迷いで予約してしまったため、周囲に怯えながら一周して逃げ帰りました。地獄の門と黄金の枝の写真だけ撮った。気力を使い果たしたので、しばらく外出しないと思います。散歩は除く。

何がしたいのか?

1. 散歩の途中にあった神社で本を読んでいたんですが、くしゃみと鼻水が止まらなくなって早々に退散しました。家に帰っても全然治まらなくてすごい。でも一週間ぶりに少し読書ができてよかったです。サリンジャーのグラース家の話を借りているんですが、難しすぎて完全に心を折られていたので……

 

ナインストーリーズは日本語で読んだことがあって、それと雰囲気は近いかと思ったんだけど全然ダメでした。そもそも冷静に考えるとシーモア・グラースが銃で自殺することしか覚えていない。なんで自殺したのかも覚えてない。特に理由とかなかったかもしれない。いったん諦めて違う本を読んでます。

 

2. 資格の勉強も趣味の勉強もはかどってなくて寝てばかりいる。今週末の収穫はChordWikiに誰かがpoca felicitaとかブレイブリーデフォルトの曲を追加してくれているのを見つけたくらいです。これで一応弾ける。何もやりたくないときにできることって楽器で遊ぶくらいしかないですからね。自分で弾いてみて前々からしっくりこなかったコードがフラットファイブだったことが判明した。こういうのを感覚で当てられるようになったら便利だし格好いいと思います。私は困ったら総当たりするしかない。

 

3. ようやく3月ですが、春って毎年焦るんですよね。行事とか社会的なものではなくて気候のせいだと思う。冬場で全てが停止していたところから、気分だけ先に解凍されて行動が追い付いていない。色んなことに手を付けてすぐやめるのはいつも通りなんですけど、一層落ち着きがありません。

 

別に色々やるのはいいんですが、続けなきゃ何にもならないのですよ。時間だけが勝手に過ぎてゆき、気付けば全部零れ落ちて何もできなくなる。いや、この思い込みこそが私の気分の根本的原因では? 

最近気づいたんですけど、自分の能力に関連して、過去に何かを達成したとか、どこかの時点で認められたとかいうことが、私には十分な慰めにならないようです。今この瞬間に、いつでも好きな時に、それを再現可能な状態でなければいけない。できるけどやらないというのは私の意志で選んだことですが、できないからやらないという状況には選択の余地がないからです。

 

だから私は、自分にできることや知っていることを増やすことにやたら拘泥しているし、それを実現する時間が失われていくことに焦っている。ではどうすれば満足するのかというと、私にとってすべてが可能であり、それらの能力が永久に劣化することのないという状態が必要で……何を言ってるんだ私は……大体、やらないためにできることを増やすという目的自体がかなり変です。

 

いや、これは確かに私の理想ではあるのですが、もう少し目標を下げても許容できる状態というのはあるはずだ。やりたいことを実現するために、そこまで多大な時間や気力を必要としない程度には慣れていて、自己満足できるくらいの質を担保できる能力? やりたいことっていうのは例えば気になった現象を計算したり、一曲通してちゃんと弾けるようになったり、ちょっとした文章を一本書いたり、そういうことなわけですが、現状あまりに気力を要するのでなかなか最後までできない。

Q:そんなのが気楽にできるようなら各分野のプロになれるのではないでしょうか? 

A:そうですね。

できなくて当然なので、結局のところ一つ一つにそれなりの時間と労力を割くしかない。そしてそれは滅多に実現できない……この罪悪感は焦りに寄与している。

 

Q:そもそも何だって罪悪感など覚える必要が? 

A:無為に時間が失われていくのが怖いから?

Q:なぜ怖いのか? 

A:上記のような状態に到達できないまま時間切れになってしまいそうだから?

Q:なぜ到達したいのか?

A:したいことを完遂できないと罪悪感を覚えるから?

Q:なぜ罪悪感を覚える必要が? 

 

おいおい、もう勝手にぐるぐる回っていてくれ。我がことながら付き合っていられません。目的じゃなくて過程を楽しめるタイプの人だったら良かったけれど、私が過程に意義を見出せるのはほとんど散歩だけだ。それはさすがに極論か。すぐ極端なこと言いたがるのは私の悪癖です。いいから散歩しよう。

「正しくない」

1. トースターって、レバー押し下げるとカチッとなって固定されるじゃないですか? あれがうまくいかないので、買って数週間で壊れたかと思って色々試していました。真っ先に疑ったのが、内部でなんかが歪んでバネを抑えておけなくなったんじゃないかってことで、私は安全のために電源を抜いた状態でガチャガチャやっていたんですけど、あれって器械的な仕組みじゃなくて電磁石でバネ抑えてるんですね。調べてみるまで全然知らなかった。

 

だったら内部の歪みではなく、何かが詰まっているか、もしくはパン自体の形状の問題ではないかと思って、パンの向きを変えてみたらあっさり直りました。通電しないと固定できない仕組みと知らないばかりに、私は無駄な試行を……

 

日常生活には原理を理解せずに使っている道具が多すぎます。表面的な操作さえ知っていれば定型作業には困らないわけですが、やっぱり理屈や意図を知らないと応用が利かないし、問題が起こった時に対応することができない。全部の仕組みを理解していて、自分で対処法を考えられたら気分が良いだろうなと思います。でも私たちの使う道具やシステムは複雑化しすぎていて、すべて把握することは無理なので、せいぜい故障に怯えながら生きましょう……

 

2. 今回の休日も酒飲んで鍋食って散歩して寝てただけなんですけど、厚着で散歩してたら暑すぎて、春の訪れを感じますね。春……不安定な季節です。慢性的に憂鬱な冬よりも、ある意味では性質が悪い。行動力は増すんですが、その分やらんでもいいことに手を出すし、焦燥感が強くなるし、あと花粉。ああ私は四季全部に文句を言っている。巡りゆく季節すべてが私の敵だ。しかし良いこともあります。散歩がしやすい。以上。

 

3. 私は根本的に狭量で偏見に満ちた人間なので、自分の知らない・価値の理解できない物事を、あからさまに見下すことも多かったように思います。特に小学生くらいの時はそれがひどくて、私の思う「正しさ」から外れたものを過度に敵視していた。たとえば私が憎んだのは、ルールからの些細な逸脱、罪のないちょっとした揶揄、言葉の誤用や読み間違い、そういう感じのものでした。

 

思えば私はそれらを正そうとしていたわけではなく、単に軽蔑することで、周囲との差別化を図っていた。いわゆる正義にこだわっていたというよりは、正統的なものに寄りかかることで自分の立ち位置を確保しようとしていたんじゃないかと思います。その辺は今でも大して変わってはいませんけど。

 

でも当時はネットをやたら嫌悪していた気がしますね。内輪のスラングとか、差別的なコメントとか、メインカルチャーから外れたサブカル的なものとか、子供のころの私にとっては許せないものでした。何目線だよとは思いますけど……

まあ過激なコメントや汚い言葉はともかく、ほかの内容については、単に知らない文化が怖かったのだろうと思います。今はそこまで趣味嗜好を限定してはいませんし、ミームとかスラングの元ネタ調べるのも割と好きです。

 

でもそれは、単に親しんだものの範囲が広がったというのに過ぎない。今でも知らないものや理解できないものに対して、反射的に軽蔑・嫌悪の念を抱いてしまう性向は変わってないし、それを自覚できるようになったところで、自分の感情を制御できるわけではありません。私の好奇心というのは、理解不能な領域を潰すための働きというか、未知への恐怖心に対する反動形成なのかもしれない。

 

もっと寛容になりたいものです。別に他者のためではなくて、自分の心の平静のために。やっぱり嫌悪しながらも知ろうとすることでしか、それは叶わないのかもしれません。そのためには何かしらの行動が必要ですが、私は行動が嫌いだ……初めからこれほど狭量でなければもう少し楽だったんでしょうけど、まあ仕方ない。

 

ちょっと方向はずれるんですが、昔の私は、他人の作品の出来や品質についてもかなり不寛容で、ちょっとした欠点があるだけですぐ気分が萎えていました。そのへん最近は改善傾向にあり、出力に多少の粗があっても、なんか作者のやりたかった事とか伝えたかった内容が見えると、そっちに感動してしまうようになった気がします。やや不純な気がしますが、楽しめるものが増えるので多分良いことでしょう。曲がりなりにも、自分で何か書いてみたりしたのがよかったのかもしれませんね。

 

4. 魔法少女ノ魔女裁判ってゲームがちょっと安くなってたのでプレイしてたんですけど、面白かったです。ネタバレをします(一応)

 

store.steampowered.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一周目はあんまり合わないかと思ったんですが、二周目以降が好みだったので満足しました。主人公の一人である二階堂ヒロが気に入っています。大上段から独善的な正義を振りかざすキャラに見える(実際にそういう部分はある)んですけど、三周目の裁判パートが特に良かった。少女たちの魔法は過去のトラウマに関係しているという設定があり、このシーンでは諸事情あって、悪魔じみた異形と化した彼女が不本意ながら一人一人の抱える傷を抉っていくことになるんですよね。

私はこういう信念を隠して行動するキャラとか、なりふり構わない言い合いが大好きなので……この辺りの局面で、不必要に露悪的にならない塩梅の調整も上手いです。

ちなみにこれって推理ゲームなんですけど、私は人の話を聞かないので、裁判パートは総当たりでクリアしました。すみません……

べたべた

1. 引っ越して一年弱になりますがようやくトースターを買い、私はこの家において初めて食パンを食べました。感動的だ……エアコンも掃除したしグラスも買ったので完璧です。この反動であと一か月はまともに動くことができません。

 

グラスは主に酒飲む用に買ったんですけど、40円くらいの超安物です。元々百円ショップのプラスチックコップを使っていたので、むしろ値段的にはグレードダウンしている。割れやすかったりするのかもしれませんけど、見た目的には問題ないのでOKです。既にブランデーと日本酒とワインを飲むのに使ったので十分役立っていますね。今、蓄積した空き瓶と缶類で床が埋まっていますが……ゴミ出しをスケジュールしておこう。

 

ところで今週何にも書くことがないです。最近なぜか人と会う用事が多かったためです。私は自分のことしか書かないようにしているので、一人でいる時間が減ると書くことも減ります。まあ、しばらくはまた誰にも会わないでしょう。

 

2. カラオケで黒い森(Aの方)を歌おうとしたら難しすぎて笑ってしまいました。全然声出ないです。そもそもこういう音楽は女性ボーカルばかりなんだ……高い声が出たら楽しそうですが、私には大分厳しい。

 

3. フランケンシュタインの話なんですけど、外国語だとゆっくり読まざるを得ないので、以前全く印象に残らなかったところが気になったりしてきます。ヴィクター自身の話とかあんまり真剣に読んでなかった(まあ自業自得だな……という感じだった)のですが、ちゃんと読むとここも面白い。

 

Anguish and despair had penetrated into the core of my heart; I bore a hell within me which nothing could extinguish. 

とか、

I shunned the face of man; all sound of joy or complacency was torture to me; solitude was my only consolation—deep, dark, deathlike solitude.

とかは、怪物の方の心情と言われたらそう見えてしまいそうな表現です。結局彼らは似た者同士のようです。憎み、苦しめ合い、同じ地獄の火に焼かれる造物主と被造物。

 

4. 英語がある程度読めるようになってきたので、欲が出てきて、酔っぱらった勢いでロシア語を勉強し始めました。アルファベット的なやつと基礎単語を覚えて良い気になっていたら、格変化を見てもう駄目だと思った。なんだよこれは……大人しく英単語を覚える作業に戻りましょう。

 

なんかSVL12000っていう頻出英単語リストがあるらしく、アルクに問い合わせたらcsvをくれたので、これで二、三千語くらいは補充できるんじゃないかと思います。受験の時を思い出しますが、今回は楽に本を読むことだけが目的なので、細かいスペルとかは覚えなくて良い。

 

あとなんか書こうとしてたんですが忘れてしまいました。買ってきたソーダが噴きこぼれたので今日はここまでにします。

指令の導くまま

1. ウイスキーと間違えてテキーラを買ってきたんですけどなんかピクルスみたいな味がしますねこれ。悪くはない。その辺に売ってる酒の種類なんてかなり限られているので、珍しく違うものを見つけたなら、試してみるのもいいでしょう。

 

しかし最近、私のアルコール耐性は加速度的に弱体化している気がします。いつもの半分くらいしかワイン飲んでないのに、酔っぱらって帰ってきてしまいました。安上がりで良いことだ。そうやって節約した金を何に使うのか? 何にも使わないのだ!

 

百均で買ったプラスチックの容器で酒を飲んでいると、たまに惨めな気分になるので、グラスでも買うのが良いのかな? でも、良いグラスなんか買ったら飲酒癖を助長しそうだという考えが、数か月にわたって購入を妨げています。手遅れじゃない? そう思いませんか? 買いましょうか?

 

2. なんだか私みたいに落ち着きのない人間は、こうやって定期的に日記を書いたりするのではなくて、調子の良い時にだけ、月一くらいで書く方が良いんじゃないかと思いますね。浮き沈みがあるのなら、浮いてる時をうまく掴まえればいい。浮いてるときなんて無いよ! どん底だと思っていた時期が、後から見返せばまあまあ幸福だったりするのです。このジレンマは投資に似ている。

とにかく私は、少なくとも一年間、週一ペースを堅持すると決めています。あと二か月弱でちょうど一年じゃありませんか。訳のわからん決まりごとの多い人生だ。いつ決めたのかも定かではない。どうせなら全くランダムに生成した指示を守るっていうのはどうだ? 

  • 午前3時17分、左足だけに青い靴下を三重に履き、郵便受けに向かって「第2章開始」と宣言すること。

  • 冷蔵庫のドアを開ける前に、居住国の憲法第88条を音読し、最後の語尾だけをフランス語風に伸ばすこと。

  • 赤いペンで「透明」という文字を白い紙に書き、その紙を見失ったふりをして10秒間謝罪すること。

  • 机の上にサボテンを3鉢並べ、各鉢に対して異なる天気予報(昨日・来週・火星)を伝えること。

文責 ChatGPT

 

www.youtube.com

 

最近Limbusの9章やったんですけど、私は五本指だと人差し指(さっきみたいに意味不明な指令を盲目的に遂行し続ける組織)が一番好きですね。下位の構成員には目を覆う眼帯が、昇格すると専用の剣が与えられるって設定もなかなかイカしてます。

LoRだと本当にサイコロ振って決めたようなわけわからん指令(もちろん猟奇的なものも含む)ばかりで、こういうランダムネスにある意味拘りがある私としては結構お気に入りでした。Limbusのほうの指令は……あれ何なんだ? 不気味すぎる。理解できなさの方向性が違って、こっちも良かったです。

 

3. 私はいま図書館から日本語の本を借りてはいけないことになっているんですけど、このルールはいつ撤回すべきか。返却期限がなくても、つまり外部から急かされずとも、自然に読めるくらいには英文に慣れておく必要がある気がしますね。

 

今週はThe Remains of the Dayを読み終えたのですが、そろそろ少しずつ時代を遡っていこうと思って、Project Gutenbergにあったフランケンシュタインも読み始めました。少しずつとか言いつつ百年以上ジャンプしているわ。でも思ったよりは読みづらくないです。

 

まあそれは予め内容を知っているからで、初見だったらウォルトンの書簡の中で登場したフランケンシュタインが語り始める(しかも幼少期の話から)という、本題までの遠さに挫折してる可能性があります。遠からず嵐が丘も英語で読み直したいんですが、あっちもロックウッドの一人称から始まってネリーが語り始めるって構造でしたよね? そういえばどっちも19世紀の女性作家だな。だから何ってこともないですが……




以上の内容はhttps://nolonger.hatenablog.com/より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14