1 ただ春の夜の 夢のごとし
26年に亘り自民党との連立を続けてきた公明党が、連立離脱を表明しました。自民党から見れば公明党の離脱は「寝耳に水」であり「青天の霹靂」だったかと思います。
連立離脱に至った理由については、
・高市総裁とその周囲は保守派で固まり、公明党の平和路線と反していること
・連立合意となる前に、自民党が国民民主党との協議を開始したこと
・自民党において政治とカネの問題が頻出したにも関わらず、対策がなされなかったこと
・その象徴とも言える萩生田光一代議士が幹事長代理という要職に起用されたこと
・創価学会が、そんな自民党議員を弁護して応援することに限界を感じたこと
・そして公明党に対して攻撃的な発言をしてきた麻生太郎代議士が副総裁に、そして政治改革を標ぼうして派閥解消を訴えた中で派閥維持を貫いた麻生派から多数の要職を占めたこと
などが挙げられています。

*10月7日、第一回目の高市・斎藤会談。1回目で連立合意に至らなかったのも異例でした(毎日新聞)
2 諸行無常の 響きあり
どれもこれも連立離脱の要因となったと思われます(自民党側が、連立離脱を仕向けたとする「高等戦略」の可能性は、ここでは触れない)。但しその中でも、「なぜか」評論家があまり言及しない理由があります。
2023年に、次期衆議院選挙の候補者調整の拗れから、公明党は「東京における自公の信頼関係は地に落ちた」との激しい言葉を使って、協力関係の解消を通告しています。既に部分的ですが連立離脱を経験したのに、その最大の要因と思われる「譲歩しない」萩生田議員を高市総裁が登用したことに、公明党は堪忍袋の緒が切れたのではないかと思います。
ちなみに高市総裁は「一方的に離脱伝えられた」と述べていますが、政治とカネの問題は以前から対処を依頼し、連立離脱の3日前の協議でも重ねて解決を求めています。また自公の対談で高市総裁は「総裁が私でなかったら連立離脱ということはないのか」と問うたのに対し、斎藤公明党党首は「それは今回の総裁選で誰が選ばれていても同じだ」と答えたといいます。
斎藤党首が言った「誰が選ばれていても同じだ」の言葉を、額面通りに受け取ることはできません。目の前の人に対して正直に言うはずがなく、またその時すでに公明党は連立離脱の決意を固めていたとみられるので、ここで敢えて「こじらす」ことはないと考えたことでしょう。
この3連休であるコメンテーターは「これから今まで見たことがない政治局面に入る」と述べていました。
但し私たちは、こんな局面を31年前に見たことがあります。
3 驕れる者は 久しからず

自民党による長期支配が崩壊し、細川連立政権が誕生しましたが、細川首相も不透明な政治資金の流れから総辞職を余儀なくされました。そのため1994年に次期首班として、元々「本命」だった羽田孜が任命されました。しかし連立政権の中で、小沢一郎(今回の麻生太郎の役回りとカブります)が中心となり日本社会党を「蚊帳の外」において統一会派を結成しましたが、この行動に日本社会党が反発して、翌日には連立政権からの離脱を表明しました。結局羽田内閣は少数与党となり、わずか64日で内閣不信任案が可決して退陣に追い込まれました。
その後日本社会党は「コペルニクス的転換」を果たして自民党と連立を組み、村山政権が誕生しました。しかしこの判断は、日本社会党にとって「終わりの始まり」。政権与党となることで、それまでの党の基盤となる政策を捨て去ることになりました。
4 盛者必衰の 理(ことわり)をあらわす
現在の混迷はまだまだ続きそうです。野党統一を目指して、国民民主党の玉木代表は早くも条件闘争に移行したように思えます。「反自民」を大義名分に立憲民主党が「折れない」国民民主党に譲って、玉木総理が実現したとしても、議員数の背景が余りに違いすぎ、またそれ以上に「文春」が手ぐすね引いて待っているはずです。対して比較第一党の自民党・高市総裁の首班指名がされても、羽田内閣のように短命で終わらざるを得ないはす。
そこでは今回「1回休み」をするであろう公明党がキャスティングボードを握って、またすぐに(いずれかの)政権与党に返り咲く可能性があります。元々公明党は支持母体の創価学会の高齢化が顕著なため、政権に入り込んで自らの政策を反映させなければならない、切実な事情があります。
しかしこれは日本社会党と同じく「終わりの始まり」になる可能性をはらんでいます。
それが政党政治の終焉にならないことを、祈ります。

*1989年、高市早苗が政治家になる前に著した、清冽なエネルギーが詰まった本。「納税者のために」訴えた当時の想いが、「安倍派別動隊」となって薄れてしまった印象を受けます。