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13-1 韃靼疾風録 ① 司馬 遼太郎(1987)

 

【あらすじ】

 時代は江戸時代初期。肥前平戸藩士の桂庄助は、漂着したアビアという女性を助ける。漢字がわからいアビアとの交流の中から、アビアは韃靼 (タタール) 人で、金国を築いた民族の英雄ヌルハチの親族にあたる公主と知る。藩主の松浦宗陽は明と金国の今後を見定めると共に韃靼民族との交易も見据え、庄助にアビアを韃靼に送り届ける役目を、そして福良弥左衛門に明国を偵察する役目を命じる。

 

 靱靭は余りにも遠い。朝鮮の役がまだ記憶に新しく、朝鮮国に上陸すると「倭人」は命の危険が予測された。「牝鹿」のように若く美しいアビアへの思慕と藩主の命の狭間に揺れ動く庄助は、果たして山東半島から南風に乗っていくと、朝鮮側の皮島に漂着した。

 

 皮島では1619年、サルフの戦いで韃靼 (後金国)に大敗した明の武将、毛文龍が抵抗を続けていた。韃靼はヌルハチが民族を統合して明側の出城を次々と攻略し、万里の長城の東端にあたる山海関に迫る勢いを見せていた。朝鮮は宗主国の明には従うが、民に下った毛文龍を支援するには至らない。庄助はアビアと夫婦と偽るが、毛はアビアを敵の韃靼人だと見抜きながらも、庄助を利用して日本から支援を受けている、と周囲に信用させた。

 

 身分を偽った庄助だが藩主の主命に思い悩み、危険を承知でアビアの正体と自らの目的を毛文龍に打ち明けると、韃靼を目指すことを許される。川を上って草原を渡りアビアの生まれた王城に辿り着くが、廃城となっていることにアビアはショックを受ける。そこにアビアと幼馴染のパードラが現れて事情を説明する。アビアの父は伯父のヌルハチの目を盗んで明に通じた疑いによって、母とともに死罪を受けていた。そして行方不明になったアピアも明に逃れたとして、両親と同じく「縊る」よう命令を受けていた。

 

  ヌルハチウィキペディア

 

 庄助はアビアを助けるために必死で弁明する。そこにはアビアが語っていなかった事実をあり、目を丸くするアビア。幼馴染のパードラもアビアを助けたいがために、庄助をヌルハチのいる瀋陽に連れて弁明させる。しかし謁見を待つ間に、民族を統合した英雄のヌルハチ崩御してしまった。

 

 嫡子相続ではない韃靼民族では、兄弟の中で能力のある者が後継になる。ヌルハチの後継は第8子にあたるホンタイジが大汗の地位についた。ホンタイジは頭の回転が早く、庄助の弁を信用した。そして日本の鉄砲や鎧兜に興味を持って、明の戦いに従軍させることを命じる。

 

 状況からホンテイジの命に従わざるを得ないと判断した庄助。そのため遂に平戸藩主の命を反する決意をした。そのことは、心の中で葛藤していたアビアへの思いを遂げることも意味していた。

 

  

 

 

【感想】

 司馬遼太郎最後の長編小説。当時期待して手に取ったが、司馬遼太郎にしては珍しく架空の人物を主人公として、また馴染みのない女真族 (韃靼:タタール)を舞台に描いたために、その基礎知識がない私は小説の核心に迫ることができなかった。司馬遼太郎らしい(?)比喩を使えば、日本人になじみのない題材を説明するための「天ぷらの衣」が多いがために,素材のタネを味わうことができなかった印象。今回中国の歴史小説を時代順に読み、特に匈奴モンゴル民族と中国王朝との関わりを勉強してから再読すると、多少なりともその核心に「近づいた」ように思える。

十七世紀の歴史が裂けてゆく時期」とあとがきで記した時代、極東アジアを舞台に様々な民族が交錯する。明の地は構築物の部品の1つ1つや肥料によって黒々と手入れされた田畑から、文明が長年の積み重ねによって築かれている様子を描写している。しかし漢民族については、武将の毛文竜や皮島から庄助を慕って行動を共にする石伏魚を通して、脂肪を多くまとい力仕事をしない人物が、仁者として敬われると教えられる。朝鮮民族については儒者を象徴として、宗主国明に対する「面従腹背」な感情と、倭に対して「倭奴」と呼ぶ蔑みの思い、そして教条的とも言える固執した考えを吐露させている。日本人の桂庄助は、武士として主君から受ける「主命」と、アビアへの「愛」という人間の素の狭間で苦しむ。

 対して女真のアビアを、スリムな「2歳ほどの牝鹿」と例えた。虎などの猛獣に対するために常に姿勢が良く、余計なことを考えずに、正直に気持ちを庄助にぶつける「素」の人間として描く。アビアと庄助がお互いの言葉を学ぶ中で、馬の種類や人体部分の呼称などの豊かな語彙から、女真族の特性を浮き上がらせる。また「北虜」のモンゴル族が完全な遊牧民族なのに対して、「東韃」の女真族は豚を飼い田畑をこしらえるため、時に長城を越えて漢人を拉致する民族性の違いも説明している。

 明、朝鮮、そして日本。教育が進み文明が爛熟していくと、女真族に比べて「天ぷらの衣」が厚くなり、人間の素、即ち「タネ」が見えなくなる。そんな中で庄助は主命という「衣」に縛られていた生き様が、女真族と接しアビアへの想いという葛藤を通り抜けることで、徐々に衣を剥いで自分の「素」が明らかになっていく。そしてアビアと結ばれることは、村上春樹の小説で描かれる「扉の鍵」の意味を持つ

 

  ホンタイジウィキペディア

 

 司馬遼太郎は小説 「城塞」の中で、同時期にスペインで上梓ざれた小説 「ドン・キホーテ」を取り上げている。17世紀、騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士が、遍歴の騎士「ドン・キホーテ」と名乗って冒険をする物語。西洋でも騎士道という「衣」が厚くなり、人間の「素」を忘れてしまった物語が発刊されている。 そしてこの頃西欧では大航海時代が進み、後のアジアに大きな影を落とす「東インド会社」が設立されている。

 本作品の主人公の庄助は、家康の間者として大坂城に侵入した「城塞」の主人公の小幡勘兵衛のように、漢人や女神族から一歩引いた視点から、あるときは当事者、あるときは「民族の観察者」としている。

 

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