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10 中原を翔る狼 覇王クビライ 小前 亮(2012)

【あらすじ】

 偉大なる皇帝チンギス・カンを祖父に持ち、モンゴル第4代の大カアン・モンケの弟のクビライは、殺戮を繰り返すモンゴル軍の中では異例の「不殺」を旗印として軍を率いていた。更に勝利の「褒美」とも思える掠奪も禁じていたため、モンゴル歴戦の勇者たちは、物足りなくもあった。

 

 大理国チベットを降伏させて次は南宋攻略。しかしクビライは南宋の攻撃には慎重だった。対して性急に結果を求める大カアンのモンケは不満を持ち、チンギスの弟で英雄オッチギンの孫、タガチャルを抜擢して南宋征服を命じが、タガチャルは器量がなく撤退してしまう。モンケは再びクビライに南宋攻撃を命じると共に、自身も南方に迂回して挟撃を図る。しかし風土病に冒されてモンケは軍中で病死する。

 

 モンケの子は幼く、モンゴルの末子相続の伝統からすると、後継はクビライの弟アリク・ブケが有力と思われた。しかしクビライは崩壊寸前となった軍隊を助け出し、中原に待機して歴戦の武将たちを味方につけると、カアンの即位を一方的に宣言する。その報を聞いたアリク・ブケも即位し、モンゴル帝国は一時的に2人のカアンが並び立つ事態に陥った。

 

 首都を支配していたアリク・ブケだが、周囲を包囲したクビライによってたちまち補給困難に陥った。焦ったアリク・ブケは裏切った一族を殲滅するが、それを見て周囲が離反し、体勢は決した。クビライに降伏するアリク・ブケは自分とクビライの「器の違い」を思い知り、翌年亡くなる。そんな中二代カアン・オゴデイの孫のカイドゥはクビライに屈せず、ゲリラ戦で抵抗を繰り返していく。

 

 後継争いを制したクビライは宋攻撃に本腰を入れる。類い稀なる情報網で敵国の宰相・買以道を戦慄させ、南宋優位の水軍についても、クビライは民族に関わらず人材を集めて対策を練り、南宋を追い詰めていく。襄陽で降伏した武将・呂文煥を、南宋にも勝る厚遇を与えて呂文煥を感激させる。

 

  *クビライ(ウィキペディア

 

 クビライは漢人を集めて中書省を新設して中国式の政府機関を整備し、国号を「元」として首都も大都(北京)に移した。財務面ではイスラム教徒を登用して、不換紙幣を発行して通貨を統一するとともに、専売や商業税を充実させ、富が大都に集積されるシステムを作り上げる。この時期、ヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロを初め多くのヨーロッパ人が訪れた。

 

 晩年に起こした日本攻略は失敗したが、クビライは79歳で亡くなるまで統治を続けた。その心底をなかなか吐露しないが、「不本意な命令を聞かなくてする」としながらも、「ときに不本意な命令を出さざるを得なくなる」と側近のヤズディーに珍しくこぼした。

 

 カイドゥと連携して叛乱を起こしたタガチャルの孫ナンテを、70歳を超えたクビライ自らが陣頭に立って制圧する。改めてクビライの偉大さを知ったカイドゥだが、ヤズディーからクビライの言葉を聞かされると、カアンの座を狙う人生を歩んできたカイドゥは、言葉を失った。

*クビライを巡る家系図

 

 

【感想】

 モンゴル帝国第五代の「カアン」として長年君臨し、念願の中国統一を成し遂げて国を最大版図に広げ、勢力の絶頂期に導いたクビライ。その人物造型は繊細で複雑、そして巧緻で観察力は鋭い。普段は寡黙でありながら時に果断で、難局では自らが全面に出ることを厭わない、モンゴル人というより「徳」を体現した人物として描いた。

 本作品の中で印象的な挿話が1つ。カアン・モンケ崩御したあと、南宋の買以道が講和を望む中、クビライが先回りして貴重な美術品を送る場面。クビライはこのような機会もあると考えて、戦いの前に買以道の嗜好を調べあげた周到さを知らしめることで、敵に戦慄を与えている。

 これは1972年、田中角栄が訪中して日中国交正常化交渉を行なった際のエピソードを思い浮かべる。事前に中国側は角栄の嗜好を徹底的に調べ上げ、食べ物から飲み物、空調の温度まで好みに合わせた。このことで日本側は、これからの交渉の難しさを痛感したと言う。

 

 確かにクビライはモンゴル帝国の中で、皇帝に相応しい存在だっただろう。しかし本作品にも書かれているが、モンゴル民族は戦いに効率性を求め、目的に一直線に進んでいくのが強さの源泉でもあった。皮肉にも漢民族を統治することで、元々は文字を持たず(記憶させる紙を持たず)、宗教や教義に影響されない人間の「素」から離れていく。モンゴル民族のアイデンティティを喪失することになり、帝国がなだらかに落日へと向かう「終わりの始まり」だったのではないだろうか。

 しかし自らは宗教を持たないことで、他の宗教や民族そして知恵を受け入れて、ユーラシアの大半を統治した手法は、宗教や国家による束縛が紛争のタネとなる現代から見ると、極めて興味深い。

 

*敵の全てを殲滅する「クビライの恐怖」と戦った北条時宗

 

 最後に。本作品ではクビライを美化して描いた印象は拭えす、このままでは片手落ちの感が残る。イタリアを視座に置いて世界を俯瞰する塩野七生は、凄まじい殺戮でヨーロッパを蹂躙したクビライに対する西洋の反感を直截に語り、その上でクビライの征服を防いだ北条時宗に対して最大限の賛辞を送っている。

「日本が、この一見平和愛好的な国書を受けて交渉に入ったとして、誰が、高麗や南宋のように、日本も奴隷化しなかったと保証できよう。交渉に応ぜず、はじめから武力防衛に方向をしぼった時宗は、相手がモンゴルであっただけに、的確な判断をくだしたと思われるにちがいない」

「(ヨーロッパや中近東にすさまじい影響を与えた)モンゴルに征められながら、これを撃退した民族は、日本人だけである」  (『男の肖像』より)

 

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