- 価格: 325 円
- 楽天で詳細を見る
【あらすじ】
耶律家は遼(契丹)の太祖、耶律阿保機の流れを汲み、契丹から漢化された一族にあたる。遼に女真族が攻め入り金王朝を建国したが、父の耶律履は漢文化に精通する人材として、金王朝の宰相に抜擢された。父の履が高齢の時に生まれた末子を「楚材」と名付けたのは、春秋の時代、強国楚の人材が流出し、他国で活躍した故事にちなんだもの。だが実際は、偉大なる世宋が崩御した後の金の将来に、不安を感じたこともあった。父は間もなく亡くなるが、父の思いを察した母の楊氏が、楚材を厳しく育て上げた。
その金王朝は南方に逃げ込んだ宋との戦いを優位に進めていたが、同時に遊牧民族間に紛争の種を蒔き、お互いが戦って自滅することを目論んでいた。しかしその考えは裏目に出て、紛争の中から戦争の「天才」が生まれる。その名はチンギス・ハン。チンギスは騎馬隊がぶつかり合う戦法を一変させ、組織と軍律を定める強力な軍隊を築き上げた。また配下への褒賞も平等に気を配り、周囲の民族が続々とはせ参じて、瞬く間に一大勢力を築き上げる。
蒙古軍が金に攻め入り、1214年には首都燕京(現在の北京)が陥落、耶律楚材は蒙古軍の捕虜となったが、堂々とした風貌と態度、そして天文学や漢文化に精通していたためチンギスの目に留まり、近臣として仕えることになった。チンギスは西夏や南宋などを平定するには時間がかかると見て、勢力を大きく西へと展開した。楚材は蒙古軍に随行して占星術師として働き、そのときの体験を「西遊録」に残した。
*耶律楚材
しかしチンギスの在世では、ユーラシアそして中国本土の統一には至らなかった。チンギス死後の後継者争いは、元々長男と次男は仲が悪く、またモンゴル民族は末子相続が伝統であったため、末子トルイを推す家臣も多かった。その中で楚材は、チンギスの思いは後継を長男と次男の仲裁役として人柄の良い三男のオゴデイだと知り、クリルタイ(血縁類者が集る意志決定機関)に参加して、オゴデイの後継を認めさせて、チンギス亡き後の分裂の危機を回避した。
オゴデイは即位すると楚材を重用する。新たに獲得した領地の支配について、当地流の支配を取り入れて、統治を旧政府から上手く継続させた。モンゴル流の「乱暴な」意見が出る中、楚材は時に激しく反対すると同時に対案を出して、モンゴル民族と統治下の双方が融和する政策を模索していく。捕虜を皆殺しにする意見を押し止め、戸籍をつくって中国式税制により帝国を潤し、皇帝オゴデイを喜ばせた。
しかしオゴデイが没した後は王宮から遠ざけられ、チンギスから最初に命じられた占星の役職に留められた。そのまま静かに生活して3年後に没する。死後、楚材は私財を隠匿したとの諫言があったが、遺産は琴と書物ばかり。楚材を頼りにしていたオコデイの皇后は「楚材とはそんな男であった」と評した。

*チンギス・ハンが登場した頃のモンゴル周辺図(堺屋太一「チンギス・ハン」より)
【感想】
耶律楚材は日本では立派な政治家として評価されている、と作家の陳舜臣は語っている。しかし中国では漢民族ではないこともあり、それほど有名ではないという。楚材の伯父阿海は早くからチンギスの軍門に下り、一軍の将を任される一方で、金国内では裏切り者扱いされていたという。金が攻められて捕虜になった後とは言え、「敵国」で重用されてその侵略の手助けをするのは、色々と誤解が生じると思われる。
モンゴル独特の文化は、大草原で生きる遊牧民族らしく文字や宗教によらない独特のもの。時間を置いて冷静になってみると、明らかに異文化であったモンゴル帝国が中国を、そしてイスラムやキリスト教が支配する土地を統治するには難問が多い。モンゴル特有の「力づく」だけでは、広大な領土を保持しえないことは明らか。
そこで「モンゴル流」を押し付けるのではなく、土地の風土に合わせた支配方法を工夫して、歩み寄りを見せる「緩衝材」の役割を、楚材は果たした。これは後藤新平が台湾統治で行なった手法でもある。作品の冒頭では、寺の小僧の鉄壁らが漢文化における仏教の見方も交え、シャーマニズム(呪術)などの自然崇拝を主としていたモンゴル民族との相違を浮かび上がらせている。
最後の章「故山に帰らん」はあまりにも淋しい。楚材を重用したオゴデイが崩御するに伴い、チンギスの一族も次々と亡くなり、更には子にも先立たれる。皇帝の代替わりに合わせて身を引いた後、唯一の趣味と言って良い琴を弾きながら、自ら名付けた「故山吟」を詠う楚材。70歳を過ぎてまだ生きている母が住む故山を思い、帰りたいが帰れない立場。「楚材」として生きた人生を噛みしめている。

*偉大な父チンギス・ハンを継いだ2代目皇帝のオゴデイ(ウィキペディア)
戦後日本国籍を剥奪されて一時期中華民国(台湾)の国籍となった陳舜臣。江戸川乱歩賞でデビューするも、近代中国を理解するために中国の歴史を古代から学び直している。そんな経験を経た陳から見て、耶律楚材の存在は中国史上でも小説として格好の「素材」に写ったはず。
物語は「政権を担当する者は、自分をおとしめ損なうようにして権力を行使しなければならない」という故事を、楚材は実践したとして結ばれている。
よろしければ、一押しを m(_ _)m