【合本版】チンギス紀(全十七巻)【電子書籍】[ 北方謙三 ]
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*組織論、文明論から論じた堺屋太一に対して、「漢」が際立つ北方謙三作品
【あらすじ】
十三翼の戦いが行なわれた頃、父の盟友トオリル・ハンは内紛により部族を追われ、ウイグルや西夏、西遼などを放浪したが、チンギス・ハンの勢力が回復すると合流し、チンギスとトオリルと義父子の関係を結んで同盟する。両者は1196年に中国の金に背いた有力部族タタルをウルジャ河の戦いで破り、この戦功によってチンギスは金から「百人長」の称号が与えられ、歴史に初めて登場した。
チンギスは次々と各部族を制圧してモンゴルを糾合する。対して盟友だったジャムカは反チンギス連合を結集し、チンギスが幼い時に捕えられたタイチウト族のタルグアイらと組んで対決姿勢を鮮明にする。しかしチンギスが組織した「人間(じんかん)に差別なし、地上に境界なし」を旗印に掲げ、十人隊、百人隊、千人隊と十進法に基づき、命令を遵守する規律に守られた軍隊は機能的で強靱だった。ジャムカは敗れ、チンギスの前で潔く死を望んだ。
ジャムカを倒した翌年の1206年、正式に即位してモンゴル帝国を建国する。戦場では立ち上げ当時から古参でのボオルチェとムカリの「四駿」を左右対照に配置する一方、占領した領地は親族や子たちを分冊して統治させていく。またウイグル人のコルコスンが築き上げた防諜機関は、将来の敵国に早くから潜入し、内情を調査するとともに撹乱することで、チンギスのしたたかな戦略を担っていた。
モンゴルには鉱物の産出がないため金貨や銀貨の存在はなく、「羊」が売買の単位だった。帝国を築き通貨の必要性に迫られると、財務長官に就任したヤラワチらの知恵で、金銀の兌換で流通していた通貨を改め、世界で初めて不換紙幣を流通させた。
*トオリルを歓待するチンギス(ウィキペディア)
モンゴルの南に隣接する西夏や金国に攻め入るが、攻略に時間が掛かると見るや、軍勢を大きく西へと展開する。その動きは中央アジアの西遼、そしてカスピ海に望むイスラム教ホラズム王朝にまで及んだ。皇帝ムハンマドは版図を大きく広げた英雄であったが、情報戦にも巧みなモンゴルの内部工作と騎馬団による激しい戦闘に為す術もなく敗退し、最後はわずかな供に見守られ、衣一つで埋葬される寂しさだった。
西伐で成果を上げたチンギスは改めて西夏を迫り服従させた。しかしその後の命令に従わない西夏に業を煮やし、チンギスは西夏を殲滅させる決意を持って戦いを挑む。西夏軍は30万以上を擁して黄河の岸辺でモンゴル軍を迎え撃ったが為す術なく敗れ、西夏は降伏した。
西夏は降伏したが、チンギスは金からの降伏は拒否し、断固として滅亡させる決意で臨む。金に侵攻し次々と城を落としていくが、そこでチンギスは病に倒れる。金そして南宋を攻略し中国統一を目指し、信仰の自由と身分差別の解消、そして世界規模の交易を目指したチンギス・ハンは、その夢を子孫に託して1227年、66歳で世を去った。

*チンギス・ハンの征服進路と、モンゴル帝国の版図
【感想】
堺屋太一は本作品で、「人間らしい文明」の要素として6つ上げている。①弓矢、②加熱加工、③牧畜、④農耕、⑤文字、⑥通貨(第3巻64頁)。これによって文明は段階を踏んで発展してきたが、チンギス・ハンは、農耕、文字、通貨がそれほど普及していない中で生まれてきている。そんな中から版図を広げて文化の異なる地域を統治していくが、その過程は各国の慣習を尊重しながらも、モンゴルの思想に息づいた制度を能力のある異民族の官僚たちを使って現実のものにしていく。
これはどうしても織田信長と比較してしまう。当時流布していた大人たちの「常識」を始めから疑って、自らの「合理的な考え」を実証的な作業を通して確立し、矛盾する「中世」的制度は徹底的に破壊した上で自らの考えを全国に広めていった。そのために守旧派という「矛盾」は徹底的に殲滅に至らしめるが、武装解除した宗派には禁教せず信教の自由を(とりあえず)保証し、一般民衆には自由な交易や行動を保証した。
とは言え私は堺屋太一氏の考えに全面的に叩首することはできない。織田信長は例え敵国でも、後に統治する一般民衆への保護には気を遣ったが、チンギス・ハンはその征服活動によって、当時5000万人ほどいた中国の人口が、わずか30年後に900万人ほどに減ったという。またアフガニスタンへの侵掠は特に目立ち、徹底した破壊と虐殺が行なわれたため、「彼らは来た、破壊した、焼いた、殺した、奪った、そして去った」との有名な記録が残されている。
堺屋太一はその点を「安上がりの軍事」と称して大量報復戦略と述べている。広がった領土を駐屯するには軍勢が足りないため、恐怖によって支配するのはやむを得ないと肯定する。これは第二次大戦に至るまで世界で繰り返されたものとして、モンゴルだけではないと言い添えて。
しかし少なくとも武器が大きく変化した近代とモンゴル帝国を、比べるべきではない、と私は考える。また「安上がり」に支配するために、一般民衆も含めた大規模な虐殺を行なうのは、本作品でチンギス・ハンが旗印に掲げた「人間(じんかん)に差別なし、地上に境界なし」と矛盾する。

*当時の騎馬戦を描いた図(ウィキペディア)
確かに様々な民族を差別なく登用して新しい帝国を築き上げた。しかし「世界を創った男」とまでの評価には首を傾げる。チンギス・ハンの統治は中央アジアではある意味20世紀まで続いたと記しているが、モンゴル帝国が滅亡すると世界はモンゴル流から「針を戻す」作業を行っている。
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