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【あらすじ】
李隆基の幼少期は「武韋の禍」。祖母の則天武后が行なった恐怖政治の後、譲位した中宗の妃・韋皇后が娘の安楽公主と謀って、夫の中宗を毒殺する。その上隆基の叔母で武后の娘である太平公主とその取り巻きとの暗闘もあり、王宮は女性を中心にさらに混迷を深めていた。
隆基の従兄が韋后に叛旗を翻すも失敗したのを見て、隆基は宦官の高力士と慎重に陰謀を巡らして行く。臆病な性格を演じて周囲を安心させ、まずは太平公主と協力して韋皇后一派を一掃した。武則夫により廃位された父睿宗が復位すると、兄に代わって皇太子となる。そして712年に玄宗として即位すると、太平公主を殺害して実権を掌握した。
武則夫の元で治世に手腕を発揮した姚崇(ようすう)・宋璟の両宰相を、玄宗は過去の経緯を水に流して登用する。姚崇は体制の刷新と法整備を迅速にこなし、唐の国力を絶頂期に導いた。宋璟は儒者出身者として皇帝の威厳を保つべく、税金を徴収して政治を安定させることに努める。周辺の国々も長安に朝貢することになり、唐の国威は八方に広がった。
平和が続くにつれて、玄宗は政を支配する緊張感が弛緩してくる。王宮では宰相は宇文融と崔陰甫の縁故組と、張説や張九齢など科挙出身との抗争が激しくなる。737年に愛する皇后武恵妃が亡くなることで、政治からも倦み始めた。宦官の高力士は、玄宗の息子寿王の妃となっていた楊玉環が玄宗の後宮に相応しいと思い、息子を離縁させてまで妃とする。玄宗はたちまち虜となり、龍愛を得て皇后に次ぐ貴妃の地位に昇り、楊貴妃と呼ばれることになった。
楊貴妃に没頭して政務から遠ざかった玄宗に代わって、宰相の李林甫が実権を握った。しかし李林甫は狭量で敵も多く、あえなく殺害されてしまう。その後に実権を掌握したのは、楊貴妃の親族楊国忠と、肥満だが不思議なユーモアで玄宗のお気に入りとなった節度使の安禄山である。安禄山は楊貴妃の養子となるなど、両者は玄宗夫妻をめぐって激しく争った。
楊国忠が安禄山を玄宗に謹言したことが契機となり、安禄山は叛乱を起こして皇帝を名乗り、玄宗は蜀の地への逃亡を余儀なくされた。その途上、玄宗の周囲は安禄山の政敵である楊一族に恨みを向け、楊国忠は兵士たちの手で殺害される。さらに楊貴妃も命を狙われ、高力士と元の夫の寿王に見守られて自死を遂げた。認知症が進行していた玄宗は譲位を余儀なくされ、戦乱が収まり長安に戻ったのちも、半は軟禁状態のまま崩御した。
【感想】
「武韋の禍」を収束させて唐の国力を最盛期に導いたとされる玄宗皇帝だが、その輝きは皇太子として韋皇后一派を駆逐し、即位して間もなく太平公主を殺害するまでの短い期間のように思える。確かに有能な士を登用して政治を任せたために治世は一旦安定したが、玄宗自身の思想は見えてこない。
そして「開元の治」と呼ばれた玄宗治世期の後半は、楊貴妃や安禄山など、玄宗の近臣によって政道が乱れ、遂に安史の乱を引き起こしてしまう。登場人物の紹介欄でわざわざ「恩陰系」「科挙系」「寵愛系」と選別して、出世の糸口を簡潔に示している(他に高力士の「宦官系」もある)。
その中で吉備真備や阿倍仲麻呂などの遣唐使を登場させた。阿倍仲麻呂は困難な科挙の試験を、優秀な成績で合格したとしている。塚本靑史は「煬帝」で聖徳太子による遣隋使を、冒頭の「日出ずる処の王子」の部分はなく、その後の文章から、当時の日本人知識層の優秀さを紐解いたが、その挿話をここで拾って、更に高めている。
しかし科挙制度は既に透明性を失っていた。縁故で優秀な成績を収める者、科挙を嫌った宰相が合格者を出さず、杜甫がその「とばっちり」を受けたこと、そして安禄山のように金に糸目をつけずに強引に合格させようとする者も描き、これが唐の滅亡に至る伏線となっていく。
日本で敷かれた口分田制度や三世一身法などを紹介しながら、唐の土地制度について触れている。「本場」でも土地制度や戸籍制度に齟齬が生じ、安定した税収入が得られなくなる。広大な土地が広がる中国では、乱世になると正丁(成人男子)が逃散して(戦死もある)、戸籍上人口が半分以下に減少してきた。農村の働き手を固定させるのは至難の業となり、こちらも唐の滅亡へと導く要因となっていく。
本作品で登場した安禄山はイラン系とカザフスタン系の混血で、商人から軍隊に入り出世する、国際色豊かな唐の象徴的な人物。体重は200キロを超え、独特のユーモアで玄宗皇帝の心を掴んで出世するも、政争に巻き込まれると叛乱を起こして、玄宗を窮地に追い込む。
楊貴妃と安禄山、共に皇帝の寵愛が仇となる。安史の乱を契機に、絶頂を極めた唐王朝は次第に衰退していく(塚本靑史は「安禄山」も発刊していますが、本作とカブるので今回取り上げることは控えました)。
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*幕末薩摩の島津久光は、兄斉彬の敬慕が激しく自分に反抗する西郷隆盛を、肥満なこともあり「安禄山」と呼んでいました。
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春秋戦国時代から唐王朝の滅亡までを辿った塚本靑史の20選。同じく古代中国を扱った宮城谷昌光は「正史」を頼りに自ら人物造形を行い、死後の俗説を排除して人物の「素」に迫りました。対して塚本青史は、後世の評価もその人物の一部として捉え、時折自らの視点を加えることで、読者に馴染みがありかつ新たな光を与えた人物像を作り出しました。
そしてこの時代は、黄河文明が起源の長安を中心とする中原が栄え、そして衰退する過程と重なります。遊牧民族と時に戦い、時に混じり合いながら、中原の支配を続けた漢民族。この後は異民族による侵掠が本格化し、中原が奪われ華南に逃れ、そして華南から反旗を翻す過酷な運命が待ち構えます。
そう考えると塚本青史が舞台とした期間は、漢民族の古き良き時代と言えるのかもしれません。
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