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19 則天武后(2018)

【あらすじ】

 後に則天武后と名乗る武照は、傍流の貴族で隋から唐への易姓革命を渡り歩いた武士彠の次女。母の楊氏は隋王室とも繋がる財産家で、子女への教育は熱心だった。武照(李世民からは媚娘と呼ばれた)は利発で父から可愛がられたが、兄弟や従兄弟たちからは疎まれていた。

 

 美貌と聡明さが周囲の目に留まり、武照は後宮に入る者を選抜する目的の教室に入り、間もなく皇帝太宋李世民)の後宮に選ばれた。但し「李に代わり武が栄える」という流言が蔓延すと、李生民は武とは武照ではないかと疑い、寵愛が薄くなり武照を遠ざけていった。

 

 皇太子の李治(高宗)は、父とは似つかぬ凡庸で依存心に満ちた性格だった。武照のテキパキとした性格にすっかり魅了されて、次第に武照にマインドコントロールされていく。皇帝が崩御すると愛妾たちは全て出家するのが慣わしだが、武照はそれを逃れ、高宗に即位した李治を操っていく。

 

 高宗には王皇后と寵愛していた蕭淑妃が控えて権勢を振るっていた。武照は自ら生んだ娘を殺して、王皇后が殺害したと言い立てて皇后の座から降ろし、合わせて蕭淑妃も罪を被せると、2人の手足を奪って酒甕に入れる残虐振り。高宗は為す術もなかった。

 

 父太宗の愛妾という経歴だが、周囲からの反対を押し切って武照が皇后の座につくと、もう歯止めは効かなくなった。最後まで皇后昇格を阻んだ高宗の伯父、長孫無忌を自殺に追い込み、一族も皆処罰される。そして皇后昇格に反対した者は、皆同じ運命を辿った。

 

 皇太子に冊立された子のは次期皇帝に相応しい人物だったが、武照にとっては邪魔者でしかない。母の武照は弘に毒を飲ませて殺害し、1ヶ月後白骨化して発見された。次に皇太子となった弟のは、男色の性癖があり皇帝に相応しくないと、謀反の罪を着せて廃位させたが、実はこの子は武照の姉の子で、出産間もない姉の命を奪って自分の子として育てたとされている。

 

  則天武后ウィキペディア

 

 高宗が55歳で亡くなり子の中宗が即位するも、韋皇后が武照を真似て傀儡しようとしたことに立腹し、帝を廃して弟の睿宗を即位させた。反対勢力を一掃すると女帝出現を暗示する預言書を全土に流布させ、皇帝のみが許される「明堂」を建築して、帝位纂奪の準備を行う。そして690年、武照は自ら帝位に就いた。太古の国家「周」の流れを汲む「武周」とする。

 

 高句麗征伐を成し遂げ、貴族は頼らず野の賢人を見出して治世を行ない、内政面では安定した世を現出させた。しかし皇帝となってからは、色欲に陥り権勢に翳りも見えてきた。自らの子を差し置いて、武一族で皇位を継承させる意向に厳しい反対を受けると、自らは帝の座を譲り一旦廃位された中宗が復位して、唐が復活する。

 

 

 

【感想】

 子供の時から雨女として、雨が幸運をもたらすと信じた、利発で好奇心旺盛で美貌も兼ね備えた少女武照。しかし後宮に入り王族と接触を持つことで運命が大きく変わる。ちょっとしたきっかけから権力の端緒に触れ、高宗という「傀儡(くぐつ)」を手に入れることで、どんどんと権力そのものをたぐり寄せていく。類い稀な判断力と実行力で、ついに中国史上唯一の女帝にまで登り詰めた。その軌跡は王莽を思い出させる。

 

  則天武后の「傀儡」、高宗(ウィキペディア

 

 そのためには自分の親族どころか、子までも犠牲にすることを厭わない「サイコ」とも言える感情に至る。皇后や夫の愛妾の手足を切断して甕に閉じ込める残虐性は類を見ない。かつての目上の立場の王族たちも含め、対抗勢力を徹底して「排除」するやり方は余りにも凄まじく、前漢呂后や清末期の西太后と共に、中国3大悪女と呼ばれるが、その筆頭格に相応しい。

 そのためか、本作品では則天武后の「ドロリ」とした内面が描き足りない不満が残る。少女が徐々にモンスター化していく様子はわかるが、そんな行動を取らせたモトには何があったのかが気になるし、「サイコ」ならば心理の異常性を描写して欲しい。この物語のテーマは、ある意味「サイコ」の成長物語であり、「敵」を排除するやり方は果断にして冷徹。

 下巻の副題を「万歳通天」編としたのは、則天武后が定めた年号の1つで、作者は「読んだそのまんま」と、天に思いが通じる意味と書いている。有名な水戸光圀の「」に代表される則天文字を編み出し、改元も毎年のように行なった。その年号には「神功」があり、皇帝を天皇と呼ばせた。この後間もなく古事記日本書紀が編纂されており、日本は則天武后から大きな影響を受けたことがわかる。

 

 塚本作品は倭との関係を触れているが、本作品は白村江の戦いとなっている。新羅の助けに応える形で百済と倭の連合軍を打ち破り、その後「因縁の」高句麗を滅亡させることになる。倭の天智天皇は唐を恐れ、都を近江に遷都して筑紫に水城という要塞を準備するほど追い込まれてしまう。この時期に倭を「日本」と改め、唐への臣従を表わしたとする説は卓見。

 何とも後味の悪い作品。その中で「笑いを力に変える」李義府の存在が出色。中国王朝が乱れる時には、武帝時代の東方朔、そしてこの後の時代の安禄山など、ユーモアを携えた人物が登場している。

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 則天武后を巡る家系図。×印(黄色)は武后によって殺害された人とされています(デイリー新潮)

 

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