*今回と次回はまた塚本靑史作品からは離れて、五胡十六国時代と南北朝時代を舞台とした作品を取り上げます。
【苻堅と王猛 / あらすじ】
三国志の混乱を平定した晋は間もなく滅亡して、再度混迷の時代に入る。その中で氐(てい)民族が建国した前秦の三代目皇帝に苻堅が選ばれた。理想主義者の苻堅は絶え間ない戦争の中で歎き、中国を統一して全ての民族をひとつにまとめれば、戦をなくし人々は幸せに暮らせる、と考えた。
余りに遠大な苻堅の思いは、軍師として天才的な戦略を発揮する王猛を得ることで前進する。東方の鮮卑族の慕容氏が建てた前燕、漢族の張軌が建て前涼を次々と併呑し、華北をまとめていった。
苻堅は華南の東晋を攻略して統一を目指すも、軍師王猛は反対する。しかし王猛が急死すると符堅は決意を固め、100万の軍勢を率いて東晋を攻め込み、淝水の戦いに臨む。
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【劉裕 豪剣の皇帝 / あらすじ】
東晋の兵の劉裕は、淝水の戦いで100万の軍勢に対峙していた。味方はわずか8万。しかし劉裕は目の前の敵を豪剣でなぎ倒していくと、相手があっけなく崩れてしまった。この勝利で東晋は危機から脱したが、貴族たちは危機を忘れて私欲を貪り、治世は乱れて民は酷税に苦しんだ。
民は五斗米道という宗教に助けを求め、教祖の孫恩が反乱を起こすが、劉裕は1人で千人をねじ伏せる伝説的な働きをしてその名を轟かす。実権を握る司馬元顕に対し武将の桓玄が反旗を翻すと、劉裕の上官の劉牢之は周囲の反対を押し切って桓玄を支援する。しかし桓玄が勝利しても恩賞がなく、劉牢之は今度は桓玄を討つと宣言するも兵が集まらず、逃亡を余儀なくされた。残された軍団は劉裕が引き継ぐ。
劉裕は東晋で随一の武将となり皇帝に即位した桓玄も気を遣うが、桓玄も私欲を貪るばかり。そのため周囲は政治に興味がなく私欲もないと見える劉裕に期待を寄せる。ついに同じ武将の劉毅らと兵を挙げて桓玄を打ち破り、東晋を復興させた。しかし不安定な情勢が続き、復位した皇帝では抑えることができない。そのため知略家の劉穆之は、劉裕を皇帝に即位させようと働きかける。
叛乱が起きて、劉裕は野望を隠さない劉毅に鎮圧を命じる。劉穆之は、劉毅が叛くに決まっている、と言って反対したが、劉裕は「叛いたら討伐すればいい。叛いたら心おきなくたたきのめせるじゃないか」と反論して、知略家の劉穆之を瞠目させた。
【感想】
今回は383年に起きた「淝水の戦い 」を分水嶺として、小前亮の2作品を同時に取り上げます。 日本では仁徳天皇の時代。
*苻堅(ウィキペディア)
司馬仲達の孫、司馬光が建国した晋は「三国志」を統一したが、その後内紛と騎馬民族の侵攻によってわずか50年足らずで滅亡し、その残党が華南に逃れて東晋を建国する。華北は勾奴・鮮卑・羯・氐・羌の5つの民族が侵略して、十数個の国家が興亡を繰り返す 「カオス」のような状態、即ち五胡十六国時代となり、304年から北魏が華北を統一する439年まで続く。
その中の氐というチベット系の民族が築いた前秦から苻堅(338-385)が現れて、一旦華北を統一する。理想主義者の苻堅は異民族の融和を求め、漢族の男と鮮卑族の女の夫婦を見て民族融和の象徴と喜ぶも、妻からは「陛下は民族の平等をかかげておられるわりに、ずいぶん出身民族にこだわるんですのね」と、その後の符堅を暗示するような、辛辣な言葉を返された。
苻堅はそのまま華南も併呑して中国統一を目指し、100万の軍勢を擁して東晋を圧倒すべく淝水の戦いを迎えた。しかし8万と寡兵の東晋軍が右翼に集中して攻撃したため、横に大きく広がった陣形は予期せぬ攻撃に対応することができず、やがて全軍に波及してしまい大敗を喫した。このため統合していた異民族たちはバラバラとなり、苻堅は失意の内に長安に戻り、やがて殺害された。
この中国史上最大の「ジャイアント・キリング」によって中華統一は遠のき、混迷のなか南北は分裂して南北朝時代(中国)に移行する。ちなみに中国史上で100万の軍勢を擁したと言われるのは淝水の戦いの外に、曹操が集めた赤壁の戦いと、隋の煬帝が号令をかけた高句麗遠征があるが、いずれも「100万の軍」が敗れていることが興味深い。
対して勝った東晋から台頭したのが劉裕(363-422)。理想主義の符堅とは真逆の性格で、大剣を振り回して、目の前の敵をやっつけることが生きがいの人物。とは言え乳飲み子の時に育てられた叔母に頭が上がらず、借金を肩代わりしてくれた王謐を、敵方だったにも関わらず恩を忘れないで重用するなど、愛嬌ある人物として描かれている。
「劉裕 豪剣の皇帝」は、そんな劉裕を武の一徹振りを描いているが、実際は東晋の2人の皇帝を殺害して皇位を纂奪し、(劉)宋を建国する。その2年後に病死してしまうが、あらすじの最後の台詞で読み取れるように、内心はかなり前から皇帝への野望があったと見るべきだろう。
対照的とも思える皇帝を描いた2作品。三国志から始まり隋の統一まで、およそ400年の間に多くの国が生れ、多くの皇帝が「乱造」され、その多くは非業の死を遂げた。東晋の2皇帝は劉裕に殺められたと言われるが、前身の(西)晋の滅亡時、最後の皇帝懐帝は奴隷の扱いを受けたあとに刑死する屈辱を受け、前皇后は匈奴の征服者劉曜の妾とされた。
そして東晋を纂奪した劉裕の皇統も、親子兄弟で血で血を洗う闘争を繰り広げ、わずか60年余りの間に8代もの皇帝が代替わりした。最後は劉裕と同じく下級武人から成り上がり、南斉を建国した蕭道成によって滅亡する(その南斉も20年余りで滅亡)。劉裕のひ孫にあたる最後の皇帝順帝は、禅譲後に殺される直前「2度と王家に生まれたくない」とこぼしたという。
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