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16 仲達(2009)

【あらすじ】

 漢王朝で高祖劉邦の時代からさかのぼる名門の司馬家。優秀な兄弟8人が並ぶ中でも特に聡明と言われた司馬仲達は、曹操から出仕を求められるも、一度は漢王朝に義理立ててその誘いを断る。しかし再度強く求められたために、曹操の子曹丕に仕えることとなった。

 

 「乱世の奸雄」曹操薨去して曹丕が後を継ぐと、頭脳明晰な仲達が忠実に補佐をする。曹丕後漢の皇帝(献帝)から禅譲されて魏の文帝として即位し、仲達は文官として内政や軍隊の後方を支援する実務面で国を支えた。ところが突然皇帝から、経験のない撫軍大将軍に任じられる。仲達は文官時代に蜀の諸葛亮や呉の孫権らの心中を推し測っていた経験を元に、懸命に戦略を練る。曹丕崩御すると、後継の嫡子曹叡(明帝)も引き続き仲達を頼りにした。

 

 その頃蜀は劉備崩御し、諸葛亮が政治全体を差配していた。諸葛亮は蜀の版図を広げる目的で「南伐」を進める。対して呉の孫権は、南方の諸民族を支援して諸葛亮の野望を防ぐと共に、蜀が凋落することで魏が突出しないように抑える、高度な戦術を駆使していた。対して諸葛亮は、孫権に送った治療用の薬に麻薬成分を混入させて孫権の判断能力を奪っていた。

 

 南伐の後、諸葛亮は魏を相手に「北伐」を開始する。魏の将軍孟達を内応させるも、仲達は電光石火の早業で孟達の居城に迫り、攻城16日間で新城を陥落させ、孟達を斬首した。このため諸葛亮を中心とする蜀の王宮は動揺し、北伐は何度か繰り返されるも効果は乏しかった。

 

 それでも諸葛亮は5度目の北伐を敢行し、五丈原で魏と対時する。軍略家として名高い諸葛亮に比して評判は劣る仲達だが、諸葛亮の一挙手一投足を注目していたため、その心中を推し測ることには自信があった。攻めるべき諸葛亮が初めから籠城し、仲達を執拗に挑発することから敵方の戦意は低いと察知し、誘いに乗らず持久戦に持ち込む。

 

  *司馬仲達(ウィキペディア

 

 事実諸葛亮は病魔に冒されていて、長陣に耐えられず戦場で亡くなる。その後蜀軍は整然と退陣したことで諸葛亮の名が上がるが、仲達は敵を油断させた方が得策と判断し「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」との流言を家臣たちに流させる。

 

 曹叡が病に倒れ、次代の帝曹芳に対して、仲達と曹爽に補佐を託したが、権力掌握を目指す曹爽は仲達の追い落としを計る。対して70歳に近い仲達は、言ったことをわざと聞き間違え、薬を飲むときにこぼすなどをして、柏手を油断させた。

 

 そして仲達は一気にクーデターを起こす。太后を懐柔して曹爽らに謀反の企みがあったとして、最後は曹爽の一族郎党を皆殺しにした。その年に仲達は亡くなるが、死の前に子らに慎重に行動するように言い残す。孫の司馬炎曹丕と同じように魏から禅譲を受けて、正式に皇帝として即位し「」を建国する。

 

 

 曹操の子で魏の初代皇帝となった曹丕ウィキペディア

 

【感想】

 司馬仲達諸葛亮の敵役とされながらも「三国志」の幕を引いた人物であり、まさしく「第二列目に輝く男」。最初は文官だったが、最終的に国を簒奪するに至ったのは興味深い。漢王室を纂奪した曹操だが、漢王朝の高官であった司馬家に皇位を奪われるのは運命の皮肉。しかし元々聡明だった評判から、当初軍事に暗くても敵国の政治状況を見極め、相手の心中を推し量りその裏をかく力量はまさに「孫子の兵法」。その能力で蜀の諸葛亮や呉の孫権と互角以上に渡り会い、ついには「母屋」魏の曹家まで追い落としてしまった。

 王位纂奪者として、曹操と共に後世の 評判は悪い仲達だが、作者の塚本靑史は、当初は曹家の代々の皇帝に忠実に補佐していく様子を描いている。そして知恵があれば文官も武官も関係のないところを見せて、「策略家」諸葛亮と互角に渡り合う知略も見せる。後に戦いの要諦として「戦には五つの要点がある。戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。あとは降るか死ぬかだ」と簡潔に、そして明晰に述べている。

 なお「塚本中国史」では欠かせない日本との交流。今回は魏志倭人伝に触れて、邪馬台国使節と仲達がすれ違っている。

 

 黄巾の乱から始まり、董卓呂布、衰術、衰紹、公孫瓚など各地の群雄が登場し、その後曹操夏侯惇張遼劉備関羽張飛趙雲諸葛亮孫堅孫権周瑜などの「英雄」たちを輩出したおよそ100年に亘る三国志の世界。その中から台頭した曹操がつかみかけた天下は、赤壁の戦いで掌からこぼれ落ちた。「千慮の一失」によって蜀や呉が残り、曹操は絶対王権を築けなかったまま亡くなると、その後家臣の司馬家に皇位は奪取されてしまった。

 これは織田家を簒奪した豊臣秀吉と、同じ軌跡を描いているように見える。司馬家が築いた統一国家「晋」も、豊臣家と同様に僅か50年足らずで滅亡する。中国では徳川家康は登場せず(どちらかというと、仲達の存在が家康に近いと感じる)、そのため更に300年、五胡十六国時代、そして南北朝時代と呼ばれる、暗く長い「トンネル」の時代が続く。

 

*塚本靑史は仲達の孫の司馬炎も描いています。三国志は終らせましたが、皇帝即位後は色欲に溺れ、中国を再度混迷に陥れました。

 

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