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【あらすじと感想】
燕の将であった臧荼(そうと)は元々項羽の配下だったが、韓信の誘いに乗り劉邦に帰属して燕王と認められた。しかし始皇帝に取り入った徐福を中心とする宗教集団に囲まれ、怪しげな薬を用いて甘美な生活を行い、自らの王国を建国しようとして漢に叛旗を上げる。不思議な戦い方をして漢軍を翻弄するも、導引術を体得していた軍師張良がその謎を解き、高祖劉邦に滅ぼされて滅亡する。
曹姫は劉邦が正妻呂雉と結婚する前から付き会っていた故郷の「幼馴染」。早くして生んだ子供は韓信の後釜として斉王に封じられる。劉邦の長男にも関わらず婚外子であったがために、漢王室の跡継ぎにはならなかったものの、後に呂雉を中心とする激しい権力闘争に巻き込まれることなく生き延びるこができた。
韓信は劉邦も認める漢建国の功労者。1人北西部で領土を広げ、項羽に対時する戦力を整えて、形勢を逆転させた。その功から斉王に任じられるが、謀反の疑いをかけられて格下げになると、冷遇に不満を持つことに。やがて政権の奪取を図るも事前にその計画が漏れ、無名の韓信を引き上げた蕭何の言葉に騙されて、捉えられてしまい刑死する。斉王の時に劉邦を裏切って独立をそそのかした蒯通(かいとう)の勧めを、劉邦を恩に感じて従わなかったことを、死の直前に後悔する。
趙姫は元々功臣・張耳の子張敖の妾。劉邦に献上され子(劉長)を身籠ったが、張敖らの謀反により呂維により逮捕され,投獄された。彼女の弟の趙兼は、呂雉の愛人である審食具(しんいき)に嘆願ずるも呂后が怒ったために審食其も放置した。そのために趙姫は劉邦らを恨んで男子を出産直後に自殺した。趙姫が亡くなったことで呂后はその子を可愛がり、准南王(わいなんおう)に封じられた。劉長は呂后による粛清も生き延びて文帝時代は乱暴者として、助命を聞かなかった審食其を殺害する。
彭越は盗賊から推されて一軍の首領となった。劉邦(高祖)は彭越に染王にすると約束して加勢を願い、遂に項羽を垓下(がいか)に追い詰めて滅ぼした。しかし高祖は彭越を偽って捕らえ、呂矩は高祖に将来に禍根を残すので誅殺すべしと進言をして処刑された。燕王から彭越により助けられた欒布は劉邦に、「彭越が死んでしまった今、これ以上生きる必要もない。早く煮殺すがよい」と言い放った。それを聞いた劉邦は彼を許し都府に任命した。
薄姫は魏豹の側室から、降伏した劉邦の後宮に側室として迎えられた。しかし機織などの雑用に使われて、それを知った劉邦は不欄に思い龍愛すると、劉恒 (後の文帝)を産む。劉恒が代王に封じられると、薄姫も代王太后として任国に赴いた。そのため、高祖の没後に実権を握った呂雉による迫害にも巻き込まれずに済んだ。呂氏の乱で呂一族が皆殺しにされ、代王劉恒が皇帝に迎えられると、薄氏も皇太后として長安に迎えられる。
*高齢で病気の母、薄姫を看病する文帝の像(ウィキペディア)
罪を犯し顔面に入れ墨をいれられ黥布と呼ばれるようになった英布。項羽の配下から劉邦のもとへ逃げ落ち、妻子が皆殺しにされた恨みを晴らすために、戦場では鬼神の働きをして、その功で淮南王に封じられる。しかし功臣が次々と粛清されるのを見て謀反を起こした。劉邦が親征して黥布の軍が敗れると、妻の兄弟である呉臣の元へ逃れる。しかし呉臣は巻き添えを畏れて偽りの誘いを掛け、信じた鯨布は地元の者に殺害された。
劉邦にその寵愛を一身に受けた威姫は、その子劉如意を皇太子に立てるようにたびたび懇望した。劉邦自身が皇太子の劉盈の資質に不安を抱いたため心が傾くが、周囲の反対により皇太子を変更することはなかった。このため劉盈の生母の呂雉に憎まれることとなり、劉邦が薨去して劉盈(恵帝)が即位すると、皇太后となった呂雉は威姫を監禁し、両手両足を切り、目耳声を潰し、厨に投げ落としてそれを犬豚と呼ばせた。さらに息子の恵帝を呼んでそれを見せると、恵帝は激しい衝撃を受け、以後酒色に溺れるようになり早世したという。
盧綰(ろわん)は劉邦の父同士が親友で、劉邦と誕生日が同じでもある竹馬の友。その付き合いは劉邦が皇帝になってからも続き、燕王臧荼が反乱を起こした後の燕王に封じられた。しかし盧綰に謀反の企てありとの噂が流れ、劉邦は燕討伐を命じる。盧綰は劉邦のことを信じていたが、劉邦が薨去して呂雉が皇太后として実権を握るのを見ると、もはやこれまでと匈奴へ亡命し、一年余で病死した。
垓下(がいか)の戦いによって項羽を滅ぼして凱歌を上げた劉邦。しかしそこから劉邦は疑心暗鬼にとらわれ、大きな封土を与えた異姓(劉一族でない)の王を次々と粛清して、「狡兎死して走狗烹らる」。ここではそんな疑心暗鬼に巻き込まれた男女9人を交互に取り上げている。これは劉邦の心の揺らぎとともに、正室の呂雉が徐々に仮面を脱ぎ捨て、劉邦亡き後に恐怖政治を敷くことで周囲がひれ伏していく。この点は次に取り上げる作品に譲る。
*「走狗」の象徴となった韓信
劉邦が項羽を破って漢王国を建国してから7年の間に起きた粛清劇。文庫本の解説では、話 し合いで権力を家臣から返還させた宋の趙匡胤や、反対に一気に功臣を殺害した明の朱元璋を比較に出して「スマートではない」と評しています。
しかしこれはムリな話。巨大な敵の項羽を倒すのに関係各所に頭を下げて、恩を受けてようやく凱歌を上げた結果であり、これだけの功臣たちをまとめて「始末」する力はなかった。そして「スマートではない」手法は日本の鎌倉・室町・江戸幕府と同様で、劉邦のやり方は極めて「日本流」であったように見えます。
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