【あらすじ】
項羽は再び軍を率いて劉邦に攻め入る。漢軍は震え上がるものの、劉邦は巨大毅倉庫である広武山を要塞化して立て籠もる、という奇想天外な策を思いつく。劉邦にとって一世一代ともいえるこの妙策は当たり、籠城側が飽食して攻囲側が飢えに苦しむ奇妙な籠城戦となった。しかし矢を受けた劉邦が負傷したことにより、楚漢で天下を二分することを条件に劉邦は講和を申し出、項羽もこれを受け入れる。
広武山における1年余の睨み合いが終わった。楚軍は彭城への帰途につくものの、次こそは漢軍を完膚なきまでに叩き潰す決意をしていた。そんな項羽の魂胆を察した劉邦の家臣たちは、劉邦に今こそ項羽を攻撃すべきと献言する。楚の兵達は飢え、不満も満ちて脱走者も増え、楚の士気は凋落している。また韓信が北方諸国を次々と平定するなど、劉邦が打った布石が芽を吹き始め、楚軍に対する包囲網が整いつつあった。楚軍が本拠に戻って態勢を整えた後だと、戦下手の劉邦では到底勝ち目はなく、項羽を滅ぼす機会はこの時を置いて2度と巡ってこない。
献言を受けた劉邦は断を下して追撃戦を命じる。約定破りに憤慨した項羽はこれを撥ね付けるも、楚軍は疲弊の極みに達していた。兵の脱走は後を絶たず、将にまで寝返る者が現れ、戦いが長引くにつれて威容を誇った楚の軍勢は瞬く間に瓦解していった。やがて華北の韓信らの軍勢が南下して項羽の本拠たる彭城を取り囲む。諸侯も次々と漢軍に恭順し、楚軍は天下に寄る辺のない孤軍となった。
追い詰められた項羽は、急ごしらえの城を築いて籠城を始める。項羽は折にふれて兵を出すものの、大軍を持って城を包囲する漢軍には到底太刀打ちができない。ある夜項羽が寝所で伏していると城外から、漢に寝返った楚軍の兵が唱和する故郷の歌が聞こえてきた。城の四面がことごとく楚歌で囲まれていることを知った項羽は、ついに己の運命が極まったことを悟る。
*韓信。「韓信の股くぐり」「国士無双」などの言葉を残しました(ウィキペディア)
項羽は最後の酒宴を開き、その後小軍勢を率いて決死の逃避行に出た。江南を目指して一心に馬を走らせるものの、ほどなく劉邦が送った追跡部隊に包囲され、いよいよ最期の時を迎える。項羽は漢兵の軍勢に単身突進し、武を存分に示した後、己が手で己が首を刎ねて果てた。
莫大な懸賞金の掛かった項羽の遺骸に漢兵が群がって五分され、肉片を持ち帰った者達を劉邦は約束とおりことごとく諸侯として列することで、楚漢戦争は終りを告げた。
【感想】
天下を二分して、民の半分が犠牲になったと言われる楚漢戦争。司馬遼太郎は連載時、タイトルを特徴的な地理条件になぞらえて「漢の風、楚の雨」としたが、私は大陸の北側を流れる黄河(漢)と、南側に横たわる長江(楚)が2匹の巨大な龍と化して、中国を舞台に「のたうち回る」光景が脳裏に浮んだ。
劉邦は理屈をこねるだけの儒家を好まず、厳しく束縛する秦の法家を嫌い、男気を見せて秦に一泡ふかした魏の信陵君のような侠客に憧れた。そのため戦下手にも関わらず、どんな戦いでも身を陣頭に晒して指揮を取る。また自分が劣っているところは素直に認める稀有な性格も持ち会わせていた。そんな劉邦の下に、能力を発揮したい多くの人が集まる。
*地味な裏方に徹して「ならず者」の劉邦を支えた蕭何(ウィキペディア)
始皇帝に単独で暗殺を試みるほどの激しい魂を持つ張良は、劉邦に出会うとその人物に惚れ込み、軍師となるや自らの我欲を消して、劉邦のために脳漿を絞り出す。蕭何は同じ県の農民の出身で、性格が温和で勉学に励み優れた役人になるも、厄介者の劉邦を何かにつけて庇ってきた。劉邦が軍を率いると黙って裏方に回り、兵砧を担当して食料などを前線に送り、征服した土地は穏便な統治を心がけて劉邦の名を高めた。
そして蕭何は天オ軍師・韓信を発掘する。下級将校に過ぎない韓信を大将に抜擢すると、漢軍の総司令官として活躍する。戦場の様々な事象を濾過した末に出される作戦は天才的で、劉邦が項羽に敗れる中、1人中原から北方の魏、代、趙、燕、斉の諸国を次々と平定し、劣勢に追い込まれていた漢軍が再起するきっかけを作る。しかし功績第一等と思われた韓信も、天下が定まった後は謀反を疑われて死罪に処せられる。
私が本作品で一番印象に残っているのは、韓信が処刑の際に、劉邦を裏切って天下取りを薦めた蒯通(かいとう)の言葉を従わず、後悔を残しながら処刑された後の話。劉邦は反逆を勧めた蒯通を釜で煮殺すよう命じるが、蒯通は「当時、世の中には陛下のようになりたいと望む者が大勢いましたが、彼らを全て煮殺せますか?」と答え、劉邦も蒯通を釈放させた。
命を長らえた蒯通は「天下を動かすために弁舌を学んだのに、たかがおのれ1人の命を救うために役立っただけだ」とこぼす。青雲の野望というものは、得てしてこのような結末を迎えるものだろうと感じ入った。
*蒯通から連想して、過去にこんな記事を投稿しました。
10戦すれば9敗すると思われた劉邦の対項羽の争い。しかし微かな可能性をつなぐと、相手の落ち目と味方の上げ潮がうまく重なり、唯一可能性がある時に、乾坤一擲の大勝負に挑んだ。強豪に対するジャイアントキリング、果ては日露戦争を想起させるが、このような可能性を信じて劣勢の中でも「種蒔き」を欠かさなかった劉邦の、そして家臣たちの総合力によって、勝利をたぐり寄せた。
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