【あらすじ】
呂不韋は趙の都の邯鄲で、大路に突然黄金の気が立ったのを見る。そこには秦の公子で人質になっている異人という人がいた。呂不韋は異人をみて「奇貨居くべし」と直感、一世一代の「投機」と見て、本拠を邯鄲に移す。異人の父、太子の安国君は嫡子を定めていないのを幸いに、呂不韋は異人の名を高め、覚えめでたいように仕組んで秦の都に乗り込む。
太子の正妻ながら子がいない華陽夫人が嫡子を決める鍵だが、この華陽夫人は呂不韋が以前楚で逢った南芷だった。南芷は呂不韋の説得を受けて異人を安国君の嫡子と定め、異人は華陽夫人との繋がりを強調するために名を子楚と改めた。呂不韋が紹介を受けた遺児の小梠を子楚が見初め、正妻として子を産む。政 (せい)と名付けられた男の子は、後に始皇帝と名乗る人物。
秦軍が趙の邯鄲に攻め寄せると、人質の子楚への風当たりが強くなる。呂不韋は子楚を脱出させたが、妻子の小梠と政は取り残された。西周が滅び秦の時代が到来するが、ここで秦にも悲劇が見舞う。昭襄王が薨去して太子が即位するが、新たな秦王は在位わずか3日で薨去してしまう。
すぐさま子楚が即位して荘襄王と名乗り、妻の小梠と子の政が呼び戻された。呂不韋は荘襄王の後援者として宰相となるが、太子で10歳の政は冷徹で、呂不韋に対しても心を開かない。それでも呂不韋は食客たちの知恵を集めて「呂氏春秋」という本を編纂する。「一字でも減らすか増やすか出来る者には千金を与える」とその出来栄えを自慢して政を活かそうとするが、その思いも政には伝わらない。
宰相となった呂不韋は、それまで不遇に扱われた老臣の蒙驁を将軍に抜擢する。感激した蒙驁は、秦の王位継承にかかる争乱に紛れて攻撃した韓を撃退し、韓の最大の軍事都市2つを立て続けに攻め落とす快挙を成し遂げた。そして大量の捕虜を虐殺した白起と異なり、捕虜と住人を丁重に扱うことで、その後の戦いで秦に対する頑強な抵抗は少なくなっていった。
*「キングダム 大将軍の帰還」で呂不韋を演じた佐藤浩市。この人が演じる人物はとたんに「クセが強く」なります。
信陵君が立ちはだかるも、秦の攻勢は順調に進んだ。そんな折に荘襄王が薨去し、遂に紀元前247年に政が即位した。この頃秦に李斯 という論客が現われる。 李斯は政に取り入って、信陵君を策で排除することに成功する。政は多数の人員を動員して大規模な陵墓を造営するが、呂不韋が批判して政と対立したため、呂不韋は致仕を考えた。そんなときに、鄭国という技術者が秦に訪れ、農地を増やす灌漑用に水路の建造を提案して認められる。この時にできた「鄭国渠」により、秦の国力は増加し「不作の年なし」と言われることになる。
政を中心として秦が天下を睥睨しようとする中、母である小梠は夫の子楚に先立たれ、無聊を囲っていた。その中で幼い時からの憧れであった呂不韋に頼りがちになる。疑われるのを危惧した呂不韋は、配下の嫪毐(ろうあい)を仕えさせる。しかし嫪毐は王の母を利用して、権力を手中に入れようとしたため政が怒り、車裂きの刑にした上で呂不韋も蟄居させる。
【感想】
「奇貨居くべし」は史記に書かれ、その故事は日本にも広く広まった。しかしその内容は、呂不韋が小梠と通じ合う中で子楚が小梠に惹かれてしまい、呂不韋の子を宿したまま「献上」したため、生まれてきた子の政は呂不韋の子とするもの。未亡人となった小梠は呂不韋と再度通じ合うも、呂不韋は周囲の目を気にして、巨根の嫪毐を小梠に押しつけて呂不韋への興味を薄めようとしたとされている。その内容は奈良時代の知識人に広まり、孝謙天皇(重祚して称徳天皇)と道鏡との密通説にも繋がっていく。
しかし宮城谷昌光は、政が呂不韋の子とする説も、そして小梠と嫪毐との姦通説も、史記の作者司馬遷の「でっち上げ」と推測した。理由は司馬遷が呂不韋を先祖とする漢の高祖の妻で、悪女の1人呂太后を憎んでいたことや、誤解から腐刑という去勢される刑を下されたことなど。
個人的には一般に広まっている「奇貨居くべし」の内容を承知していたため、呂不韋には「悪徳商人」のイメージを持っていた。しかし宮城谷昌光は「中国史上ではじめて民主主義をかかげて、皇帝と激しく対立した」と定義している。呂不韋が編纂した「呂氏春秋」の中に「天下は1人の天下に非ざるなり。天下の天下なり」という言葉を上げているが、これは日本では徳川家康が語ったとされる「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」として伝わっている(但し現実主義の家康がこんな言葉を吐くとは思えず、後世の創作と推測する向きもある)。
越国の范蠡(はんれい)、(斉から)周の白圭、そして呂不韋。宮城谷昌光が取り上げるこの時代の商人たちは、義侠心に富み「悪徳商人」からは遠い存在に思える。これは貨幣経済がまだ浸透していなかったためか、「素」の人間が多くて行動規範に「義」が求められたためか。
*「法の権化」秦の宰相、李斯(歴史街道より)
秀麗で英邁な少年が、国家の宝物を救い出すことで運命が開け、その知恵と胆力で危機を乗り越えて成長していく。私が穿っていた「奇貨居くべし」の故事を、宮城谷昌光は全く別の物語として世に提示した。
蟄居を命じられた後も食客が集まり権勢を誇る呂不韋に、政は最後通牒を発する。そして呂不韋は自ら毒を飲んだのは、政が中国を統一して始皇帝となる14年前のとき。
始皇帝は天下を統一するが、その姿は民主主義とはほど遠い国家だった。
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