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19-1 奇貨居くべし ①(?-BC 235)(2001)

【あらすじ】

 15歳になった呂不韋(りょふい)は、父から命じられた鉱山を視察する旅の途中で、秦が韓と連合して斉を攻める軍勢を目撃する。斉王の矯慢より、魏・趙・燕なども斉の敵に回り、斉は滅亡寸前に追い込まれていた。この年を境に秦の一強時代が始まる。

 

 黄金の鉱山から岩を採取して趙の都の邯鄲にもってゆき、黄金(当時は金属の総称)の含有量を調べる。黄金の気は地だけでなく人からも立つといい、呂不韋にも気が立っていた。邯鄲には旅を同行する鮮乙の妹、がいる。その途中で2人は偶然、楚から趙への貢物「和民の壁」と呼ばれる楚の国宝を手に入れる。この鮮芳の家を「和民の壁」を渡す役目を担った楚の役人の蘭相如が、国宝を探しに「連れ」と顔を出した。連れの黄歇は、後に春申君と呼ばれる人物。

 

 呂不韋は「和民の壁」を返すことで黄歇からの信頼を得、呂不韋は褒美として3年間邯鄲にとどまって学問を修める機会が与えられた。一方で秦の宰相・魏冄は領土の代わりに楚から趙への貢物の「和民の壁」を要求する。趙の恵文王は密かに楚と通じていることを秦に知られたと恐れ、秦への使者として蘭相如を選び、呂不韋が付き添うことになった。

 

 蘭相如は秦の心底を見定めると、「和民の壁」を呂不韋に託し、楚国の蘭邑に逃げて欲しいと頼む。呂不韋は蘭邑に辿り着くとすぐ病に倒れ、回復すると秦で死を覚悟した蘭相如が奇跡的に生還していた。その矢先に秦軍の将軍白起が蘭邑を攻め込み、呂不韋は奴隷として穣へ連れて行かれる。この時楚の役人で、性悪説を唱える思想家でもある筍子から、数多くのことを学んだ。

 

  呂不韋ウィキペディア

 

 魏冄が秦国から突如敵国の趙の宰相となり、慌てた秦の昭襄王は魏冄を宰相に復位させ、更に封上するなど破格の待遇を与えた。秦に戻った魏冄は、楚を滅亡させる勢いでそれまでにも増して攻勢を強める。混乱に巻き込まれた呂不韋は黄歇と再会したあと、東へと向かっていった。時に呂不韋19歳。

 

 呂不韋は希代の人相見である唐挙と出会い、35年以内に位人臣を極めると予言を受ける。また唐挙は、呂不韋が知り合った美女の南芷が王后になる姿が見えていた。そして慈光苑という場所に使いを頼まれるが、そこに居た不思議な老人は孟嘗君だった。賓客として扱われた呂不韋はおよそ1年滞在し、孟嘗君が薨じると後継争いの混乱から逃れ旅立った。

 

 長い旅も終わりを迎える。呂不韋は商人の道を歩む決意を固め、店の本拠を衛の泄陽にすえた。呂不韋が旅をしている間に、秦は韓を大破し魏を壊乱させていた。指揮をとった魏冄に呂不韋は黄金のある場所を教え、代わりに商売の貸金を得て友誼を結ぶ。

 

 呂不韋は商売を広げるために、配下を育て情報の収集にあたらせた。華陽の戦いとよばれる大戦がすぎて六年後、呂不韋は32歳。秦の権カ構造は魏冄から苑碓へと移っていた。

 

 

  戦国七雄

 

【感想】

 主人公の呂不韋の生年は不詳だが、同じく秦の宰相となる「青雲はるかに」の范雎と没年は20年違いがある。「虎狼背信の国」と周囲から言われ、厳しい法律によって縛られた強靱な兵を有し、戦国時代に「戦国七雄」の中心に躍り出た秦国。商鞅張儀、魏冄、范雎などの「異邦人」に宰相の地位を与え、新しい思想を導入することによって、国力を上げていった。

 春秋時代は隣国との攻防が戦いの主だったが、戦国時代に入ると外交と戦争のスケールが広がり、「合従連衡」という言葉が生まれた。当時強国である秦に対し、東から西へと並ぶ燕・趙・斉・魏・韓らが共存を目的としたのが連衡。対して合従は1国西にはみ出た秦を除いた「縦」の国々が秦と対立しようとしたもの。これらの諸国を弁舌1つで渡り歩くのを「縦横家」と呼ばれことになる。先に秦の宰相となった張儀だけでなく、范雎の後に宰相となった蔡沢も印象的な活躍をしている。

 容貌秀麗で頭脳明晰、そして胆力もある呂不韋は、旅によって様々な出会いがあり、出来事に揉まれて人間的に成長していく。その前半生は宮城谷昌光が得意とする、時に主人公を父から書き起こすことで、その人物の「根」を描く作業に通じている。

 蘭相如、春陽君、孟嘗君、魏冄、そして范雎など、「青雲はるかに」で登場したビックネームも重ねて活躍している。そしてもう1人、范雎を愛した絶世の美少女南芷も、役割を変えて登場。その上で呂不韋は商人への道を選ばせている。しかしその後「奇貨」によって宰相への道を歩み直すのは、ちょっと首をかしげる

 地位も領土も関係なく「徳」を持って中国全土を支配する孟嘗君の構想を、死後に引き継ぐ人物はいなかった。それは秦国が突出して力を持ったために、1個の人間だけでは秦の勢いを抑えきれなくなったことを意味する。戦国四君と呼ばれた孟嘗君以外の春陽君(楚)、そして後半に登場する平原君(趙)信陵君(魏)は、その時折で秦に一矢を報いるも、秦国の立場を脅かすには至らなかった。

 

 *春申君(ウィキペディア

 

 楽毅の攻撃によって国力を落とした斉。更には秦が得たもう1人の強力な「武器」、猛将白起の攻撃により、楚も趙もそれぞれ何十万もの戦死者を出して、両国は国の存続が危ぶまれる状態に陥り、天下は秦に収斂されていく。

 それにしても、1度楽毅と白起の戦いを見てみたかった。

 

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