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16-2 孟嘗君 ②(斉:BC 220頃~BC 279)(1993)

【あらすじ】

 13歳の時、田文は実の親である田嬰の元に戻ることになった。この時期、秦・魏・楚の勢力が屹立していて、斉は来たる決戦に備えて孫臏が軍の練兵を行なっていた。斉と魏の間で火蓋が切られると、斉は総力を挙げた計16万の兵で攻め入る。孫臏は一度敗れて、大魚を釣る前に小魚を与える策略をとり、魏の将軍龐涓は悪い予感を受ける。孫臏はある木に「龐涓死干此樹之下」と彫らせ、その木の根元で龐涓が戦死することにより復讐を遂げる。斉軍は大勝し魏の国運は衰退した。

 

 白圭は商売に成功すると、黄河の氾濫を防ぐ事業を自費で行う「仁」を実践していた。斉では田嬰が諸国の外交を差配していたが、その下で鄒忌が王に讒言を繰り返し、田嬰に対抗する力を蓄える。秦では貴族にも過酷な律を課した公孫鞅が、王族からの反感を受けて殺される。公孫鞅の妻の風麗たちは蜀へ脱出し、田文は盗賊から風麗たちを助け出すことに成功した。

 

 田文は田嬰から「」の土地を譲り受け、という国が誕生した。この時から田文は孟嘗君となり、孟嘗君人気のために薛に人が集ってきた。対して父親の田嬰はその様子が面白くない。孫臏は亡くなる時、田文へ遺言した。「鈞台はこの世にひとつしかないが、それはそこにはない」。夏王朝が世界の中心に据えたと言われる鈞台。天下の宰相を目指す言葉を受けた田文は、諸国漫遊を行なう。まず楚で「楚辞」の作者となる屈原と交遊を深め、それから魏へ向かい襄王に謁見した。斉との戦いで敗戦後苦難にある魏で、5年という約束で国政を預かることになる。

 

 就任早々秦に攻め込まれ、魏は大敗する。田文は国力回復を優先して、秦の宰相張儀と交渉を重ねて戦争を回避する。その後斉へ戻り宰相となることで、魏と斉の親交が深まった。

 

  張儀ウィキペディア

 

 その頃を滅ぼし、過去最大の版図を誇った。しかし秦の宰相張儀は、かつて楚で無実の罪を受けて鞭打ちにされた屈辱を晴らすため、楚に攻め込む。楚の兵は剽悍だが、秦は五人組で連帯責任を取らせて、楚を上回る強さを見せつけ大勝する。また田文も周と魏の連合軍を指揮して楚に大勝し、度重なる敗戦によって楚は急激に衰退した

 

 強国に躍り出た秦だが、張儀とその後の宰相が相次いで亡くなっていた。秦の昭襄王は田文を宰相に迎え、斉と秦が連携することで天下は安定すると考える。田文は秦の誘いに乗ったが、孤立を恐れた趙の武霊王は昭襄王に、田文は野望を持っていると吹き込んで、命を狙わせた。

 

 田文はその動きを察知して反転するが、函谷関に着いたのは夜半。関は夜明けまで開かないため、食客の一人が鶏の鳴き声の真似をして、何とか関を通り抜け、このことは「鶏鳴狗盗」と言われた。

 

 斉に戻った田文は宰相に復帰し、秦と戦う決意をする。陣形は人心と天渓を一体とした、孫臏亡き後は孟嘗君しか布陣できないと言われた「玄襄の陣」である。

 

 

*「孟嘗君」関係図

 

【感想】

 太公望が建国した斉の国は600年続いたあと、姜(きょう)一族を田氏が滅ぼす。孟嘗君の父は(田)斉を建国した太公から五代目の王、宣公の弟にあたる。

 春秋時代を彩った超大国の内、晋国が魏・趙・韓の3ヵ国に分割され、楚が呉によって滅亡の危機に瀕し、斉の国は田氏が姜(きょう)一族を滅ぼすことで戦国時代へと移る(明確な区分はない)。戦国時代前期に覇者となったのはで、宰相の李悝は治政を整備して富国強兵を成し遂げて、将軍の呉起は百戦百勝の名将と言われて周囲を睥睨する。

 そこに孫臏が現われて「パワーバランス」が崩れる。魏の将軍龐涓は孫臏と同門だが、能力の敵わない孫臏に嫉妬して、無実の罪を被せて額に刺青をされた上に両足を切断される過酷な刑罰を与えるが、孫臏は魏との戦いの中で鮮やかな復讐と遂げる。同じく楚で屈辱を味わった縦横家張儀は、秦の宰相となって楚と対決して大いに破り、その雪辱を晴らした。楚と秦の戦いの兵士は両軍40万を超えようという軍勢。合わせて100万に近い兵士が真正面から激突する大会戦だったという。

 田文の父田嬰は外交で際立つ成果を斉にもたらすが、後を継いだ田文(孟嘗君)は更に上を行く。斉だけでなく魏、楚、そして秦からも乞われ、戦国時代の有力諸国に重要な地位を築くまでになり、家臣でありながら「戦国の覇者」の存在となっていく。

 本作品は「侠客」孟嘗君を制約なく生き生きと描いているが、周囲の女性たちもまた「しっとりと」登場させている。孟嘗君の母で、生まれて間もなく子と引き裂かれた青欄。白圭の妹で公孫鞅の妻となる風麗。白圭の妻翠媛。そして後に孟嘗君の妻となる威王の愛妾隻蘭(洛芭)。ここには「傾国の美女」は登場せず、男性たちをしっかりと支える役目に終始している。女性たちについてはあらすじでは余り触れなかったが、それまで端正に物語を紡いできた宮城谷昌光が、ここにきて少し「司馬遼太郎テイスト」を加えた味付けをしているように思える。

 

  屈原ウィキペディア

 

 孟嘗君が支配した嘗邑を史記司馬遷がのちに訪れて、嫌な目に遭ったらしい。そこで司馬遷は、孟嘗君が素性のわからない食客を数多く引き入れたために、治安が悪くなったと地元の民に言わせている。これも1つの見方であろうか。

 勢力が拮抗する中で諸国が独自の歴史を刻んだ春秋時代。それが戦国時代になると、あからさまに周囲を併呑する動きが見えて、いよいよ覇者たちによる「決勝トーナメント戦」が始まった。中原のが衰えた後、辺境にある東の、南のと共に西のが力を蓄えてきた。対して北はが勢力を伸ばそうとするが、それは次の物語になる。

 

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