以下の内容はhttps://nmukkun.hatenablog.com/entry/2025/02/15/070200より取得しました。


15-1 呉越春秋 湖底の城 ①(BC 527~BC 465)(2010)

【あらすじ】

 2mを超える長身と、それに違わぬ大きな器量を持つ伍子胥(ごししょ)。祖父の伍挙は楚の覇王・荘王の信頼を得、父の伍奢も楚国の重臣を務める。兄の伍尚も領主の人格を有し、伍子胥はそんな兄を支える役目を担う。優秀な臣下を集めるため武術大会を開催して、剣士の崔希、弓の達人の陽可、怪力の、遠目の効く朱毛などが集まり、伍子胥の配下となって活躍していく。

 

 楚の平王の太子が秦から嫁を貰うことになり、副侍徒長費無極(ひむき)が迎えに行くと、その美しさから王の側室に薦めてしまう。喜んだ王から褒美に側近として仕えることになった費無忌は、王への注進で太子を廃して権力を握る。費無極の野望は更に膨れ上がり、家宰として人望が篤い伍奢と子の伍尚・伍子胥の兄弟を除こうと王に讒言を繰り返す。平王は伍著を捕えて人質とし、伍尚と伍子胥に来訪を求める。

 

 伍子胥は甘言で誘う王を信じないが、兄の伍尚は父を見捨てられない。そこで自分は命に従うが、伍子胥は生き延びるように説得して、1人都へと向かい囚われる。伍子胥は父と兄を救出しようとするが、警備が厳重で助け出すことができない。それでも伍子胥は多勢を相手に1人で暴れて、その勇名は周辺の国まで響き渡った。父と兄を殺害された伍子胥は楚への復讐を誓い、廃された太子の子木に従うために宋へ、さらに鄭へと向かう。しかし子木は「楚の虎、晋の狼」に挟まれた鄭で兵を挙げる準備をするが、挙兵を待っていた晋国の目論みに嵌まり、討たれてしまった。

 

 伍子胥は窮地を脱して鄭から呉に逃れ将軍の公子光の客となると、武術大会の時に偶然助けた旅人の孫武の故郷である斉国に訪ねる。当時は珍しい兵法家として優れた叡智を有する孫武。楚と戦うために必要だと考える伍子胥は、公子光が君主となった暁には呉に来て欲しいと要請し、宋で預かった少年の小羊孫武の側に置いて学ばせることにした。

 

  

 *物語の前半を引っ張る「巌窟王」、伍子胥ウィキペディア

 

 呉と楚の戦いが始まる。呉の主力軍が出征した楚で立ち往生するに至ると、公子光は呉王を宴席へと招いて暗殺し、自ら即位して闔閭*(こうりょ)となる。伍子胥は王の側近となり、楚への復讐を行なう権力を手に入れた。同時に伍子胥孫武を推挙すると、闔閭は兵法家としての力量に疑問を持ち、自分の愛妾を含めた女性だけの集団を指揮するように命じる。王から正式に権限を得た孫武は、真剣にならない愛妾2人の首をはね、峻烈な軍規を見せつけて見事に指揮し、闔閭から認められた。

*なお闔閭の「閭」は、作品では別の字をあてています。

 

 一方伍子胥は外交面を託されて、孫武と両輪で超大国の楚を攻め込む。孫武の献策により次々と敵を破る呉軍。楚の平王が崩御したあと、伍子胥孫武の策略により遂に楚都を陥落させた。呉軍を率いる伍子胥は殺された父兄の仇を討つため、平王の墓を暴いて屍に300回も鞭を打つ。虚しさを感じながら、征服されたことがない楚を支配するために必要なことだった。

 

 

 

*当時の伍子胥を巡る地図(講談社Book倶楽部公設サイトHP)

【感想】

 なんとも気性の激しい主人公である。癇癖の激しい荘王に「鳴かず飛ばず」と諫言したことが認められて重臣となった祖父を持つ伍子胥は、領主としての資質を有する兄の伍尚を支える立場で生涯を終えようとしていた。しかし楚国の権力闘争に父と兄が巻き込まれる。覇王として君臨した荘王とは比べ物にならない愚物の平王は、佞臣の費無極による讒言を信じて、忠臣である父と兄をいわれもない罪で処刑してしまう。そこから伍子胥は祖国の楚に対する復讐の鬼と化していく。

 臣下を集める目的で開催した武術大会が面白い。剣豪、弓などの武芸だけでなく、力自慢や遠目が効く者まで集めて、それが後に様々な所で役立ち、時に窮地を脱する役目を果たす。時代がやや下って、孟嘗君が様々な特技の人物を集めた様子に重なる。また人物を見抜く器量もあり、「美しいものは、神に献ずるべきである」と語らせている。対して楚の平王は人物を「多少は役に立つ」との観点しか見ないため、「こういう王のもとでは、臣下は育たず、名臣はけっしてあらわれない」と論じている。

 伍子胥は故郷の楚から追われて放浪の旅に出るが、なぜか暗い影は見えない。それは伍子胥の器量の大きさに加えて、周囲を取り巻く人材が豊富だったからであろう。場所を転々としても、行く先々で人柄と評判から丁重に遇されて、ついには隣国の呉に落ち着く。

 伍子胥は人の見る目も間違いない。武術大会だけでなく、旅の途中で困窮していた孫武を常人ではない知略を有していると見抜く。長年気にしつつも時を待ち、呉で自分の役割を得るとすかさず孫武の元に赴く。本来は自らの指揮で楚を打ち破り復讐を遂げたかっただろうが、そこは孫武を信用する器量があった。

 

   孫武ウィキペディア

 

 「無礼を重ねた楚王は、天の時、地の理からずれていき、人のなかで立てなくなる」。そして「死者に鞭打つ」の故事成語によって伍子胥の復讐が成就する。しかしそれは新たなる始まりであって、宮城谷昌光が本当に書きたかったのは、その後のことだったようだ。 

 

 よろしければ、一押しを m(_ _)m

 




以上の内容はhttps://nmukkun.hatenablog.com/entry/2025/02/15/070200より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14