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6-2 重耳 ②(晋:BC 696~BC 628)(1993)

【あらすじ】

 重耳の父献公の正夫人となった驪姫(りき)は、自らの子を王とするために、3人の公子を謀殺しようと都へ呼びよせる。兄の申生は自害し重耳と弟の夷吾は逃げ、この瞬間から重耳の19年の長期にわたる放浪生活が始まった。重耳はまず母の出身地である白狄は孤氏の集落に着き、歓待を受けた。ここで重耳は叔隗・季隗という姉妹のうち、妹を自分の妻として、姉は重耳が信を置く趙衰ちょうさい)の妻とし、絆を深める。

 

 驪姫は重耳と夷吾を殺し損ねたことを不安に思っていた。重耳を仕留めるため閹楚(えんそ)という刺客が送り込むが、重耳にかわされてしまう。やがて父の献公が亡くなると、驪姫とその一族は皆殺しとなる。重耳に帰国をうながす使者がやってきたが、狐偃(こえん)が重耳をとめた。今帰国すれば、重耳は面倒な問題に巻き込まれる懸念を抱いた。

 

 対して弟の夷吾は、匿っていた秦の任好(穆公:ぼくこう)を後ろ盾として使者の意向を受け入れ、恵公として即位する。しかし夷吾は後ろ盾となった任好に対して礼節を欠いた。怒った任好は晋を攻め、夷吾は捕虜となってしまう。その後晋に帰国した夷吾は、自分の地位を脅かす兄の重耳へ、再度刺客の閹楚を放った。この閹楚に立ちはだかったのが、介子推である。重耳は孤氏を出発して斉へ向かうことにした。

 

 重耳の一行を受け入れない邑もあった。にたどり着いたものの、衛の君主は重耳一行に対して冷たく接する。一行は五鹿という土地で食料が尽き、地元の農民に食を乞うた。これに対して農民は器に土を盛って出した。重耳は激怒したが、趙衰に「土を得たということは、この土地を得るということです。拝して受けなさい」と諭される。斉までの道のりは,重耳らにとって厳しいものだったが、介子推はこの道中で陰ながら重耳を支え続けた。

 

  

 *「春秋五覇」の1人、斉の桓公ウィキペディア

 

 重耳は放浪の中55歳になり、ようやく斉にたどり着いた。斉の桓公は重耳に厚意を示し、いつしか重耳は斉で骨を埋めてもいいと思うようになっていた。しかし狐偃らに酒を飲まされ酔っている間に、重耳は斉から連れ出されていた。

 

 重耳は再び流浪する。寄る国々で君主たちの思惑に翻弄されながらも、楚へ辿り着いた。楚の成王(せいおう)は重耳を手厚くもてなしたが、この滞在中に秦から使者がやってきて、重耳を迎えたいと言ってきた。秦への道の途中で弟の夷吾が死んだことを知る。

 

 放浪生活はようやく終わりを告げた。重耳は秦の任好の後ろ盾を得て、晋の君主となった。

 

 

  

 *重耳の兄の申生。驪姫の策謀に対して、父を裏切ることはできない、と自ら命を断つ。後世の人からは「忠孝の人」として偲ばれました(ウィキペディア

 

【感想】 

 君主の王子でありながら、命の危険を感じて19年も放浪生活を続けた重耳

 私が初めて宮城谷昌光作品に接したのが本作品。知識の乏しい春秋時代を舞台として、馴染みのない人物が多数登場するのに加え、日本ではまだ原始時代と言われた遠い昔。広大な中国の大地で、ともすれば黄塵の中に埋もれ、重耳の存在を見失いそうな不安を抱きながら、宮城谷昌光の筆を頼りに読み進んだことを思い出す。

 

 10代では兄と弟に挟まれて余りパッとせず、20代、30代に実力を蓄えて、いざその才能を開花させようとした時期に、義母による好計のために43歳で国を離れ放浪生活に入る。時に食も途絶え生き抜くのに精一杯の時もあり、この後国王として復活するとは本人も思えなかっただろう。これは長年流人生活を経験した源頼朝の心境に近いものがあったのではないか。

 父の献公が亡くなり、「妖婦」驪姫とその愛人優施らも皆殺しとなるが、家臣たちの諫言により帰国を止めた重耳。周辺の様々な国を巡りながら、時に冷たくあしらわれ、時には妻をあてがわれる厚遇を受けながら、自ら卑屈になることなく王子として振る舞う。報われない可能性もありながらも、重耳の才器を信じて希望を失わない家臣たちに支えられて、各国の国情と君主の性格を学んでいった。 家臣たちも重耳に尽し、そして自らも成長していく。

 兄の申生は始皇帝の子扶蘇と同じく、混乱を招くことを憂慮して自害する。弟の夷吾は父の死によって先に戻り君主となるが、重耳に暗殺者を向け、支援した国への恩を仇で返す振る舞いのため、信を失い捕虜になる。

 重耳は62歳になって「満を持して」君主に即位した。在位期間は9年と短いものの、手痛い敗北を喫した楚の成王は「天は晋公を長生きさせ、かれを害しようとした者を、ことごとく除いた」と評価した。

 放浪時代の復讐を企てるなど人間臭いところも見せながら、放浪の時に友誼を重ねた諸国の王を従わせ、春秋時代周王朝に代わって天下の事を取り仕切った覇者「春秋五覇」の筆頭とされる存在となった。

 

  

*楚の成王。成王の楚軍が川を渡るまで、宋が「要らぬ」仁義より攻撃を待ち楚が大勝した「宋襄の仁」。対して重耳は城濮の戦いで、仁を為しながらも成王を破ります(詳細は後に)。

 

 雌伏の時代も文字通り「耳を重ねて」家臣団の献策を取り入れる。民の声に傾け王の声と対峙し、それこそ「表裏を知って」自ら判断する資質も磨いた。

 

 作者宮城谷昌光海音寺潮五郎の「中国英傑伝」を取り上げて、重耳に対しての深い思い入れを語りました。その思いから、本作品だけでなく、重耳から「スピンオフ」した物語も上梓しています。このあと、そのいくつかの作品を取り上げていきます。

 

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