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短編集ですが、中国文明で特質すべき「文字の起源」と、(西)周が滅亡して春秋時代に入る経緯を紹介した作品があるので、取り上げました。三代(夏・商・周)から離れた残る1編は、直木賞を受賞した名作 「夏姫春秋」の後日談と言える内容。
霞がかかるほど遠い昔の「点描」のような作品集です(なお作品は年代順に並べ替えました。掲載順は1と2が逆です)。
1 地中の火 (夏王朝:BC1860年頃)
中原で后羿(こうげい)を首領とする族は、いつの間にか一大勢力になっていた。そこに野生のような男の寒浞(かんさく)が現れ、時の夏王朝でさえ、后穿の弓矢を防ぐことはできないと吹き込む。
后羿は乗せられて夏王朝を破るが、自分の族の被害も大きくなる。そこにつけ込んだ寒浞は、為政も外交もそして謀計も優れていた。まず后羿を主から棚上げして実権を握ると、ついには殺害してその座を奪う。更に夏王も殺害して寒浞の王朝を打ち立てた。しかし夏王の遺児の小康が遺臣と共に叛旗を翻し、寒浞とその子らを殺害し、40年間で夏が再興した。
最古の王朝「夏」が、1人の逸材により滅び、そして再興する物語。歴史を動かすものは4000年前も現在も変わらないと感じます。
*后羿(ウィキペディア)
2 沈黙の王 (商王朝:BC1200年頃)
商 (殷)王の小乙には、言語障害を持つ丁(子昭)が王子で、神意を群臣に伝えることができない。小乙は子昭に、賢者から言葉を学ぶよう命じるが、子昭は納得できる賢者に出会えなかった。子昭は商王朝の開祖の陽王が眠る祀に向うと、そこに陽王が夢に出て告げる。
「汝の苦しみは救ってやれぬ。高祖(舜帝)が祭事をした都を目指せ。疑ってはならぬ」
お告げを信じて子昭は都へ向かうが、途中奴隷狩りの兵に捕まってしまう。ところが同じく捕まった説という男は、子昭が一言も発しないのに、子昭の心の声を聞いて答えることができた。説によって子昭は言葉を得ること、そして通じ合う感動を知る。
子昭は王が危篤という報を聞いて都に戻ったが、父小乙はすでに崩御していた。子昭は武丁として即位する。武丁は口を開くと「象を森羅万象から抽き出せ」と命じ、文字が創造される。武丁は商王朝として版図を最大に広げた。
文明を大きく変えた「文字」の起源。これにより法と制度が確立し、思想が生まれ伝承し、歴史が語り継がれます。
*甲骨文字(ウィキペディア)
3 妖異記 (周王朝:BC770年頃)
周王朝は滅亡の危機に瀕していた。王事の記録係である太史の伯陽は、周は10年以内に滅びると明言する。時の幽王は正妃と太子が居たが、王宮の奥にいた褒姒(ほうじ)を見つける。体内に日か月が宿っているような美しさに心を奪われ愛妾として可愛がり、正妃とその王子は遠ざけられた。ところが伯陽は、竜の泡が黒いトカゲに化けることができ、1300年ほど経て霊魂になる伝説を偶然目にする。見かけは陰気なのに、声は陽気な褒姒と重なり、悪い予感に襲われる。
周は遠ざけられた正妃の父が王である申との戦いになった。幽王の参集に応じた諸候は戦支度でやってきたが、申軍の侵攻はない。それを見て初めて褒姒が笑った。褒姒の体内にこもっている陽の気が爆発したのだ。周王朝は終わる。伯陽はそう感じて目をつむった。
4 豊穣の門 (前作の続き)
掘突(くつとつ)の父の友は、周の幽王に仕える鄭(てい)の君主である。幽王が褒姒を笑わせるための招集を重ねることで、人心は離れ友は周の滅亡を予感する。友は子の掘突には、幽王と褒姒の子を助け、子が亡くなった場合は正妃とその子が居る申を頼るよう遺言を残す。周は戦いに敗れ、友と幽王そして褒姒の子は亡くなった。掘突は父の遺言通り単身申に向かい、一旦は幽閉される。牢には褒姒も幽閉されていたが突然姿を消して、トカゲが残るのみだった。
間もなく幽閉が解かれ、掘突は申侯と対面した。申候に娘を妃に求める掘突に対し、申候は失った領土を回復したら認めると答える。掘突が鄭国の再建に手掛けると、父の徳を積んだ治世を覚えていた民と知略によって、たちまち領土は10倍に回復し、巨大な城砦の建設に着手する。
300年続いた(西)周が滅亡し、「春秋時代」に突入します。夏、商に続いて登場する「暴君と妖女のコンビ」は、その後の中国王朝も続きます。
*褒姒(ウィキペディア)
5 鳳凰の冠 (BC4世紀頃)
叔向は晋の貴族の1人。34歳になるが独身で、40歳までに妻帯しようかと構えていたが、高名な夏姫の娘を見て心が奪われた。
叔向は晋の悼公(とうこう)に召され、太子彪の守り役となった。彪は心気に張りがなく、鍛え直す必要がある。叔向は厳格な教育者になった。
悼公が死に彪が平公として即位すると、叔向を太傳に任じ、合わせて夏姫の娘を娶ることを命じた。婚儀が済んで会話をすると、美貌だけでなく賢婦とも言える女だとわかり、叔向は満足した。叔向はその後政争に巻き込まれて非情な決断も行なうが、平公を補佐し、晋国の覇業を補佐した。
年を取り叔向は致仕を願い出る。そして最後の務めの日、初めて会ったときに妻の傍らあった、母の夏姫が残した夏姫らしい鮮やかで軽い冠を妻から下された。
のちに取上げる「夏姫春秋」で、母は波乱の生涯を送りますが、その娘は「定年まで無事に勤め上げた役人」の妻として平穏に暮らしました。
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