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私が選ぶ「史上最強の内閣」

 

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします

 

 昨年もお正月は特別企画を開催しましたが(とは言っても自分のブログの番宣💦)、今年は私が昔から妄想していた「歴史の偉人による内閣」をまとめたいと思います。

 ところが昨年「もしも徳川家康が総理大臣になったら(以降「もし徳」)」が先に映画化されてしまいました。一方で私が妄想する内閣は「キャッチ-」な顔ぶれとはほど遠く、地味で真面目です。

 映画の閣僚とも比較しながら、眺めてくださいませ。

 

 

内閣総理大臣 源頼朝

 

 当初は「織田信長内閣」を作る気満々でしたが、「信長では、閣僚が萎縮するよね」と考え直しました(信長だと、皇帝か絶対君主)。候補として大久保利通浜口雄幸を考えましたが、共に当時は人気に乏しく、断念。

 源頼朝は家臣が全くいない流人から東国武士団を統率することに成功。次いで朝廷の「天下の大天狗」後白河法皇を相手に上手く立ち回り、東国武士のための権益を手に入れて、その後700年続く武家政権の礎を築くことに成功しました。

 元々脆弱な基盤から部下を活用する姿勢は、「Prime Minister(閣僚の筆頭)」に相応しいと思います。

*「もし徳」では徳川家康:「徳川家」ありきの幕藩体制では困ります。

 

 

総務大臣 保科正之

 総務省の仕事は郵政事業やテレビなどの電波規制と共に、地方行政も網羅しています。

 保科正之は、中央では徳川家光や家綱に仕えて「末期養子の緩和」など、地方自治を生かす政策を進めながら、領地の会津藩の人口を増やすために、飢饉に備えて備蓄米を準備したり、高齢者に報償を与えたりと、当時では画期的な地方自治を実践しました。

*「もし徳」では北条政子:「徹子の部屋」ならぬ「政子の部屋」をやらせたかっただけ?

 

 

法務大臣 北条泰時

 律令制度が崩壊して、法律が民衆の味方にならなくなった時、数々の訴訟を担当した北条泰時が執権になって制定した「御成敗式目」は、その後続く武家政権の骨格となりました。

 「道理」を重んじた姿勢は、現在の陪審員制にも通じていると思います。また登記も境界もなく土地の争いが絶えない当時、土地を20年以上実際に支配すると、その人が所有者になる(知行年紀法)定め。これは800年後の現在の民法でも引き継がれています。

 

*「もし徳」では聖徳太子:「和を以て貴し」は、法務大臣ではないなぁ。

 

 

外務大臣 高田屋嘉兵衛

 選定の条件は「異文化にあっても、人格や識見で対等以上に渡り合えること」。

 そうなると真っ先に浮かぶのは、唐で一世を風靡した空海。ただし空海の「大臣」姿は想像できません。

 商人だった高田屋嘉兵衛は、「ゴローニン事件」(ロシア人を幕府が拿捕)に巻き込まれ、ロシア側に拿捕されます。それでも絶望せず、命懸けの航路開拓の経験からロシア人の信頼を得ることに成功して、幕府と掛け合って日露の紛争を平和裏に解決することに成功しました。

*「もし徳」では足利義満日明貿易も、結局は朝貢(へりくだり)外交です。

 

 

財務大臣 高橋是清

 財務大臣の選出は、貨幣経済が全国に行き渡った近世(江戸)以降に絞りました。

 江戸期も積極財政派と緊縮財政派が入れ替わって登場しましたが、実績と識見になるとこの人が1番と考えます。艱難辛苦の人生から学んだ「楽天主義」は、困難な中でも絶望せず様々なアイディアを生んで国民を安心させます。一方で軍部による予算拡充要求を退ける断固たる識見も見せました。

*「もし徳」では豊臣秀吉というより竹中直人):マネーサプライを考えるわけがない。

 

 

文部科学大臣 津田梅子

 吉田松陰と迷いましたが、松陰は精神論も強いので、ここでは遠慮させて頂きました。

 津田梅子は明治維新後間もなく、6歳で渡米して西洋文化を学び、帰国すると学問を深めながらも女子の高等教育に生涯を捧げ、1900年に津田塾大学を創立しました。

 勤勉で厳格な性格から目的に突き進み、そのためか伊藤博文を初め支援者にも恵まれて、学校創設に成功します。そして男女雇用機会均等法の設立時は、津田塾大学卒業生が先頭に立って活躍したといいます。

 

*「もし徳」では紫式部:昨年は大河ドラマの主人公でしたからね。

 

 

厚生労働大臣 藤原光明子

 聖武天皇の皇后であり、藤原家躍進の象徴とも言える人物ですが、一方で興福寺悲田院と施薬院を設立します。悲田院は貧困者や孤児を収容する福祉施設。施薬院は貧困な病人に対して治療や薬物の投与を行っていたそうです。そのためかハンセン病患者にも臆することなく身体を洗う「千人風呂伝説」があります。

 この行動が現在の皇室と日本赤十字社の関係に続いている、とも言われています。

*「もし徳」では徳川綱吉:「犬公方」でも、人間相手には厳しかった…

 

 

農林水産大臣 上杉鷹山

 海もなく特産品もない米沢藩で、莫大な借金を返済するために、田を開拓し、自らが先頭に立って手塩をかけると共に、漆、桑、楮などを育成して国を富ませようとしました。

 なんとか借金は完済します。破綻寸前だった米沢藩を幕末まで「伝え」ることで、有能な経済人が数多く輩出して、明治以降の日本を牽引する礎を築きました(ここでは青木昆陽と迷いました)。

*「もし徳」では徳川吉宗:「米公方」は米価調整によるもの(それも大事ですが…)

 

 

経済産業大臣 渋沢栄一

 主たる産業が農業のみで明治維新を迎えた日本。そこからありとあらゆる産業を興したと言われる渋沢栄一。なによりも、自分で興した産業を自分のものにして「財閥」を形成することなく、世に還元してきたこと大河ドラマの主人公はともかく、新札の肖像画になったことも納得です。(津田梅子もそうですが、私がこの内閣を考えていたのは20年くらい前なので、真似ではありません、念のため)

*「もし徳」では織田信長:家康が総理、秀吉が財務相で、信長が経産相はないでしょう。

 

 

国土交通大臣 河村瑞賢

 徒手空拳で始めた商人から運命のいたずらで、東廻り航路と西廻り航路を開拓し、新田開発や鉱山開発をやり遂げ、治水工事まで成功させました。時の老中から畑違いの無理難題を押し付けられるも、犠牲を払いながらもなんとかやり遂げますが、何よりも感心するのは、この業種ではよくある「利権」の臭いがしないことです。

 

 

環境大臣 田中正造

 公害問題として初めて全国的に名を広めた「足尾鉱毒事件」は、その後の公害問題の全てが内蔵されていると言われています。その中で反対派の中心となった衆議院議員田中正造ですが、企業や政府はのらりくらりと先延ばし。遂には死を覚悟して明治天皇に直訴する「非常手段」に打って出ます。

 結局土地収用が発令されて地元村民の多くが移住する中、田中正造は最後まで現地にとどまりました。

 

 

防衛大臣 児玉源太郎

 防衛大臣の条件として シビリアンコントロール ②専守防衛 ③合理的な思考の持主 を上げました。すると戦国武将は脱落。候補として坂上田村麻呂北条時宗も考えましたが、近代戦争を踏まえて児玉源太郎に落ち着きました。

 「ドイツ陸軍の至宝」と呼ばれた作戦家メッケルも舌を巻くほどの明晰な頭脳。作戦の創造力にも優れ、日露戦争ではその能力をいかんなく発揮。また開戦時から終戦を見据え、台湾総督府では統治にも優れるなど、軍人の枠に収まらない識見も有しました。長命したら総理の印綬を帯びたはずです。

 

 

内閣官房長官 松平伊豆守信綱

 別名「知恵伊豆(出ず)」。希代のアイディアマンで、知恵比べを伊豆守としてはいけないとまで言われました。頭脳と胆力で三代将軍家光の補佐を完璧に行い、島原の乱慶安の変、明暦の大火などの難題を苦もなく対処します。

 信長の森蘭丸(または「羽柴」秀吉)、秀吉の石田三成、家康の本多正信と候補はいますが、源氏の頭領の補佐ならば、命に代えてなし遂げるでしょう。

 ちなみに内閣官房副長官大江広元

 

*「もし徳」では坂本龍馬:龍馬に宮仕えさせては、いかんぜよ。

 

 

 しかし本当は、実際の内閣が「史上最強」であって欲しいものです

 こんな映画ができるのも、世の中が求めるのでしょうね。

 そんな願いを年頭に込めて。

 

  

 

 今年もよろしくお願いします <m(__)m>




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