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16 いっしん虎徹 山本 兼一(2007)

【あらすじ】

 長曽祢興里(ながそね おきさと:のちの虎徹)は、越前の甲冑師。腕は認められていたが、戦乱が収まると商売は下り坂に。飢饉で4人の子供が亡くなり、残された妻ゆきは長年の無理がたたって病弱の身であった。興里は妻を助けるためにも、泰平の世でも需要がある、同じ鉄を扱う刀剣を作ることを決心する。時に興里36歳。

 

 越前の刀鍛冶で、幕府お抱えの御番鍛冶である三代目康継の刀は、興里から見れば鉄の扱いが緩く鈍刀(なまくら)にしか見えない。そこで別の越前の刀鍛冶の家で修行を行なうが、その師匠が殺害され、所持する名刀行光が盗まれた。息子の正吉は興里が犯人と思い追跡するが、次第に興里の刀鍛冶に対する情熱に感化されて、弟子入りを決意する。

 

 興里は素材から見直していく。鉄を基礎から学ぶため出雲を訪れ、鉄師桜井直重の元で巨大なたたら(溶鉱炉)を使った製鉄技術を目の当たりにした。その後江戸に上り、同じ越前出身の刀鍛冶、和泉守兼重の門下で刀剣造りを学ぶ。兼重は秘伝も惜しみなく伝え、5年の修行の後、独立して鍛刀を始める。

 

 しかし納得いくまで作りあげた刀を、試刀家の山野加右衛門は一目見ただけで酷評し、蔑んでいた康継の刀によって折られてしまう。刀鍛冶としての自信もへし折られた興里だが、才能と意気込みは認められ、刀剣に詳しい僧・圭海から「虎徹」の銘を贈られる。

 

 そこから虎徹の本当の精進が始まる。妥協のない姿勢によって周囲から認められ、注目される太刀を残すようになる。しかし古鉄など材料集めも妥協せず、手元にお金は残らない。労咳で病んでいたゆきはそれでも虎徹を支え、自分の治療費や薬代も惜しんで夫のために金に遣う。また虎徹は弟子の打つ大槌が気に入らないとき、呼吸を知っている病弱のゆきを無理に手伝わせ、体調を悪化させてしてしまう。

 

  虎徹の銘(ウィキペディア

 

 虎徹には病状を隠していたゆきだったが、虎徹は弟子から話を聞き焦るも、にせ医者の言葉に乗せられて大金を騙し取られる。上京時から世話になった江戸の御用鍛冶で叔父の長曽祢才市は、幕閣内の政争に巻き込まれて、見知らぬ罪で捕縛されて死罪。皮肉にも虎徹の拵えた太刀で斬られることになるが、最後まで職人としての矜持を保ったまま死罪を受け入れる姿は、虎徹の心に深い思いを抱かせる。

 

 自分には刀を鍛えることが本分と悟った虎徹。将軍お目見えでの試し切りがあると聞き、新たな太刀を作るために、かつて修行した出雲のたたらから余りものともいえる銑鉄を注文する。注文を受けたかつての師匠、鉄師桜井直重は興味を引かれて出雲から自ら江戸に品を収めに来た。それでも思い通りにいかない虎徹に、ゆきは水の違いを虎徹に伝えることで、窮地は打開された。

 

 そして将軍家綱お目見えの兜割りが始まる。最初に三代目康継が、次いで虎徹が試される。

 

 

虎徹近藤勇の佩刀で有名ですが、実際は贋作の可能性が大。「今宵の虎徹は血に飢えている」も講談師のセリフで、史実ではないようです(ウィキペディア

 

【感想】

 山本兼一が「信長テクノクラート3部作」を上梓した後の作品。職人を題材にすることは変わりないが、それまでの作品は既に第一人者であるのに対し、本作品の虎徹は年を取ってから刀鍛冶に目覚め、1から始めて名人になる過程を描いているのが大きく異なる。理解ある妻に支えられて、苦労して時には身近な者の死を見つめ、そして時の権威者との抗争の中で一世一代の作品を作りあげる。技術のジャンルは異なるが、安部龍太郎の「等伯」と重なる。

 特に妻のゆきの描き方に特徴がある。本来ならば貧乏で子供を亡くしたならば、甲斐性のない夫に見切りをつけるのが普通だが、夫への愛情は最後まで変わらない。そんな糟糠の妻に支えられて、虎徹は当初は我が強く、傲慢な態度で妻をないがしろにしていくが、次第に角がとれて妻にも愛情を注ぐようになっていき、それとともに刀の創作にも影響を与えていく。

 

 「火天の城」もそうだったが、本作品でも山本兼一は、職人の周囲に印象に残る言葉を纏わせている。幕府の御用金物師である叔父の才市は、

下手なやつほど手を抜かずにやる。懸命に、必死にやる。ありがたいことに、鉄はそんな男が好きだ。下手のままでいろ」と虎徹に諭す。(134頁)

 自信作が出来上がったが、あっさりと折れてしまった時に、

強く鍛えようとの気持ちが裏目に出てしもうたのだ。強くなればもろい・・・・気持ちに抑えが効かなんだのじゃな」(211頁)

 いい仕事をするにはどうすればいいのか問われて、

なによりも、志を高く持つことだ。志を高くもち、けっして満足せぬことだ。自分をごまかさず精進すれば、いつかはそこに必ずたどりつける。それを信じることだ」(287頁)

 

 虎徹は65歳で亡くなるまで更に傑作を鍛え上げ、弟子の正吉は二代目虎徹を名乗り、やはり業物と作り続けた。そして作者山本兼一も翌年上梓した「利休をたずねよ」によって直木賞を受賞。また5年後の2012年には「おれは清麿」を発刊して、今度は江戸時代後期の刀鍛冶を描いた。

 

 そして山本兼一は2014年、57歳の若さで死去する。短い創作期間で様々な職人たちを、それぞれの分野を1から勉強して描き続けた。その愚直なまでの創作内容は、まるで虎徹のように「下手なやつほど手を抜かずにやる。懸命に、必死にやる」。

 読者は、そんな小説が好きだ。

 

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