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【あらすじ】
敬虔深い宣教師であるフェノロサが「穴吊り」と呼ばれる苛烈な拷問で棄教したと聞き、イエズス会は後継にキアラ神父らを日本に送るも、すぐに捉えられる。キリシタンを取り締まる役職に就いた井上政重は、島原の乱を通して拷問でも棄教はできないと思い、下屋敷を切支丹屋敷を設け隔離する方針に変更し、キアラも屋敷内の牢に囚われの身となっていた。
早くから両親を亡くし、叔父の井上政重の元で育った坂田孝和(後の関孝和)は、幼い時から算術の天稟に溢れ、真理の探究に余念が無かった。遂には叔父に頼んで、キアラ神父から直接西洋の数理を学ぼうとお願いして許される。宣教師の立場であるキアラに対し、11歳の孝和はキアラから、西洋数学から天文学、そして天体観測や宇宙の構造、更には日食や月食など、当時最先端の学問を教えられた。
その頃オランダから布教を目的として、アプリルという少女が長崎商館に来日していた。キリスト教徒であることを隠そうとしなアプリルは捉えられて、長崎奉行所から江戸の切支丹屋敷に送られてきた。アプリルと話をした孝和は心を奪われ、4月を意味する「卯月」と呼んで交流を深めていく。
井上政重はそんな孝和を、駿府の商人で数学に熱心な松本家に行かせる。そこでたくさんの算術書に囲まれると共に、朝廷公認の宣明暦に対して、幕府公認の三島暦を司る島田貞継とも知遇を得て、太陽と月の運行に基づく暦法の教えを受ける機会に恵まれた。
そして松本家に幕府公認の碁打師で算術者でもある安井算哲(渋川春海)が立ち寄る。同じ年の孝和は交流を深めようと質問するも、算哲は尊大で才気走り、孝和と肌合いが異なっていた。
駿府に来て7年、井上政重が危篤の知らせを受け江戸に戻る。政重の遺書には、孝和は甲府藩は関家の養子となるよう記されていた。孝和はここで初めて、親はキリシタンとして処刑された者の子と知り、今度は縁もない甲府藩と関家へと導かれて戸惑いを隠せない。しかし関家に入った孝和は、そこで算術の当代一人者である磯村吉徳の知遇を得る機会に恵まれた。また別に「天元術(代数)」も勉強し、誰も解けないと言われた問題を解き明かして「発微算法」を発表し、日本の算術界で一躍名を高めた。
甲府藩主綱豊(後の家宣)は、5代将軍綱吉に子がないために次代将軍に擬せられる。家宣は渋川春海が改暦に失敗したことを見て、孝和に新しい暦の作成を命じる。孝和は門人の建部賢明、賢弘兄弟に天測を行なわせ暦の作成に注力するも、渋川春海は政治力を利用して巻き返し、紆余曲折の上に改暦に成功させた。
綱吉が亡くなると家宣の世となり、孝和も間部詮房や新井白石らとともに江戸に出府する。そこへ薩摩にシドティと呼ばれる宣教師が来たという情報が入る。シドティは84歳で亡くなったキアラからの手紙を持っていて、そこには数学の才がある孝和に、西洋の数学を教えてくれるようにと記されている。
しかしその時孝和は病床にあり、薩摩へ行く力は残っていなかった。
*映画「天地明察」で関孝和を演じたのは市川猿之助。いろいろと残念です(MOVIE WALKERS)
【感想】
先に取り上げた「天地明察」で登場した「解答さん」こと関孝和が主人公。本作品の方が先に発刊されているが、その印象は「天地明察」が陽ならば、本作品は「陰」。渋川春海は算術の才能は劣る権威主義者のように仕立てられて、関孝和とは1回、しかも後味悪い出会いで終っている。
そしてそれ以上に「陰」の雰囲気を全体に包むのが、禁教だったキリシタンの問題。遠藤周作の名作「沈黙」のモデルとなった宣教師のフェノロサとキアラの、余りにも悲しい運命が作品に取り入れられている。作者もあとがきで書いているが、江戸初期に日本の算術が飛躍的に向上したのは、宣教師による西洋算術の教えが深く関わっていると推測されている。
その点を大胆に解釈して、作者本人が「フィクションとノンフィクションの狭間を往復」する物語として作りあげた。元々資料の少ない関孝和だが、殉教したキリシタンを親に持つ孤児として扱い、一方ではキリスト教の弾圧者として見られる井上政重を使って宣教師キアラとの接点を繋げる。そして最後にシドティという「大物」を呼び込んで、日本の数学者と宣教師の物語を収束させている。
そんな流れもあり、関孝和は「天地明察」とは反対に非常に内向的な人間として描かれる。かいがいしい働きを見せる妻幸恵も、相次ぐ子の早世に向き合うことができないのか、孝和との心が離れていく。その中で「断章」と書かれたエピローグは痛ましい。本作品のテーマである日本の和算とキリシタンとの関わりを象徴する、余韻を残す形で物語を終えている。
当時流行し始めた「天元術(代数)」は、本作品で井上政重が亡くなった頃に噂で浮上した秘本「楊輝算法」、そして天元術の第一人者である沢口一之の著「古今算法記」などを紹介して、孝和が高次方程式(3次以上の方程式)を使う代数の真理に到達する様子を描いた。「古今算法記」では遺題継承と呼ばれる、巻末に正解を記さない問題が15題出され、孝和は時に17次方程式(!)を用いて、最初に15題の解に到達し、「発微算法」でその解答を紹介して日本の算術界で第一人者と躍り出た。
そして孝和の門人である建部賢弘は関孝和の事蹟を分かり易いように解説し、特に解答だけで理解できない「発微算法」の解説編である「発微算法演段諺解(げんかい)」を著わして世に広めた。その後「関流」と呼ばれる関門下の和算の興隆を形付ける。「円周率を計算した男」として短篇でも描かれ、8代将軍吉宗の代まで重用された。

*円に内接する多角形から円周率を計算する方法を解いた「発微算法演段諺解」(国立国会図書館)
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