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11 天下人の茶(千利休) 伊東 潤(2015)

【あらすじ】

第一部

 能には主役「シテ(仕手)」と相手役「ワキ(ワキ柱近くに立つ)」がある。天下人となった秀吉は、茶の湯から逃れ、自らが「シテ」となる能の「明智計」を一心不乱に演じながら、利休を思う。

 

1  奇道なり兵部  (シテ:牧村兵部 ワキ:高山右近

 利休から、真似ばかりで「奇道」を求めず自己の詫びを見つけていない、と指摘された兵部。武土の宿命から逃れるために入信した耶蘇教は、禁教となり兵部は棄教したが、高山右近は拝領の地を返上しても棄教を受け入れない。そして表面上は棄教しても、心は耶蘇教に頼る兵部を侮蔑する。

 朝鮮出兵の際、兵部が民家で見つけたロがゆがんだ高麗茶碗は、夢の中で利休に唯一認められた品にそっくりだった。戦場を離れ夢中に茶碗を漁っている中、兵部は敵襲に遭い、現地の民によって殺害される。

 

2 過ぎたる人 (シテ:瀬田掃部 ワキ:山上宗二

 利休から「この国を正しい道に導かれよ」と託された茶杓の名人の瀬田掃部。小田原攻めで北条に間者として潜り込むと、利休の門弟で秀吉から追放された山上宗二と再会し、茶杓春雪」を形見分けされる。

 その後秀吉の甥の秀次に仕えた掃部は、秀吉の大陸侵攻を止めるため、秀次に秀吉殺しを持ち掛ける。掃部は秀吉と秀次と3人の茶席をもうけるが、秀吉は「春雪」が竹ではなく象牙製と見破る。掃部は気の動転した秀次によって、「春雪」で首を貫かれてしまう。

 

  

 長谷川等伯が描く千利休は、「孤高な芸術家」の印象を強く受けますウィキペディア

 

3 ひつみて候 (シテ:古田織部 ワキ:小堀遠州

 利休は切腹を命じられ最期の別れをする織部に、「独自の境地を持った茶人だけが権力者に迎合し、新しい茶の湯を創造し、世に問うものが必要。それができるのは織部だけ。我が座を譲ります」と託した。

 大坂の陣織部は豊臣家のために必死に奔走する。一旦は家康に詫びを入れるも、織部切腹を申し渡される。介錯の役を担った小堀遠州は、織部からその茶を「ぬるきもの」と長年軽く扱われてきた悔しさを語り、織部の茶は歪みすぎて誰もついてこないと一蹴する。徳川家に食い込んだ遠州が、織部が嫌う「きれいさび」を茶の主流にしていくと豪語する傍らで、織部は無念のなか切腹する。

 

4 利体形 (シテ:細川忠興 ワキ:蒲生氏郷

 信長を亡き者にする企てを秀吉に持ち掛けたのは利休だった。細川幽斎を巻き込み明智に焚きつけて、今井宗及らを遠ざけ、弟子の宗二を殺して天下を秀吉に取らせる。その後唐入りを勧め秀吉の求心力を削ごうとしたのも利休だった。

 片や秀吉は、金の茶室が詫びの究極の姿という答にたどり着き、その境地に氏郷と忠興は惹かれていく。秀吉の才に気づいた利休は、秀吉を茶道から遠ざけたかった。そして死を賜り、秀吉に能を傾倒させることで、利休は美の支配者として永遠に君臨することを目論む。

 

第二部

    信長暗殺のあとも秀吉と利休の2人は共に協力して政敵を倒し、茶の湯は利休が求める、万民が楽しめる佗び数寄に発展させていく。しかし唐入りを前に2人は袂を分かつ。一心同体の利休を殺すことは、秀吉を殺すことにも繋がるが、それでも秀吉は利休を亡き者にしなくてはならなかった。

 

 

山本兼一直木賞受賞作は、利休の切腹に向けて、様々な視線から利休を描きます。

 

【感想】

 千利休を主人公とする作品は、直木賞を受賞した山本兼一の名作「利休にたずねよ」があるが、山本兼一の作品が重なることもあり、本作品を取り上げた。本作品、「利休にたずねよ」、そして岳宏一郎の「花鳥の乱 利休の七哲」は、利休の周囲を描いて利休を浮き彫りにしようと短編の連作集となっているのが共通している。高みを極めた芸術家の内心を、主人公に絞って描くことは、困難な作業だったのだろうか

 本作品は利休を芸術家だけでなく、堺の商人として、そして茶の道の第一人者として君臨することを目的とした、野心溢れる人物としても描いている。その渦巻く野心、そして利休が唱える「奇道」は周囲の人物たちも巻き込み、そして人生をも狂わせてしまう。

 それは武将だけでなく、信長もしかり、秀吉もしかり。利休が自ら後継者と指名した古田織部については、司馬遼太郎が短編「割って、城を」で主人公として、やはり傾いた茶人を描いている。その「傾奇」で自身の人生を狂わせでいるのが印象的。

 

 千利休を描く場合は、その死の「真相」に触れなければならない。様々な歴史学者歴史小説家がその謎に挑んだが、どれも「帯に短かしたすきに長し」。しかし本作品で、作者伊東潤の筆に導かれるかのようにして、ようやく「腑に落ちる」1つの結論にたどり着いた。

 利休にとって茶道とは、キリスト教と同じ「一視同仁」、万民平等を唱える宗教であり、「尊師」利休に対して、キリシタン大名と同じように利休の意に従う「七哲」ら武将たちが存在する。対して秀吉から見れば、土地と違って「無尽蔵とも言える」茶道具をもって武将を支配し、そして茶によって民たちを身分から解放する、武土の支配する社会構造を変革する力を秘めている。この思想は、秀吉が禁教とした耶蘇教と同じ地平に立ち、利休が切腹を命じられ、その命に従ったのは、「殉教」に他ならない。

 伊東潤は本作品の延長線上として、利休を主人公に据えた「茶聖」を上梓した。

 

*利休の高弟7人、すなわち荒木村重高山右近織田有楽斎蒲生氏郷細川忠興前田利長古田織部を主人公とした連作短篇集です。

 

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