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【あらすじ】
南都藩家老の家に生まれた原敬(たかし)。14歳の時に師事した家老の楢山佐渡が、戊辰哉争の敗戦の責任により盛岡で刑死されて衝撃を受ける。仇を討つべく決意するも、母からは辻斬りと同じことと諭され、家老楢山の父からは、武士道にもとる卑怯な手でも「勝てば官軍」を教え込まれる。
貧乏で学費に困った原は、フランス人宣教師が運営する無料の学校に通う。その後原家は家禄を奉還し、一時金を受けたために東京で勉強を進めることができたが、思い切って原は分家して爵位を捨てて平民籍に編入した。1876年司法省法学校に入学し優秀な成績を収めていたが、同級生が寄宿舎の待遇改善を求めた行動への処分に抗議したこと(賄征伐)で1879年に放校処分とされる。
郵便報知新聞社に入社した原は、次第に論説記事も手掛けるようになり、優秀な新聞記者の評判を得る。しかし明治十四年の政変で大隈重信派が政府を離脱し新聞社を買収して、犬養毅や尾崎行雄らが社に乗り込んできた。原の記事は受け入れられずに、会社を去ることに。
そんな原を井上馨が目に付けた。原は大阪の政府系紙「大東日報」の主筆となり、一躍高給を得るも、路線の対立からまた退職。ところがフランス語に堪能な原は外務卿に就任した井上馨にとって貴重な存在で、外務省御用掛に採用された。フランスと清の関係が悪化し、情報収集のため原は天津総領事として中国に派遣、原は清仏戦争に関する情報を多数報告し、井上の期待に応える。また伊藤博文と李鴻章との交渉を目の当たりに見て、その外交手腕に感銘を受け、お互いを知ることになる。
フランス留学から戻ると、外務大臣に就任していた大隈重信から嫌われたため、井上が大臣をしている農商務省に転じる。ここでも有力官僚と対立して不遇だったが、陸奥宗光が農商務大臣になると、実務家同士で息も合い、見違えるような仕事振りに変貌。陸奥の大臣辞職に従うが、すぐに第2次伊藤内閣で陸奥の外務大臣就任に伴い原は通商局長として外務省に復帰、領事裁判権の撤廃や外務省改革に従事して成果を上げた。
陸奥が病気で辞職すると後任の大隈を嫌って辞職し、伊藤博文の政友会結成の下働きに努める。伊藤は政党党首として第4次内閣を組閣するが、原は閣僚に選ばれなかった。失意の原だが、星亨の辞職に伴い逓信大臣に初入閣を果たす。内閣は間もなく内部の政争で崩壊するが、原は筋を通したために人柄を見込まれる。
*国会で議場を見渡す原敬首相(隣りは内田外相:朝日新聞デジタル)
衆議院選挙では盛岡市から出馬して、当選を重ねる。政友会は伊藤が日露戦争の中枢密院議長を求められ、党首を西園寺公望に変更、その後の西国寺内閣を原は内務大臣として支える。
明治天皇が崩御すると大正デモクラシーが吹き荒れ、原は西園寺の後を継いで党首に就任、そして1918年、ついに原内閣が発足し「平民宰相」と呼ばれブームを巻き起こす。しかし普通選挙法の改正を中心に民権の政策が期待されたが、国防の拡充など山県有朋の意向に沿った政策も推遣し、民衆の期待は裏切られた。
1921年東京駅で暴漢に心臓を刺され、死去。享年64歳。
【感想】
歴史小説としては珍しく「わたし」の一人称で話が進んでいく。そのため静かな筆致ながらも、転々と変わる職の中での立身出世の物語だけでなく、戊辰戦争で賊軍となった恨みや叛骨心、藩閥に対する恨みや内面での相克、そして不仲な妻への思いや妾との関係なども赤裸々に描写し、場面が日常と仕事で目まぐるしく変わりながらも展開していく。
*平谷美樹が描いた「南部三部作」の第1作です。
作者の平谷美樹は岩手県出身で、幕末に成果を見せた「三閉伊一揆」を描いた「大一揆」、家老の楢山佐渡が三閉伊一揆後、民と向き合って国の再興に尽くすも、戊辰戦争に巻き込まれて刑死きれた悲劇を描く「柳は萌ゆる」。そして本作品を加えて「南部三部作」と言うべきシリーズの集大成とした。一人称の文体は、原敬に南都人心の内を代弁させ、心象風景を鮮やかに描くためか。一方で実務家で、元老たちと手を結ぶことも厭わない現実主義者としての側面はややスルーしている印象も受ける。
新政府からは罪人として刑死した檜山佐渡の「種子」を、萌芽とも言える弟子たちが引き継いで新政府で立身出世していく。その筆頭が原敬だが、他にも後藤新平や斎藤実など、岩手県出身で1歳違いの政治家が閣僚として、国の主柱として育っていく。なお「白河以北一山百文」と言われた真の意味もつまびらかにしている。
原は官と民を交互に行きかう職の遍歴を受けながら、実務家としてまず陸奥宗光から認められて、政治的な遺産も陸奥から引き継いで大きな飛躍を示す。そして伊藤や井上の長州閥からも頼りにされて、ようやく日本の政治が成熟してきた大正デモクラシーの時代に合わせて「平民宰相」として、戊辰戦争の賊軍の立場から宰相の印綬を帯びることになる。しかし覚悟をしていた通り、暗殺として最後を遂げる。その時に本来は「敵」だった長州閥の総帥、山県が一番悲しんだのも、皮肉な巡り合わせに思える。

*「柳は萌ゆる」の主人公で、戊辰戦争の犠牲となりながらも、岩手県で多くの宰相を輩出する「種子」を撒いた楢山佐渡(ウィキペディア)
「わたし」の一人称で進む物語。それは岩手県人でもある作者の思いを表現するのに相応しいだけでなく、「平民宰相」として国会に登壇した時、それまでは「我が輩」や「本官」などの一人称を呼称していたそれまでの宰相と違って、初めて「わたし」の言葉を使った原敬に敬意を表しているように感じる。
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