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18 市塵【歴史物】(1989)

【あらすじ】

 町の儒者から甲府藩主綱豊に仕えるようになった新井白石。五代将軍綱吉に子供が望めなくなり、綱豊は家宣と名を改めて、次期将軍として江戸城に入城する。新井白石の博識は家宣政権にとって必要不可欠、と判断した甲府藩の家老の間部詮房から、白石は政治顧問として家宣を助けるように頼まれる。五代将軍綱吉が亡くなり家宣が六代将軍になると、真っ先に生類憐令を撤廃する。

 

 新井白石は次々と改革案を出すも、閒部詮房以外の老中たちの抵抗が大きく、また儒者仲間であるはずの林家を敵に回してしまう。それでも新井白石は是非とも成し遂げなければならない改革があった。先代綱吉政権下での乱脈を極めた貨幣政策の抜本的改革である。貨幣価値を低めたその改革に対して、責任者であった荻原重秀には厳しい批判を浴びせていく。

 

 また外交問題も浮上する。家宣の将軍代替わりに来日した、朝鮮使節の歓迎式典の開催や、シドッチという宣教師の密入国問題などが浮上してくる。

 

 すると新井白石は、政権の中枢で絶大な権力を発揮する事になる。しかし権力の裏付けだった家宣が亡くなると、徐々にその足許が揺らぎ始める。家宣の次の将軍は幼年で将軍になった家継も幼年で死去する。次代「独裁者」八代将軍吉宗の時代となると新井白石の居場所はなくなり、幕閣から追放されて、元の町の儒者に戻る。

 

  新井白石ウィキペディア



【感想】

 山形にこだわった歴史小説を著した藤沢周平が、「一茶」に続いて東北とは縁のない人物を長編に取り上げた。その人物は武将でも政治家でもない、学者の新井白石。「正徳の治」と呼ばれた政治を仕切った政治家だが、最近は儒学に偏たり、現実と乖離した政策を押しつけたと、評判は良くない。特に井澤元彦「逆説の日本史」の影響もあり、儒学に基づいた改革(新井白石松平定信)に対しては、硬直的で融通の効かない政策と疑問が投げかけられ、本作品のライバルである荻原重秀田沼意次などは、自由経済を進めた人として再評価されている。

 藤沢周平新井白石を取り上げた理由として、1つ想像できる。白石は長らく市井にあって、甲府藩主綱豊に召し抱えられたのが37歳の時。その綱豊が5代将軍綱吉の後継家宣となり、次期将軍の侍講になったのが48歳。それは藤沢周平が37歳の年に小説を書き始め、46歳で直木賞を受賞した経歴と同じ軌跡を描く。そして白石が6代・7代将軍に仕えた後、8代将軍吉宗に罷免されると「市塵」となって市井での生活に戻り、目立たず執筆をして過ごした晩年に、藤沢周平は共感したのではないか。

 

  徳川家宣ウィキペディア

 

 苦しい浪人生活をしていた頃、豪商角倉了以河村瑞賢の娘との縁談が持ち上がった。話に乗れば困窮した生活からは解放されるが、儒者としての立身は諦めなければならない。白石は甘んじて困窮を受け入れ、縁談を断ってしまう。一貫しているのは「商い」に距離を置く「儒者」の矜持である。

 荻原重秀の貨幣政策は、商業の発達に合わせて貨幣の供給(マネーサプライ)を増加させたことだが、儒者の白石には「商い」重視と見えて、経済政策を全てひっくり返した。長崎貿易も幕府の歳出増加に役立ったが、白石は否定する。そして朝鮮通信使も、当初は将軍家の権威を見せるために大々的な式典を行ったが、経費節減を理由に小規模に抑える。

 儒者としての理屈は通るが、当時は「東照神君以来の祖法変ずべからず」が法律。老中を始めとする譜代大名や、同じ儒家の名門、林家からは反感を受けるが、側用人閒部詮房が将軍を独占し、詮房は白石に相談することで、「将軍のご意向通り」と全て押し切ってしまう。

 ところが藤沢周平の手にかかると、頑迷な白石が私欲のない「頑固ジジイ」の姿に見えてくる。たまにしか笑わず、またその笑い方も唇をゆがめる程度の白石だが、その「たまに笑う」ことをうまく利用して、人間味を風味づけている。藤沢周平らしく丹念に資料を調べて端正に描き、善か悪かを超越して、新井白石1人の「人物」に焦点を当てて、その事跡を描いている。

 「私人」と言ってもいい出身の白石が、永く続いた不遇の時を経て、幕政の舵取りを行う役目に就く。風当たりは強いが、自身も信じたことは決して曲げない激しい性格で、幕閣から「青鬼」と恐れられた。そして吉宗の代となると身分は解かれる。

 

  間部詮房ウィキペディア

 

 但し一介の儒者が幕政に関与できたのは、白石には私欲がなかったことを、皆が認めたからだろう。将軍家宣や閒部詮房という後ろ盾はあったが、将軍が代替わりしても立場は続いた。周囲のやっかみはあったが、「実力行使」によって白石を追い落とすことはできなかった。

 幕閣から解雇されてからは「蟄居」のような形で、幕府指定の寂れた家で暮すが、政治闘争で敗れた悲哀は余り感じない。「頑固ジジイ」の姿勢は変わらず、自分の信念を曲げずに執筆活動にいそしむ。「青鬼」は自分の信念がしっかりしているから、怖い物は無かった

 「市塵」。藤沢周平から見れば、1つの理想像だったのだろう。

 

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