自称プロの真田幸村ファン、みかめです。
NHK大河ドラマ「真田丸」振り返り4コマ、今回は第50話の最終回から。
父と友と愛する人のために!
大義名分は豊臣のため。だけど幸村が戦う本当の理由はここにありました。
幸村が大坂城に入ったのは豊臣のためでも天下のためでもなく、志半ばで倒れた、彼を形成する多くの者たちの意思を貫くためだったのです。
「今だって、愛と勇気の旗を掲げてもいいんだ」
最初に発表されたキービジュアルとキャッチコピー。ようやく納得することができました。
泣いても笑ってもこれが最終回。あらゆるシーンについて語りたいところですが、筆者がグッときたせりふを2つばかり挙げたいと思います。
まずは最期の決戦を前に、幸村がつぶやいたせりふについて。
父、友、愛する人。彼らの思いを背負い大坂城に入ったけど、そこに自分はありません。
「自分の生きた証を残せたのか?」
それに対して高梨内記は「己の価値を決めるのは己ではなく時である」と答えます。
大事なのはいかに生きるか。
どのような結果になっても、その生きざまは時を超えて語り継がれる。実際に私たちは、その生きざに感銘し、涙しているのです。
そしてもう1つ。
「最後の戦国武将」が家康である、と言いきったナレーションです。
これまで幸村こそ最後の戦国武将と言い、多くのフィクション作品が幸村を英雄として描きました。しかし家康こそが「実在した戦国武将の姿」だと、そう言い切ったのです。
では幸村は何だったのか。
それは信繁から幸村に改名し、少しずつフィクション要素が多くなってきたことから察することができます。「幸村」とは多くの戦国武将がそうありたいと願った姿、幻想の戦国武将だったのです。
現代人にとって戦国武将の生きざまは幻想であり、彼らを教訓とすることはできても同じように生きることはできません。しかしわれわれの幻想である戦国武将ですら、かくありたいと思ってもできない生き方があったのです。
彼らの理想のままに生きた人物、それこそが真田信繁だったというわけです。
彼の生きざまに感銘を受けた多くの武将たちの思いが、真田幸村という英雄を作り上げていったのでしょう。
その英雄像は、400年たった今もわれわれを翻弄(ほんろう)し続けているのです。
今回紹介する書籍は「真田幸村子孫の仙台戊辰史 真田喜平太の生涯」です。
物語の最後、江戸幕府を崩壊に導いた松代藩の佐久間象山について触れ、幸村の思想は兄信之が治めた松代に生き続けたという締めで終わりましたが、では仙台に行った幸村の子孫はどうだったのでしょうか?
幸村から数えて10代目の仙台藩士真田喜平太は早くから西洋砲術を学び、幕末の動乱期には勤王派としてさまざまな策を立てます。
しかし徳川幕府に従おうとする保守派に却下され辞職、復帰を繰り返しました。喜平太は諦めずに何度も献策をしますが、とうとう保守派を覆すことができず、仙台藩は新政府軍と戦い、そして降伏します。
戦場に再び翻る六文銭の旗。どんな劣勢でも諦めずに戦う喜平太の姿は、幸村の血そのものではないでしょうか。何より、幸村の子を守ってくれた伊達家への恩義を忘れずに最後まで従った姿が印象的です。
喜平太も、幸村という理想を追い求めた1人だったのではないかと思うのです。
同書は「それからの幸村の一族」を背負って戦った喜平太の生きざまを記した貴重な一冊です。
というわけで最終回を迎えた「真田丸」。毎回笑いあり、感動ありの物語が展開され、楽しい1年を過ごすことができました。本作でますます真田家が好きになった筆者でございます。すてきな番組をありがとうございました!
第26話から始めた振り返り4コマですが、せっかくなので1話から25話までも振り返っていこうと思います。皆さまのさなロスを埋めるべく、現在制作中です! 引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
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伊勢新九郎から始まる北条五代の百年を4コマ漫画にギュッと濃縮しました。12月16日発売 原作・監修=西股総生 漫画=みかめゆきよみ
(みかめゆきよみ)
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