時々思うんだよね。ナマコを最初に食べた人って勇気あるなって。毒のあるフグを意地でも食べようとした人って執念だよなって。おかげでぼくらは食べられるわけだ。ありがとう先人。
マンガ「ダンジョン飯」(九井諒子/KADOKAWA)は、ファンタジーRPG的世界観の中で、ダンジョンに住む魔物をどう食べるか追求した作品。確かにモンスターゆうてもキノコとかカニとかウサギとかいますしね。食べれそうな気はします。
けれど、主人公ライオスの「何がなんでも食べてやる」という探究心はちょっとサイコパス。
剣士のライオスは、ドラゴンに食われてしまった妹ファリンを救うため、ダンジョンに潜ります。ゲームのような世界観なので、死んでも復活できます。ファリンはたまたま飲み込まれて腹の中に居たので、魔法で脱出できなかった。
ライオスについていくのは、エルフの魔法使いマルシルと、ハーフフットの鍵師のチルチャック。いい仲間ですね。ただしダンジョンに潜るにはお金がかかります。特に食費。下に潜れば潜るほど、食べるものがない。そんなにもっていけない。彼らはお金がない。
そこで、ライオスは「道中で狩ったモンスターを食べよう」という提案をします。
魔物を食べながらダンジョンに潜らざるを得なくなった一行。しかしライオスが提案したのには、もう一つ理由がありました。彼は魔物が大好きで大好きでたまらない。姿や鳴き声、足音や捕食方法などなど。好奇心がこじれてたどり着いた疑問が、「どんな味なんだろう」。
彼はダンジョンで出会ったドワーフのセンシとともに、ダンジョンに住む魔物での食事の奥深さを知っていきます。
ライオスの魔物食への探求は異常でした。お腹を満たすために食べるのではなく、「なんでも食べてみたい」。
魔物を好きすぎる彼。仲間が食人植物に食われかけた時、その植物のつるの締め付け具合の気持ちよさを喜々として語っていました。さすがに食われかけた仲間はドン引き。彼、わりと仲間のことより、魔物への興味が優先しています。そもそも妹が食われたってのに全然焦ってない。
彼の興味は、食べられそうな動植物の領域をどんどん越えていきます。例えばマンドラゴラとか、コカトリスとか、そのへんはぼんやりと食べられそうな気はします。人間が食べているものに限りなく近いから。けれども彼の食べたいものは動く鎧や動く絵の中の食物。鎧に関しては魔物食に精通しているセンシですら、「食えるわけないだろう」。ところが食っちゃうんだなこれが。
ライオスの行動は確かに常軌を逸しています。ヘタしたら亜人種すら食べかねない(さすがにマルシルが意地でも止めるでしょうけど)。
ただ、彼の考え方はあながち間違いではない。
人間は生物のヒエラルキーにおいて、現在は比較的高い位置に居ます。武器を持って動物を狩り、畑で作物を育て、生きるために食べてきました。さらに家畜という、食用動物育成まで行っています。
おそらく太古の人は、何が食べられて、何が食べられないか分からなかったはず。キノコなんかは、死を伴ったトライ・アンド・エラーだったでしょう。動物だって、魚や蛇やトカゲなど毒のあるものもいます。誰かが挑戦しなかったら、分からない。きっと、今でこそ当たり前に食べているニワトリだって、最初の最初は「食べたら死ぬかも」と思って食べたでしょう。
生物の生態が分かっていくと、食べられるのかどうかは分かるようになります。たとえば生き物が毒を持つのは外的から身を守るためであることが多い。ということは何かしらの天敵に、生命をおびやかされている動物の可能性がある。理論立てて考えれば何かしら発見があります。
「ダンジョン飯」では、人間が想像する「魔物」の生態を、ちゃんと存在する動物として考えたうえで、詳細に考察しています。ファンタジーの定番スライムは不定形生物。でも「生物」には間違いない。ということは消化器官がかならずある。クラゲの不思議な生態を考えたら、ありえない話じゃない。
さすがにゴーレムや亡霊は生物ではないから食べられない。だけど世界に存在するからには、食の連鎖に関わることだってあるのではないか。世界に完全に無駄な存在なんて、いないはず。
作者の九井諒子は、他の短編集でも、人じゃない生き物たちの生態を細かく掘り下げて描いています。生物のありかたを考えていくうえで、突き詰めた究極が「食べる」に行き着くのは、なるほど納得。
冒険者たちがダンジョンで、ライオスが記したレシピにのっとって魔物食を食べる時代が来るかもしれない、と考えると彼は立派な学者です。
いやどうかな。
ダンジョン飯 ああダンジョン飯。
(たまごまご)
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