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栄誉なことなら任せておけ

 戦艦「武蔵」は、大和型2番艦にして長崎三菱造船所の生まれ。就役は1942年8月5日とガダルカナル作戦が始まる2日前だ。“秘密兵器”なのに民間の造船所で建造しただけでなく、急斜面に囲まれた造船所で巨大な戦艦を作り、進水のときはあふれた海水が高波となって対岸を襲うなどなど、その存在感は長崎市中に轟いていた。実際に長崎市の地形を知っていると「よくこの土地で巨大な船を秘密で作ろうと思ったなあ」とその神経の太さにびっくらこくだろう。

 戦争が終わって姉の大和は何かと有名になったが、最有力戦艦に求められる司令部設備などは武蔵が優れていたため、就役後は連合艦隊旗艦を大和から引き継ぎ、戦死した山本五十六海軍大将の遺体帰国や昭和天皇行幸の栄誉に浴するなど、儀礼的な名誉職の経歴は大和より豊富だったりする。

 大和との違いは、対空兵装にあって、中央部の左舷と右舷にあった15.5センチ3連装副砲を撤去した後、大和が12.7センチ連装高角砲を12基(片舷あたり3基2段配置)だったのに対して、武蔵は片舷あたり3基の6基搭載にとどまり、不足分は25ミリ3連装機銃を片舷3基両舷6基搭載した。

 武蔵が艦隊に所属したとき、ガダルカナル作戦はその結果が見えており、その後、作戦に出撃する機会もなく、最後のレイテ沖海戦でもシブヤン海で航空攻撃を受けて沈んでしまうため、サマール沖で敵艦隊に主砲を撃つこともできなかった。

 太平洋戦争に参加して敵水上艦船を砲撃することなく沈んだ戦艦は武蔵のほかに「陸奥」「伊勢」「日向」がいる。ただ、武蔵は大規模作戦に参加することも少なく、「もしかすると敵戦艦と撃ちあったかも」という可能性もほとんどないままだった。その最後も、シブヤン海で敵の攻撃をほぼ一手に引き受けて、いつまでもしぶとく戦ったが、しかし、大和の劇的な最後の出撃に比べると知る人は少ない。これが、戦後において大和のような存在感を示すことができず、宇宙戦艦にも進化できなかった大きな理由なのかもしれない(違。

ボートウォーゲーム「太平洋艦隊」(ホビージャパン)に登場する日本海軍艦艇を並べてみる。左から「大和」「武蔵」「比叡+霧島」「高雄+愛宕」「夕雲型詰め合わせ」だ。大和と武蔵は1隻1ユニットの特別扱いで、戦闘力もべらぼうに高い(シルエットのない裏側にある左の値)が、出撃するときに必要な補給ポイントもべらぼうに高い(同じ裏側にある右の値)ので、戦況によっては効率のいい駆逐艦ばかりが出撃して、武蔵は“空気”になっていく

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