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サボ島の! 海は! 暗くて! せまい!

 太平洋戦争でいうところの鉄底海峡とは、1942年8月から始まって1943年2月に終わったガダルカナル島を奪い合う一連の戦いで多くの軍艦が沈んだ、ガダルカナル島北岸とサボ島の周囲の海域を指すことが多い。

ボードウォーゲーム「日米航空母艦の戦い」(アバロンヒル)で鉄底海峡の場所を確認。ガダルカナルの北岸とサボ島ではさまれた狭い海域で50隻近い船が沈んでいる(写真=左)。サヴォ島付近を拡大して第1次ソロモン海戦開始における状況をボードウォーゲーム「FLEET BATTLE」で再現した。地図の下辺にガダルカナル島の北岸がある(写真=右)

 この期間にガダルカナル島周辺で起きた海戦は30回を超え、沈んだ船は主な艦船だけでも日米豪で50隻近い。その最初の海戦となったのが8月8日深夜から9日未明にかけて起きた「第1次ソロモン海戦」だ。艦これ提督には“三川艦隊”でおなじみの重巡洋艦「鳥海」「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」と軽巡洋艦「夕張」「天龍」、そして艦これ未実装の駆逐艦「夕凪」で連合軍のガダルカナル上陸部隊護衛艦隊を襲撃し、敵巡洋艦4隻撃沈1隻撃破、駆逐艦2隻撃破の戦果を挙げた。

 連合軍のガダルカナル上陸に驚いた日本軍が、“取り急ぎ”手持ちの戦力で反撃を計画した作戦だけに、当初は鳥海と青葉・衣笠・古鷹・加古の重巡5隻で突入するつもりだったが、天龍・夕張・夕凪の“軽艦艇トリオ”が「私たちも連れていけー!」と激しく“だだをこねて”同行することになる。しかし、無理やりついてくることになった軽艦艇トリオは連絡用無線電話を搭載していなかったため、「月のない夜間なのにこれでは複雑な艦隊運動は無理」と判断した第8艦隊司令部は、単縦陣で敵のいる泊地に突入して敵陣を駆け抜けて、“そのまま”引き上げざるを得ないと判断した。

 結局、戦場に突入した軽艦艇トリオは艦隊司令部と意思疎通ができないまま、突っ込んでくる敵巡洋艦を“緊急避難的”に取舵で避けた古鷹の後を天龍・夕張がそのままついていったため、三川艦隊は前半分と後半分に分かれてしまう。結果的には2列に分かれたおかげで敵艦隊を挟み撃ちにして戦果を拡大できたが、危うく味方を誤射する可能性もあった。

ボードウォーゲーム「アイアンボトムサウンド」で第1次ソロモン海戦の状況を再現してみた。連合軍の駆逐艦はレーダーで日本艦隊を捉えて警報も出したが、艦隊指揮官は直前に発見した水上偵察機に気を取られていた(写真=左)。奇襲に成功した三川艦隊は2240に南の敵部隊を距離9000メートルで攻撃して重巡洋艦2隻と駆逐艦2隻を撃破。この直後古鷹の変針をきっかけに三川艦隊は2つに分裂する(写真=中央)。10分後、北の敵部隊を2列になった三川艦隊が挟み撃ちで攻撃し、わずか10分で重巡3隻を撃破した(写真=右)

 海戦後、敵中を一度駆け抜けただけで引き上げ、主目的の輸送船団を攻撃しなかったことを上級司令部から強く非難されてしまう第8艦隊司令長官の三川軍一海軍中将だが、これ以上ないシンプルな艦隊行動でも陣形が混乱したのでは引き上げる判断は無理もない。なんとなく「無理やりついてきた妹たちに邪魔されて存分に遊べなかったお姉ちゃんたち」という情景を妄想してしまう俺提督であった。

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