駆逐艦「長波」は、夕雲型の4番艦で大阪は藤永田造船所の生まれ。1942年6月30日に竣工して、最初の任務は北のキスカまで輸送船護衛だったが、8月31日に「巻波」とともに第31駆逐隊に所属してからは、彼らとともにショートランドを拠点に“鼠”輸送(駆逐艦による輸送作戦)に従事する。途中、「金剛」「榛名」のヘンダーソン基地艦砲射撃作戦や南太平洋海戦に参加し、第三次ソロモン海戦では輸送船団護衛として比叡霧島の戦いぶりを遠目に傍観しつつ護衛する輸送船のほとんどを守りきれずに沈めた後、11月30日に第2水雷戦隊旗艦として田中頼三海軍少将座乗のもと、ルンガ沖海戦を戦った。
ルンガ沖海戦で駆逐艦8隻を率いて巡洋艦5隻駆逐艦6隻と戦い、巡洋艦1隻撃沈4隻大破の戦果を挙げた田中司令官の評価は米国ですこぶる高い。その一方で、距離1万メートルで魚雷を発射して真っ先に退避してしまった旗艦「長波」の消極的な行動から「臆病」と評価する日本の海軍関係者や戦史研究者も多い。
ただ、駆逐艦8隻に責任を持つ増援部隊司令官として、そして、先の見えない戦況において、優勢な敵と遭遇した場合に戦力の保全を図るのは当然で、敵をけん制する雷撃を行い、その後反転して退避を図るのは妥当な行動と考える意見もある。艦隊保全のため無謀な夜戦を挑まないという考えは、“艦これ”提督なら体感として理解できるのではないだろうか。なお、反転しつつ発射した第2水雷戦隊の魚雷は、敵巡洋艦の戦列に向かって疾走し、先に述べた大戦果に結びつく。
ルンガ沖海戦後の「長波」は、その後もソロモン海域における“鼠”輸送を実施。1943年5月以降は北方海域に転戦してキスカ撤退作戦に参加。11月には再度ソロモン海域に戻ってブーゲンビル沖海戦で戦う。さらに、1944年10月には、レイテ沖海戦にも参加するが、このときは潜水艦の雷撃を受けて大破した重巡洋艦「高雄」を護衛して退却したおがげで生き残った。
輸送に夜戦に大規模海戦と、夕雲型駆逐艦としては戦歴に恵まれた「長波」は、1944年11月11日、フィリピンのオルモック湾に向けた輸送作戦において、敵航空機の爆撃で沈没する。このとき、駆逐艦ぜかまし、いや、「島風」も一緒に沈んでいる。
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