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お母さんというより有能マネージャーかも

 艦隊これくしょんのTwitter公式アカウントの「艦これ」開発/運営(@KanColle_STAFF)で以前から予告していた“甘味処「間宮」”が、10月16日に期間限定でオープンする。

 艦これ的「間宮」は、戦いに疲れきった艦娘を一気に元気にする“アイテム”だが、現実に存在した「間宮」は、日本海軍に在籍した給食、いや、給糧艦だ。見張員の「間宮 入港しました!」の報告は、在泊する艦船乗組将兵の士気を大いに高めた。そういう意味で、艦これの間宮は史実を正しく再現している。アイテム扱いの間宮だが、垂線長144.8メートル、基準排水量1万5800トン、総トン数8000トンと“なるほど”でかい。長さは軽巡「夕張」より長く、基準排水量は「愛宕」を超える(なぜここで愛宕を出す)。

 艦隊将兵に供給する新鮮な肉魚野菜、そして内地から運んでくる“手紙”だけでなく、艦内設備で専門職人が作る菓子類が艦隊将兵に人気で、特に、「間宮羊羹」を好む艦隊兵士が多いために、“老舗の和菓子屋”が納入したようかんを売りさばくのに艦隊主計担当が苦労したという逸話も残っている。

 「間宮」は、大正時代末期の1〜2年間だけ、舷側に艦名を“ひらがな”で「や み ま」と表記していた時期があった。このような例は、連合艦隊所属の特務艦に限られており、該当する事例が少ない。その姿は丸スペシャルNo39(1979年12月号)などで確認できる。

舷側に艦名をひらがなで表記した間宮。大正14年に横須賀軍港で撮影された(丸スペシャルNo.39より引用)

 海軍将兵の胃袋をがっちり捕らえた「お母さん」キャラであった一方、演習支援艦としても活躍していて、標的船の搭載と曳航、そして、特務艦としては強力だった無線施設を用いて艦隊無線演習の監査艦や(通信的な)仮想米戦艦を務めている。

 戦時中は、呉とトラック基地間を往復する糧食輸送を1942年4月から1944年1月の長期にわたって実施。トラック基地が機能を喪失した1944年3月以降もパラオ、サイゴンなど、レイテ海戦で連合艦隊が壊滅した直後まで、危険な外洋を越えて糧食輸送に従事した。

 最後は1944年12月20日に米潜水艦「シーライオン」の雷撃をうけて沈没する。シーライオンは、そのちょうど1カ月前に戦艦「金剛」も撃沈していた。

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