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影をなくした男

なんてこった、読み終わってしまった。深夜2時にパラパラと捲り始め、気付いたら4時になってしまっていた。

 

アーデルベルト・フォン・シャミッソー(池内紀訳)『影をなくした男』岩波文庫、1985年。


購入したのはずっと前のことだ。池内紀の名に惹かれるままに、古本屋で入手した。今回(つい先ほど)手に取ったのは、クリュスの『笑いを売った少年』の「訳者あとがき」に、「笑い」ではなく「影」を、悪魔に売った男の話として紹介されていたからだ。「お、これ、たしか持ってるぞ」と思い、本棚を漁り、ようやく見つけ出して開いてみた。すると二時間が経ってしまって、大いなる満足と共に、本が閉じられていた。

「鉄の鎖にとめられているというのに翼をもったとて何の役に立ちましょう? 翼をもてばこそ、そのためかえって絶望が深まるものです」(32ページ)

つい最近同じような体験をした記憶が甦った。あの時はジュースキントの『香水』だった。やっぱり池内紀訳じゃないか。やられた。ただ、ゲーテ『ファウスト』はそうはいかなかった。当たり前か。

「出版された本というのは奇妙な守護神に見守られているもので、まま見当ちがいのところにまいこみはしても、とどのつまりはしかるべき人の手に落ち着くさだめになっている。いずれにせよ、その守護神はまこと精神と心情のこもった作品に対して目にみえない帳の紐をにぎっており、すこぶる巧妙にそいつを開け閉めする術を心得ているものだ」(128ページ)

挙げた文章は、シャミッソーの友人フケーが、シャミッソーが足掛け三年の世界一周旅行に出ている間に『影をなくした男』を勝手に出版した際の言い訳だ。僕の手元にあるこの本が、守護神の手違いではないことを祈る。

涙もろくて心優しく、女に惚れっぽくて頼りないペーター・シュレミールが、影を取り戻すべく悪魔相手に奮闘する。ファウスト博士とは似ても似つかないシュレミールが物語の終わりの方で下す決断は、ちょっとかっこいい。面白い本だった。

蛇足だが、手持ちのドイツ文学辞典を開いてみたところ、シャミッソーの項目は存在しなかった。フランス文学辞典でも同じことだった。フランスの貴族として生まれ、革命と共にドイツへと逃れた彼は、終生フランス訛りのドイツ語を話し、疎んじられたそうだ。革命後のフランスとドイツの関係を考えると、彼の境遇は凄惨なものだっただろう。現在、クンデラアゴタ・クリストフに代表される「移民の文学」の、最初のものではないだろうか。『影をなくした男』の喪失感や寂寥感は、今こそ再評価されるべきだと感じた。

 

 

<読みたくなった本>
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』

 

トーマス・マンファウスト博士』

 

 

 

ノヴァーリス青い花

 



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