
あ。そういえば、東京プライド2025に行ってきました。暑いし、湿度高いし、人も多いし、「ハッピープライド!」の雰囲気や経済がグルグル回る音がうるさくて疲れるのは分かっていたので、行くつもりじゃなかったのですが、当日になって「行こうよ!」と誘われて、急遽行くことに。
去年と一昨年は、会場のとなりの代々木公園で「陰気なクィアパーティ」という催しをやっていたので、3年ぶりくらいに本家(?)のほうを見て回ることになりました。とはいっても、30分〜1時間くらいで疲れて、パレードを見ることもなく帰っちゃったのですが。
久しぶりの「ハッピープライド!」は、良く言えば無難、悪く言えば地味だなあという印象。3年以上前に行った際は、もっとギラギラした雰囲気というか、「ここでしか味わえない何か」みたいなものがあったような気がするのですが、なんていうか、ちょっと派手な地域のお祭りくらいの感じがしました。大学の学園祭とかのほうがもっと賑わっているんじゃないかしら(わたしが冷めてただけ?)。

(パンフレットもかなり簡素なものになっていました。昔は芸能人や政治家、アクティビストなどのメッセージや企業広告が掲載されたタブロイド誌を作って配布していた記憶があります。)
じっくり見て回ったわけではないので全容は分かりませんが、企業ブースもそんなにお金かけてる感じではなく、企業の取り組みや姿勢を展示や頒布物で見せるような形式が多かったように思います。当事者団体や自治体、大学などのブースはさらにカッチリしていて、良くも悪くもテンプレ化しているように感じました(これくらいの温度感のほうが自分は好きかも)。
とはいえ、たくさんのLGBTQ関連団体や組織が集まっていて、それらが実際に活動している様子をぐるぐる見て回れるような機会ってあまりないですから、貴重な機会です。今年はイベントの名称や規模感が変わったり、第二次トランプ政権の反DEIやトランスジェンダーバッシングなどがあったりしたので、以前はブース出展していた企業が今年はしていないなあとか、この企業は変わらずDEIを進めているんだなあとか、そういう視点で見たりしていました。

あと、代理出産プログラムを提供している企業「jbaby」がスポンサーになり、ブース出展していたことは気になりました。若者向けの関連イベント「ユースプライド」のほうでも代理出産で子どもを設けたゲイカップルが登壇していたようですが、東京プライドは代理出産を推しているのかしら。大丈夫か?
最後に、「ハッピープライド!」という掛け声について。自分はこの掛け声が本当に嫌で、2年前から『ハッピープライドとか言ってられないクィアのためのZINE「BELOW」』というZINEを作っているほど。ガザでの虐殺やウクライナ侵攻、第二次トランプ政権下でのバックラッシュ、円安や物価高での貧困や格差の拡大など、考えれば考えるほどとてもじゃないけれど「ハッピープライド!」なんてお祝いできない気分になります。
そういうことを書くと、「いやいや、未来がハッピーであるように、という思いを込めて言うんだよ」とか「世界中のクィアと連帯するための言葉なんだよ」などと諭されがちなのですが、うーん。いまいち納得できないのはわたしだけ? やっぱり自分は自分の言葉で、差別反対や人権獲得の声を上げていきたい。
最後の最後に、こないだSNSに投稿した自分の文章をセルフ引用して終わります。
「ハッピープライド!」の掛け声の何が嫌かって、ハッピーとか言ってられる状況じゃなくない? ってのももちろんあるんだけど、みんながそれを言うことで同調圧力的なものが発生して、「差別反対」「虐殺やめろ」「人権守れ」的なプラカードを掲げづらい、掲げているとむしろなんか場違いなんじゃないかと思わされるからっていうのもある。まあ、そういう場だからこそ、プラカードを掲げることはより大きな意味を持つと思うんだけど。
「政治的・反社会的なプラカードは禁止」とか「特定の企業を否定する言葉は禁止」とかわざわざアナウンスしなくたって、「ハッピープライド!」という掛け声が広く共有されることで、その場の方向性がある程度定められてしまっているのだと感じる。