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雁屋優『マイノリティの「つながらない権利」』感想——つながり偏重社会の限界をどう乗り越えるか

レンガ塀の上で横たわっている猫の写真。

レンガ塀の上で横たわっている猫の写真。


雁屋優『マイノリティの「つながらない権利」』(明石書店)を読みました。

 

社会全体として、コミュニケーションや「つながり」を偏重する向きがある実感や、コミュニケーションや「つながり」を媒介として情報が伝達されていくことへの不満は自分にもありますし、その弊害(特にマイノリティにとっては死活問題になり得る)が本書では多面的に指摘されていて、なるほどと思いました。

 

www.akashi.co.jp

 

誰が情報を保障するのか?

一方で、それでは具体的にどの主体が情報保障*1を行うべきだと著者が考えているのか、いまいちよく分かりませんでした。行政なのか、企業なのか、当事者コミュニティなのか、個人なのか、あるいはAIなのか。言及先として圧倒的に多いのは、当事者コミュニティだという印象です。当事者コミュニティや当事者運動の閉鎖性は実際にあると思います。ある程度、閉鎖的でなければならない社会的な背景も分かりますが、もう少し外向きの情報発信をしてくれたら嬉しいんだけどなあ、と思うこともたびたびあります。

 

しかし、わたしも当事者コミュニティの運営に一時期関わっていたのである程度分かりますが、ほとんどの当事者コミュニティや当事者運動と呼ばれるものは、無償で、手弁当で行われているものだったりします。そのような主体に、もっと情報保障をしろ、コミュニティや運動につながっていない・つながりたくないひとにも情報が均一に届くように努力しろ、と求めるのはなんか違和感があります。本書の対談部分で、精神科医の本田秀夫さんが次のように発言しています。

 

そもそも、僕は情報提供機能について、当事者コミュニティにあまり期待していません。本来はある程度、行政がやるべきことです。アクセシビリティなどと同じく、情報保障ですから。また、情報をどう作るかという点で、「つながらない」人のニーズを知ることが非常に難しく、情報は人の手で作らないといけないので、ニーズを把握するためにはその人たちに発信してもらわないといけなくなります。(p.146)

 

定期的に活動報告をメールマガジンで行う、ホームページやSNSを更新するなどの情報保障は着手しやすいし、既に実施しているところが多いのではないかと思いますが、じゃあそれ以上の情報保障を当事者コミュニティが担えるだろうかと考えると、予算的にも人員的にも(現状では)なかなか厳しいように思います。本田さんの言うように、そこは行政に頑張ってもらうほうがいいような気がします。

 

この点について、著者は、旧優生保護法のもとで推し進められた障害者の不妊手術の例を持ち出して、行政など公的なものはあまり信用できないと書いています。個人的には、信用できないからといって期待するのをやめてしまうのではなく、信用するに足る機関になるよう市民の側からも求めていくことが重要なのではないかと思いました。

 

差別感情とコミュニティへのアクセス

あと、本題とは少し逸れますが、以下の記述がどうしても気になりました。

 

自分で自分を差別していたり、他の当事者を差別したりしている段階で、当事者コミュニティにアクセスするのはおすすめできない。当事者コミュニティにやってくる人々は、差別されず、否定されない安全な場を求めて集うのだ。そこに差別感情を持ちこんでしまえば、トラブルが起きるのは火を見るよりも明らかだ。

[…]

差別感情にとらわれたまま、当事者コミュニティにアクセスするのは、コミュニティの安全性の観点からできないし、するべきでない。(pp.16-17)

 

当事者であっても差別感情を内面化してしまうことは珍しくありません。LGBTQコミュニティでは「内なるホモフォビア」という言葉もあるくらい。しかし、これを相対化して減らしていくのはとても長い道のりになると思います。というか、差別感情が無いと言い切れる当事者ってどれくらいいるんだろう? 少なくともわたしは、まだまだ差別感情が残っていると思います。

 

それでも当事者コミュニティが(ギリギリ?)成り立っているとすれば、差別感情があったとしてもそれを表に出さない、本音と建前を使い分ける、指摘や批判を受けたら自分の言動を省みるなどの小さな行為の積み重ねがあるからではないだろうかと思います。セーファースペースの理念で謳われているように、プロセスを開き、コミュニティの構成員や参加者がそれぞれ努力や工夫をしていくことで”より安全な”空間は作られていくのだと思います。

 

なので、差別感情がなくなるまでコミュニティにアクセスすべきでないという著者の主張は飲み込めませんでした。差別感情との向き合いは一生続くものだと思うので。

 

以上、いろいろ思うところはありましたが、コミュニケーションや「つながり」偏重の社会やコミュニティにはどうしても限界があるというのは本当にその通りだと思うので、この点どうにか越えていきたいよなあと思います。

*1:本書では、画像にALTを付ける、動画に字幕を付ける、筆談やUDトークを導入するなどといったアクセシビリティの意味での情報保障というより、もっと広義にこの言葉を使っています。




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