以下の内容はhttps://nhhntrdr.hatenablog.com/entry/2024/11/09/234600より取得しました。


ChatGPTでブログ記事を書いてみた

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全く自慢にはならないのだが、私はぽんぽこと文章が書けないタイプである。何となくブログのネタにしたいと思ったことがあっても、いざ文章にしようとすると、なかなか形にならない。そういった事情でお蔵入りどころか一文も書けずに終わったネタが積み上がること幾星霜。ちと、ChatGPTの手を借りようかという気になった。

 

過去に私はChatGPTと『ライフイズストレンジ2』という作品の解釈で喧嘩したことがある。

nhhntrdr.hatenablog.com

このときは「あー使えね!マジで使えね!」とぷんすかしたりもしたのだが、先日、その認識を改める出来事があった。

私はたまーにプログラミングをかじったりすることがあるのだが、先日、その勉強中にどうしてもわからないことに遭遇した。テキスト通りにやっているはずなのに、エラーが出る。何度も何度もはじめからやり直しても、どうしても決まった場所でエラーが出てしまう。

困り果てた私は「助けて、ドラえもーーーーん!」とばかりにChatGPTに縋りついた。

私「エラーが出るんですけど!どうすればいいのかわからないんですけど!今からその部分を貼り付けるんで、助けて欲しいんですけど! (ノД`)・゜・。」

ChatGPT「これは○○○が■■■になっていますね。以下のコードを入力してください。

××××××××××××××××××××××××(何かよく分かんないコード)

これでエラーが出たら、また教えてください」

私「コピペしました!やっぱりエラーが出ます!こんな感じです!

*****************(何かよく分かんないメッセージ)

ChatGPT「このメッセージが出るということは、△△△を導入できていないようです。

以下のコードを入力してください。

××××××××××××××××××××××××(やっぱりよく分かんないコード)」

私「できた!できました!解決しました!先生すごい!先生素敵!マジでありがとうございます!」

ChatGPT「それは良かったです!◎◎◎が正常に動作するようになったとのこと、安心しました。もし今後また何か質問や問題があれば、いつでも気軽に聞いてくださいね。引き続きサポートさせていただきます!」

 

何と優しく頼りになるパートナーなんだ。解釈違いで喧嘩してごめんなさいなの。

実際は何回も試行錯誤を繰り返すことにはなったのだが、私がやったのはエラーメッセージを貼り付け、それに対してChatGPTが提案してきた解決策を実行しただけである。私一人なら、完全に諦めモードだった。

 

そんなこんなで、ちょうどChatGPTに対する信頼度が上がっていたところだったのだ。

前置き長くてすみません。

 

 

ちょうど、ひとつ記事にしたいネタはあったのだが、何しろどのように書き出して、どうやって展開させるべきか、どう締めるべきかが何も思いつけずにいた。

というわけで、あらかじめ思いついたポイントを箇条書きにした上で、ChatGPTに頼んでみた。

ブログの記事を作成したいです。タイトルと本文を書いてください。字数は2000~5000字とし、文体は常体とします。 
以下に骨子を示します。
 


・映画館で観賞したとき、私はエンドロールが終わるまで席を立たないようにしている。
・最近、エンドロールまで見届けることは、映画という非日常から日常世界に戻るために必要なことだと思うようになった。映画観賞を通過儀礼と考える場合、きちんとエンドロールを見ることで、映画という非日常世界から日常世界へと戻ってくることができる。
・河合隼雄は著作で、「(中略)」と言及している。
・大塚英志は著作で「(中略)」と述べている。
・私が『死刑台のメロディ』を映画館で観た時の話。民族差別・イデオロギー差別により主人公たちは殺人犯とされ、十分な証拠もない状態で死刑にされた。とてもショックな内容。ラストは主人公たちが電気椅子にかけられるシーンで終わる。このときに感じたやりきれない感情に寄り添ってくれるのが、エンディング曲の「Here's to You」。理不尽な差別と裁判を戦い抜いた主人公たちを讃え、労る歌だが、この歌により観客の私のやりきれない感情も慰撫された気がしたし、何とか日常の世界へ戻ることができた。
・ショッキングな内容や悲惨な内容の映画を見た際に、きちんと作品と折り合いをつけて自分の日常に戻るためにも、エンドロールは最後まで見届けていきたい。

 

それに対してChatGPTから返ってきた文章は以下の通り。

映画館でエンドロールを見る意義――非日常から日常へ戻るための通過儀礼

映画館で映画を観るという体験は、日常の枠を超えた非日常の世界に足を踏み入れる瞬間であり、その時間は観客に深い影響を与えることがある。映画の物語が展開する中で、観客は感情の起伏を経験し、現実世界では味わえないような体験をすることが多い。特にショッキングで悲惨な内容の映画を観た後、その余韻が長く残ることもある。私が映画を観た後に必ず実践していること、それはエンドロールを最後まで見届けることだ。この行動には、単なる習慣以上の意味があると感じている。最近、エンドロールを見届けることが、映画という非日常の世界から日常世界に戻るために必要な儀式であると思うようになった。

映画を観ることは、ある意味で通過儀礼のようなものだ。物語が終わると、観客は現実世界に戻らなくてはならない。しかし、映画が与える感情の影響や、登場人物たちが経験した出来事の衝撃が強い場合、その帰還は簡単ではない。映画館を出た後も、その余韻に引きずられ、しばらくの間現実世界と向き合えないことがある。このような状況で重要になるのがエンドロールだ。

エンドロールを見ることで、映画という非日常的な世界から再び現実世界へ意識を戻すことができる。この過程は、単なる映画の終わりを意味するだけではない。それは、映画の世界での体験を消化し、心の中でその物語と折り合いをつける時間でもある。(中略)

映画においても同じことが言える。特に強い感情を呼び起こす作品を観た後には、現実世界への帰還が容易ではない。映画を観ること自体が現実からの一時的な「旅行」であり、その後の帰還には何かしらの儀式が必要だ。エンドロールは、その儀式の一部として機能する。

(中略)

私が映画館で『死刑台のメロディ』を観たとき、エンドロールがとても重要であると感じた。この映画は、民族差別やイデオロギー差別によって主人公たちが殺人犯とされ、証拠も不十分なまま死刑にされるという衝撃的な内容だ。ラストシーンでは、主人公たちが電気椅子にかけられる場面で物語は終わり、その後の余韻が心に深く残った。この時、私は非常にやりきれない感情を抱え、現実に戻ることができないような気持ちになった。しかし、エンドロールが流れ始めると、その感情を少しずつ整理することができたのだ。エンディング曲「Here's to You」は、理不尽な差別と裁判を戦い抜いた主人公たちを讃え、労る歌だ。この歌が流れることで、私は映画の中で経験した痛みや怒りを一旦受け止め、そして現実に戻る準備ができたように感じた。

映画を観ることは、単に物語の結末を見ることではなく、その後の余韻をどのように扱うかが重要だ。ショッキングな内容や悲惨な内容の映画を観た場合、エンドロールを見ることで自分の感情と向き合い、整理する時間を持つことができる。そうすることで、私たちは映画という非日常の世界から日常へ戻ることができる。

エンドロールを見届けることは、映画という一つの通過儀礼を終えることに他ならない。それは、私たちが映画の世界に深く入り込み、感情を揺さぶられた後、その余韻をしっかりと受け止めて現実世界に戻るための重要なステップだ。次回映画館に足を運んだ際には、ぜひエンドロールを最後まで見届け、映画という非日常から日常への帰還を感じてほしい。

すげえ、めっちゃ肉付けされて返ってきた。ただ、文章が固すぎたので、もう少し注文をつけることにする。

こちらのページを参考に、CharGPTに私の文体を覚えてもらった。

note.com

サンプルに指定したのは以下の記事(選定理由は何となく)。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

で、私の文体を読み込んでもらった上で、書き直してもらう。

タイトル: 映画館での通過儀礼としてのエンドロール—非日常と日常の境界を越えるために

映画館に足を運んで映画を観るとき、私はエンドロールが終わるまで席を立たないことにしている。映像の終わりを迎えた後も、スクリーンに流れ続ける小さな文字を、ただの情報としてではなく、作品の余韻として捉えている。それは単に映画の制作に携わった人々への礼儀としての意味合いもあるかもしれないが、最近ではそれが自分自身の精神的な回帰のために不可欠だという感覚を持つようになった。映画という非日常の世界から、私たちが住む日常の世界に戻るための「儀式」のようなものなのだ。

この感覚は、映画を観ることが一つの通過儀礼であるという考え方と繋がっている。映画のエンドロールを見ることで、私はその作品と精神的に一度決着をつけ、現実世界へと戻る準備ができる。それまでの時間の中で一緒に過ごした登場人物や、胸に残った感情が、スクリーンの外にある日常的な世界と再び交わる瞬間が、私にとっては重要なのだ。映画を通過儀礼として捉え、その過程を完結させることで、私は非日常の体験を日常の一部として昇華させることができる。

(中略)

『死刑台のメロディ』に見るエンドロールの重要性

私が「死刑台のメロディ」を映画館で観たとき、最後に流れたエンディング曲「Here’s to You」は、私にとって大きな慰めとなった。この映画は民族差別とイデオロギー差別によって、十分な証拠もないまま主人公たちが死刑を宣告されるという非常にショッキングで悲惨な内容だった。最終的に主人公たちは電気椅子にかけられるシーンで映画が終わるのだが、その場面で感じたやりきれない思いを、この歌が慰めてくれたように感じた。

歌詞には、理不尽な差別と戦った主人公たちを讃え、彼らを労る気持ちが込められていた。その歌を聴きながら、私は映画の中で感じた怒りや無力感を少しずつ整理し、日常世界へと戻ることができた。エンドロールという時間が、ただの終わりではなく、感情的な整理を促し、日常への帰還を助けてくれる大切な瞬間であることを実感したのだ。

悲劇的な映画とエンドロールの役割

特にショッキングで悲惨な内容の映画を観るとき、エンドロールが果たす役割は大きい。映画の中で感じた感情や衝撃を、そのまま日常に持ち込んでしまうことはできない。そうした感情に向き合い、少しずつ自分と折り合いをつけるために、エンドロールは必要不可欠な存在だ。映画を観終わった後、ただ席を立って帰るだけではなく、きちんと作品と向き合い、非日常から日常に戻る準備をすることで、感情的な整理ができ、心に余裕を持って現実の生活に戻ることができる。

私にとって、映画館でのエンドロールは単なる映像の終わりではなく、精神的な「帰還儀式」なのだ。それは、映画を観ることがただの娯楽や時間の消費で終わるのではなく、私たちが非日常から日常に戻るために必要な通過儀礼としての意味を持っているからである。エンドロールを見届けることで、私は現実の世界に再び足を踏み入れることができるのだ。

先程の文章に比べ、知能指数の下がった文体になったと思う。わーい、ぱちぱちぱち。強調したいワードを「」でくくるあたりが私のクセを踏まえていて、何か恥ずかしい。自分のクセを客観的に見せられるこの居づらさよ…。

 

さて、ChatGPTが私の文体風に肉付けしてくれた文章を、こちらで微調整していく。「そこまで考えてないし」と思ったところ、少々大げさに感じた表現を書き直させてもらったり、引用文の周りを調整したりもしたが、9割5分以上はChatGPTの文章を使用させていただいた。ついでに、タイトル案を追加で5つ提出してもらい、そこからセレクトしておいた。

 

で、出来上がったのが前回アップした記事である。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

記事を作成してみた感想としては「結構楽しかった」。ここまでChatGPTが箇条書きの文章に肉付けしてくれるとは、期待以上である。箇条書きでなら書き出せるようなネタは他にもあるような気がするので、今後も活用していきたいと思う。

ただ、映画や本の感想記事を作成するのは難しそうな気もする。これは私の感想記事を書くスタイルが「思いついたことを思いついたままにつらつら書きつづる」というものだからだと思う。あらかじめ、要点を整理してから書けないタイプなのである。

 

とはいえ、便利なものが気軽に使えるのは嬉しい。忙しくてブログ記事を書く時間がまとまって取れなさそうなときでも、箇条書きでポイントを書き出すことさえできれば、あとはChatGPTが何とかしてくれるのだ。

技術の発達はすげえ。

 

ただ、ChatGPTの文章作成力を目の当たりにして、かつて読んだ新井紀子さんの書籍のことを思い出して「うーん」という気持ちにもなってしまった。久しぶりに読みたくなってきたや。

 




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