不自然な通説豊臣政権の2代関白・豊臣秀次の切腹は紛れもない史実です。その1週間前の文禄4年(1595年)7月8日、従者数人を連れた秀次は京都の聚楽第から南郊・伏見城に秀吉を訪ね、その足で紀伊山地の高野山に行きました。そしてその地で剃髪した後、15日に自害したのです。※関連記事↓悪行三昧の逸話が残る豊臣秀次。”殺生関白”という不名誉なレッテルは本当だったのか?この自害についての従来の説は、第1子の鶴松を失った秀吉