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「すでにあちこちで報じられていますが、野々村氏はこの選挙で、『西宮維新の会』を名乗っていたんです。当時、大阪維新の会は飛ぶ鳥を落とす勢い。有権者の中には野々村氏が橋下徹大阪市長と同じグループだと勘違いし、投票したケースがかなりあったはずです。でも、実際には西宮維新の会は大阪維新とまったく無関係の団体。これでは有権者にすれば詐欺に遭(あ)ったようなもの」
さらに選挙の時期も野々村氏に幸いした。この選挙の公示日は11年4月1日。東日本大震災発生からわずか3週間後のことだ。
それまで野々村氏は西宮市長選など、4度地方選に立候補するもいずれも最下位落選。
敗因のひとつは、「下を向いたり、同じ所をくるくると回ったり。演説もボソボソと小さな声で、何を訴えたいのかよくわからんかった」(西宮市在住の60代女性)という証言にあるように、なんとも地味すぎる野々村氏の選挙戦ぶりにあったとされる。
「しかし、このときは震災直後で全国が自粛ムード。各陣営は演説会を早めに切り上げたり、選挙事務所のライトアップをやめたりという状況でした。そのため、野々村氏の地味な選挙戦ぶりが、さほどハンデにならずに済んだのです」(前出・地元紙記者)
しかも、上位当選すると目されていた自民、民主の2大陣営候補が大失速する幸運も重なった。
「関西電力労組が民主の新人候補を強力にプッシュしていたのですが、福島第一原発事故の影響か、電力会社が支援するこの新人候補は得票を伸ばせずに落選。自民も地元選出国会議員の二世が無所属で立候補し、保守票が割れて現職がふたりも落選するはめに。その結果、野々村氏が漁夫の利を得て、次点とわずか409票差の僅差でまさかの当選を果たしてしまったんです」(地元記者)
まさに超がつくほどのタナボタ当選。とはいえ、この幸運の末路があの号泣会見。そして辞職……。実力どおりに落選していればよかったのに?
(取材/ボールルーム)