開始5分にしてラブヤドの初シュートを浴びると、直後の6分にはスルーパスからアムラバトに抜け出され、あわやGKと1対1という大ピンチ。いずれも辛うじて難を逃れたものの、試合序盤からモロッコの優勢は明らかだった。
対する日本は、どうにも動きが重かった。驚異的な運動量でスペインに完勝した試合から中2日。あれほど勤勉に集散を繰り返した選手たちが、この日は思ったようにボールに寄せられず、中盤で簡単にパスをつながれてはDFラインの背後を狙われた。
スペイン戦で90分間あれほど走り続ければ、少なからず動きが重くなるのも当然のこと。キャプテンの吉田麻也も、「スペイン(との試合)の後で、全体として体に疲れがたまっていた」と振り返る。
その結果が、試合序盤の劣勢となって表れた。関塚隆監督も、「1戦目(スペイン戦)のような入り方はできなかった」と認める。
いい流れで試合に入れなかった日本の劣勢は、序盤を過ぎても続いた。スペイン戦ではほとんど通されることのなかった縦パスを面白いように通され、いくつかの決定的なピンチも迎えた。
守備で後手を踏む展開が続いては、いい攻撃につなげられるはずもない。象徴的だったのは、38分のシーンだ。
山口螢が相手MFハルジャのドリブルを止め、この試合で初めてと言っていいほどの最高の形でボールを奪うことに成功した。3日前のスペイン戦であれば、その瞬間、前線の選手が一気に相手ゴールへと向かってダッシュし、カウンターアタックが発動されていたはずの場面である。
ところが、前線の反応が鈍く、動き出す選手がいない。山口は前方へパスを送ることができずに終わった。
ようやく日本の攻撃に少しずつリズムが生まれたのは、後半に入ってからである。吉田が語る。
「前半(のピンチ)をしのげたんで、後半は体もちょっと動くようになったし、乾いたピッチ(でボールが走らないこと)にもみんなが慣れたことで、スムーズにやれるようになった」
しかも、時間の経過とともに動きが良くなる日本とは対照的に、「モロッコは70分くらいから急激に失速した」と吉田は言う。
実際、この試合で日本がDFラインの裏を取ってシュートにつなげたのは、わずかに2回に過ぎないのだが、そのいずれもが70分を過ぎてからのものだった。1本は、79分に山口が3列目から飛び出して打ったシュート。そして、残る1本が、84分に生まれた
永井謙佑の決勝ゴールだったのだ。
すなわち、日本は動きが重いなりに試合序盤は粘り強く戦い、相手の動きが落ちた終盤に永井のスピードという「伝家の宝刀」で勝負に出た。
ラストパスを送った清武弘嗣が「あの辺に落とせば、あとは何とかしてくれると思った」と言えば、永井は、「キヨ(清武)が自分の特徴を生かすように裏に出してくれたので、あとは自分がゴールに流すだけだった」と振り返る。あうんの呼吸が生んだ、値千金のゴールだった。
しかし、試合展開を考えれば、勝ち点3を取れたことは、いわばボーナスのようなもの。関塚監督が、「モロッコは非常に強いチーム。慣れるまでに時間がかかったが、90分間粘り強い守備を見せてくれた」と話したように、劣勢の中でも集中を切らさず、無失点に抑えたことにこそ、この試合の価値がある。
DFリーダーでもある吉田は、「ボールを持ったときだけは、勢いを持って(攻撃に)行かなきゃいけない」と付け加えながらも、こう話した。
「もちろん勝ち点3が取れれば良かったが、前がかりになって失点するのは嫌だったので、『0−0(の引き分け)でいい』というくらいの気持ちでやっていた」